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~第166回~「ヤマトタケルと古代日本」

氷川神社は、第5代孝昭天皇の御代3年に創建され、令和10年に御鎮座2500年を迎えます。 この長い歴史の間には様々な方の逸話が残っており、その中には日本武尊(ヤマトタケル・倭建命)の姿も。

日本武尊は草薙剣を用いて熊襲征討や東国征討を行った日本古代史上最も有名な英雄の一人です。 そのヤマトタケルは第12代景行天皇の御代に武蔵一宮氷川神社に参拝し、東夷鎮定の祈願をされたと伝わっています。

また、日本書紀によると、日本武尊は東国征討の際、武蔵国(現在の東京都や埼玉県)や上野国(群馬県)等に立ち寄ったとあります。 その頃の話であろうかと思われるヤマトタケルに因む逸話と地名が「足立」です。 足立の語源については、ヤマトタケルの足の負傷が治り、立てるようになった伝説のほか、葦(アシ)が立つ(葦立)からアダチになったという説があります。 「足立」というと現在では東京都足立区を思い浮かべる方が多いと思いますが、実は足立の名は7世紀に武蔵国足立郡にみられます。

当時の武蔵国足立郡は現在の東京都足立区から埼玉県鴻巣市までの細長く広大な地域でしたので、大宮も古くは足立でした。

実際、武蔵一宮氷川神社は古くは武蔵國足立郡鎮座となっています。 ヤマトタケルが東征に向かわれる御姿が、この大宮、この氷川神社には確かにあったのです。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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