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手がかからなかった娘の反抗期に思う、一人ひとりの育児

 定型発達の子と発達障害の子の育児は別物である。というか一緒にしないでほしい。理解されていないんだな、と悲しくなってしまう。どちらが良いとか悪いとかではない。とにかく一緒にしないで、ということを伝えたい。

 ASDとADHDの息子誕生から8年後、娘が生まれた。難しい子だった息子と違って娘はめちゃくちゃ育てやすかった。一切泣かないので「死んでるのか?」と心配になるほど、娘はいつまでも寝ていた。生後1週間ほど経った頃、もしかして噂に聞いたイージーモードの子供なのでは……?と思った。そしてその予想はしっかりと当たった。娘はもうすぐ6歳になるが、これまで苦労したことがほぼない。

 思い返せば息子が幼いころ、悲しい声掛けをいくつも受けた。「発達障害に見えないよ、息子くんいい子だよ」と言われれば、いい子なのにちゃんと育てられない自分が悪いと思ったし、「普通だよ、気にしすぎ」と言われれば、「じゃあ私が変なの?」と思った。息子のことを褒められても、けなされても腹が立った。
 あのとき声をかけてきた人たちに悪意がなかったことはわかる。励まそうとしたのかもしれないし、息子をかばいたかったのかもしれない。けれどそれらは私にとって全てが鋭いナイフのようだった。
 「発達障害の知識をつけてほしい」だなんて言わない。その知識は能動的でないと理解に達しないということを知っているから。ただせめて、「自分の育児」と「他人の育児」を同等にしないでほしい。何がいいか悪いか、何が辛いのかはすべて本人によるのだ。他者が容易に理解できることではない。

 強めの口調で綴ってしまったが、こう思うに至ったのは娘のことがきっかけだった。最近5歳の娘が反抗期を迎えている。
 昨晩娘に「お風呂に入るよ~」といったら「ねぇ、今入ろうとしていたの!」と大きな声で言われた。保育園で「帰るよ~」と声をかけると「迎えに来るの早い! 帰らない!」と逃げられた。ここ1週間彼女はずっとこんな感じだ。気が強く、声も大きい彼女の反抗はなかなかに迫力がある。
 けれど実は原因として思い当たることがある。中学生の息子の変化だ。つまり娘にとって兄の変化、そして家庭内の雰囲気の変化に繋がる。

 息子は最近愛猫のYouTubeチャンネルを開設し、動画制作を始めた。パソコンを使い、夫にあれこれ教えてもらって毎日動画を作っている。何にもやる気のなかった息子が、毎日キラキラと輝いて自分から動いている。もちろん私はそのことが非常に嬉しく、彼の制作した動画は毎度5回ずつくらい見ている。テロップをつけるのを手伝ったり、どんな動画がいいのかアドバイスをしたりもする。そして、今彼のやっていることがいかに素敵なことかということを何度も本人に伝えている。褒められることが少なかった彼の大躍進である。こちらも褒めたくてたまらないのだ。

 話を娘に戻す。おそらくだが娘はこれが面白くないのではと思う。要するに兄の変化をきっかけに反抗期に突入してしまったのだ。彼女は賢く手のかからない子ではあるがまだ5歳。自分よりも兄がたくさん構われているように見えているのだろう。何かしら思うところがあるはずだ。しかし彼女は言葉を一瞬で吸収する力を持っている。スポンジか?というくらい、こちらの伝えたいことがスムーズに入っていく。「大好き、可愛い、あなたのことが大切」と伝えて抱きしめてキスをすれば簡単に機嫌が治るのだ。説得の時間は長くても2分。速攻で声掛けが成功する。誤解を恐れずに言うが、マジ楽勝である。反抗の度合いがちょろすぎる。言葉で娘の気持ちが回復するのなら、何度でも大好きだと伝えたい。

 長くなってしまったが、私は娘と接していると息子との日々を思い出す。あの頃私たち親子に検討違いな言葉をかけてきた人たちは、娘のような子供を育てていたのかもしれないな、と感じるのだ。
 ごめん、だとしたらやっぱり黙っとれって感じだ!笑

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息子の育児についてのnote『惨めな人生』はこちら。


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