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昭和61年生まれから見たインターネットの歴史

 小学生の時、父親がパソコンを持って帰って来た。「どうやら世界中と繋がることが出来るらしい」と夢のような事を言いながら設置されたパソコンは、分厚いブラウン管型だった。
 パソコンは「ダイヤルアップ接続」という方法でインターネットに繋がっており、接続の度に電話のようにプルルルルルーッと、音を立てていた。

1998年、hideが死んだ

 1998年はミュージシャンのhideが亡くなった年で、死因について様々な憶測がなされた。福岡県の田舎に住んでいた私にとってhideの存在はあまりにも遠く、一体何が起きたのか真実を知りたいという気持ちが大きかった。インターネットを探せば芸能人の真実がわかると思う感覚は、この時だけの独特のものだったように思う。
 今のように月額制の料金で使い放題というわけではなかったが、夜中はなぜか安いらしい(恐らくテレホーダイ)と言うふんわりした情報で、とにかく夜中にはインターネットでhide!という生活が続いた。

 当時はまだインターネットを使用している人自体が少なく、情報の数も少なかった。それこそ、ネット上にあるhideに関する情報は全部読み尽くしました!という状態を毎日続けていた。毎晩、誰かが掲示板に書き込む新しい言葉を読み、満足する。時には自分も参加し、顔も見た事のない人と話し合う。そういう行為が、いつか真実に繋がるような気がしたのだ。

オルルド王国の住民はインターネットが好き

 hide以外の情報というと、スーパーファミコンのアドベンチャーゲーム「キャスパー」や、プレイステーションのシミュレーションゲーム「ワールドネバーランド~オルルド王国~」についての攻略方法などをよく検索した。ただし、検索したところで本当に知りたい攻略方法は大体わからないもので、掲示板に質問して誰かが回答してくれるのを待つか、自分自身で探り当てて攻略するしかなかった。

 オルルド王国の住民は、比較的よく回答してくれていたように記憶している。キャスパーに関しては、インターネット上の人間はマジで誰もプレイしていなかったのではないかと思う。

BBSで好きな人の元カノの名前を名乗る

 高校生になった頃にはhideへの熱も冷め、ゲームをすることもなくなった。何をしていたかというと、恋愛ばかりしていた。いつの間にか『恋愛救急箱』というBBSに常駐するようになっていた。「美和」というハンドルネームだったが、好きな先輩の元カノの名前と言う非常に悪趣味な由来のものだ。
 社会では『鬱』という病名が認知され始めた頃である。私は恋愛で病んだ時に「鬱だ」と書き込んでしまった事がきっかけで、「本当に鬱の人に失礼です!!」と、今でいうクソリパーに付きまとわれる羽目になってしまった。『恋愛救急箱』には、いつの間にか行かなくなった。しかし16歳の私はいわゆるメンヘラで、本当に病み切っていた。「鬱」というより、「思春期」や「抑うつ状態」の方がしっくりくるような気もするが、当時は本当に生きるのが苦しいと感じていた。インターネットに何かを吐き出さないと、息をするのも苦しかった。

魔法のiランドで黒歴史を量産

 『恋愛救急箱』を追い出された私は、『魔法のiランド』のHP作成サービスを利用して自分のHPを作った。キリバンを設置、日記とBBSで毎日自分の思いを発信する事にした。文章ともポエムとも取れないような稚拙な言葉で、自身の中身を吐き出すことでギリギリ生きていられるような感覚だった。
 どうして死にたいのか?どうして苦しいのか?どうして悲しいのか?それらを誰かに読んでもらう事は、いつの間にか私のアイデンティティになっていった。その時「あなたの言葉はいつも優しいね。見ていると元気になる」と声をかけてくれた、一つ上の学年の「よっきゅん」とは、今でもよい友人だ。
 自分が何を書き綴っていたかは具体的に覚えてはいないけれど、よっきゅんから何と声をかけられたかはハッキリと覚えている。その言葉から推測するに、どうやったって頑張れない自分へのエールみたいなものを書いていたのかもしれない。

現実とインターネットが限りなく近づいたmixi

 いつの間にか私にとっての『魔法のiランド』は、『アメーバブログ』に変わった。毎日日記を書くというのは、もはやライフワークになっていた。そして、完全招待制のSNS『mixi』が始まった。
 mixiは、最高だった。これまで限られた人しか見ていなかったインターネットの中に、同級生やバイト先の人間が飛び込んで来た。「同級生が見ているならこれとあれは書けないな、ハンドルネームと本名は使い分けよう」というような事は何故だかしなかった。というより、「やっとみんなインターネットに来てくれたのね!!待ってたよ!!」という感じだった。どんなに寂しくても、mixiを開けばみんながいる。私はmixiが大好きだった。

SNSの棲み分け

 しかしmixiは『サンシャイン牧場』が始まった辺りに廃れ、利用者は『Facebook』や『モバゲー』『Twitter』『Instagram』へと流れて行った。私も一緒に流されて行った。かつてのmixiに変わるようなSNSは、いまだに現れていない。というかもう、一生ない。サービスが増えすぎて棲み分けがしっかりとなされてしまったお陰で、「ここにいけばみんないる!」場所はなくなってしまった。
 私はいまだに寂しくなった時、みんなが書いてくれた「友人からの紹介文」を読んで元気を出す事がある。

ワードプレスで収益化を目指す

 ずっと日記を書いていた『アメーバブログ』は『ワードプレス』に移行させた。「ブログを収益化しよう!」という行為を始めてしまったのだ。これが全然楽しくなかった。楽しくなかったのですぐにやめた。けれどそこで、「収益化できないのに、インターネットで文章を書くことは恥ずかしい」と思うようになってしまった。
 ネットを使って稼ぐ人が増え、承認欲求の殴り合いみたいな光景がそこら中で見られるようになっていた。一方で私はいつの間にかライターになっていた。その事も相まって、私にとって文章を書くことは、ただの仕事になってしまった。

2020年、どうしてhideが死んだのかまだわからない

 2020年。「hide」というワードを検索しまくっていた日々から、22年が経った。私は今年で34歳になる。二人の子供にも恵まれた。優しい夫もいる。最近の夜中は、何をしているか?と言われると、まさかまだインターネットをやっている。小学生の私に話したら、いつまでやってるの⁈ と、泣き出しそうである。
 今、インターネットでは、漫画を読むことができる。映画を観ることができる。アイドルの近況を知ることができる。ゲームの攻略法が見つからない事はないに等しい。仕事のやり取りはすべてネットを介する。ネットには無数の情報が広がっており、当たり前に誰もがその中にいる。多くの情報の中から、真実あるいは自身に寄り添ってくれるものを見つけ出すことがインターネットの真髄である。
 もはやかつての限られた空間だったインターネットの姿はどこにもない。けれどどんなに姿を変えても変わらないのは、いつも私を癒してくれる場所であるということ。あの手この手を使って、どこまで私に寄り添ってくれるのだ、と思うと泣けてくる。

ちなみに、どうしてhideが死んだのかはいまだにわからないままである。

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