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エロスと向き合うこと(石本正の舞妓の裸像)/一日一微発見367

画家・石本正の描く裸婦ほど、見るたびに「どぎまぎした気持ち」になるものはない。
幾度となく観てきたし、わかっているのだが、それはやってくる。

似たものはルーカス•クラナッハの裸婦には時おり同じ感じをうけることがあるが、ルノワールではそれはおきない。それらは、ふくよかで、美しい裸体であっても、石本の裸体にはエロスでは敵わない。

石本の裸体は「見てはいけないものを見てしまう」ような「禁断」の感覚をもたらすのである。

劣情を引き起こすポルノグラフィックな裸体画すれすれでありながら、エロスから目を逸らさず、直視し、描き尽くし、真ん中から突破する。

石本正の著書『絵を描くよろこび』は、僕の愛読書の一つである。彼の絵に対する思いを綴った短文がいくつも収録されており、これを読めば、彼が京都の風景や罌粟などの植物、そして舞妓や、イタリアのフレスコ画やロマネスクへの思いなど、彼の作品を考える時の全ての要素が語られているのである。

石本正は、自分が絵を描くことに、何ら「言い訳」をしない。理屈に逃げない。
彼が女性の「うつくしさ」を心から絵にしたいという思いの告白があるばかりだ。

しかし、だからと言って、これらのコトバを読んでも、石本正が描く裸婦たちのエロスの芯は、掴めない。
石本正の深いエロティシズムをコトバにできないもどかしさ。
石本の裸像を見て見ぬふりをして沈黙してしまっている者のなんと多いことか。

京セラ美術館での閲覧会には、浜松の秋野不矩美術館にはなかった作品もいくつか出ていた。

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