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~第70回~「建築の歴史の話」

今回は神社の建築の歴史と菊花紋について。

当社の本殿を拝む拝殿の屋根に、菊花紋があるのをご存じでしょうか。

十六弁の菊花の紋は皇室の御紋章で、特に江戸時代以前には伊勢の神宮など一部の神社だけが使用しておりました。
明治二年の太政官布告により四社(伊勢の神宮、宇佐神宮、上賀茂神社、下賀茂神社)以外では使用禁止となり、明治四年には上記の四社も禁止されましたが、明治十二年の改令で官国弊社では使用して良い事となりました。
現在の社殿が造営された際、当社の社格は官幣大社でしたので菊の紋がございます。

ちなみに、それ以前の社殿の立替は文禄5年(1596)、寛文7年(1667)に記録があります。
実はこの際不要になったそれまでの社殿は、近隣の上大久保氷川神社本殿や大間木氷川神社本殿などに譲渡・移築されました。
これ以外にも不要になったものを境内や市外の神社などに再利用しておりますから、ものを大切にしてきた日本人らしさを感じます。

境内の建築のひとつひとつに日本らしい歴史と、ものを大切にしてきた先人の心がありますね。

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〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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