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~第216回~「武蔵の国大宮の駅、氷川神社をもって、当国の鎮守となす」

明治元年、京都を発し江戸城に入城した明治天皇は、氷川神社を武蔵国の鎮守、勅祭の社と定めて御親祭されました。
以後、8月1日の例祭には、天皇陛下が勅使を御差遣、奉幣されております。

その勅使が参籠される建物が勅使斎館(ちょくしさいかん)です。
現在の勅使斎館は昭和12年に竣工されたもので、8月の例祭以外にも特殊神事「大湯祭」の後斎(12月11日)でも使用しています。
そこでは饗膳式(きょうぜんしき)という古式床しい直会の儀が執り行われ「幾久(いくひさ)、幾久、幾久」と社頭隆盛の言祝ぎを発し、神酒を拝戴致します。

明治時代以降、武蔵一宮氷川神社には天皇が幾度も行幸しております。
明治天皇は明治元年以後、明治3年にも御親祭をされており、また明治11年にも行幸されております。
そしてその後、御代がかわり大正6年に明治天皇御親祭50年祭を行ったのですが、この時に奉斎会顧問を務めた者こそ、渋沢栄一でした。

この後も大正9年には大正天皇の皇后陛下が、大正10年には大正天皇、昭和9年には昭和天皇がそれぞれ氷川神社に行幸されておられます。
大宮公園内に大正天皇の皇后陛下行啓記念碑がありますので、ぜひ公園散策がてら探してみてください。

明治時代の幕開け時、明治天皇は都を東京に遷されると同時に、氷川神社親祭の勅書(祭政一致の勅)を出され、当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになりました。
その大御心は現在も大切に受け継がれております。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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