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~第118回 ~「氷川神社と祭政一致の詔」

8月1日、武蔵一宮氷川神社では例祭が行われます。

例祭は勅祭で、天皇陛下のお遣いである勅使が参向され、宮内庁楽部の楽師によって東遊(あずまあそび)が奉奏されます。

この「勅祭(ちょくさい)」という言葉はあまり耳慣れない言葉かもしれませんが、祭祀に天皇陛下より勅使が遣わされることを指します。

氷川神社が勅祭の神社になった経緯は、明治時代そのものの歴史でもあります。 近代日本の幕開けとなった明治時代。

明治天皇は維新の大本を敬神の上におたてになられ、明治元年10月17日、「氷川神社親祭の詔(祭政一致の詔)」を賜い、氷川神社を勅祭の社と御定めになりました。 この詔にある「祭政一致」の「祭」は祭祀、「政」は政治を表し、祭祀(まつり)と政治(まつりごと)のこと。

これは明治に新しく出来た思想・政治体系ではなく、古代日本では祭政は一致しておりました。

例えば、大化元年(645)から翌年にかけておきた「大化改新」以後、朝廷では神祇官・太政官を並置して諸省の上に置き、祭儀を国家統一の根本と定めていました。 また、「親祭」とありますのは御親祭のことで、これは陛下自ら装束を着装され御告げ文を奏上されることを指します。

桓武天皇が平安遷都後に賀茂神社をお祀りされた例に倣い、その後、明治元年10月28日に当社に行幸、御自ら祭儀を執り行われました。 政府が京都から東京に移ってきたのは、その翌年、明治2年のことです。

ですから、明治の幕開けは氷川神社での「氷川神社親祭の詔(祭政一致の詔)」からともいえるのです。



〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh

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