僕編5章

「インタビュー術」と「文章術」/僕たちは編集しながら生きている 5


※このマガジンは、後藤繁雄が1996年から続けている「スーパースクール」のスクーリングの内容をもとに、2004年に初版出版された「僕たちは編集しながら生きている」の文章を加筆修正し、2010年に出版した「僕たちは編集しながら生きている・増補新版」の文章をそのまま掲載しています。年代やプロジェクト、事例はその当時のままとなり、現在は行われていないものもあります。


※別ページでの解説、「注釈欄」はこのマガジンでは省略します


※このマガジンに使われているスクーリングの内容をアップデイトした形で、現在も「スーパースクール」は、DMMオンラインサロンを利用した東京スクーリングと、浜松スクーリングを開催しています。詳細は、後藤繁雄のHPをご覧ください。

01 インタビューするためのレジュメ公開


 今日は、「インタビュー」と「ライティング」についての話をしようと思います。編集の仕事について話したときに、編集の過程には、情報の「収集」「加工」「提供」という三つのプロセスがあるということを話しました。

この 「収集」の部分にあたるのが、インタビューです。

僕はもともと吃音だったので、しゃべることに障害がありましたし、子供の頃からまわりを観察していて、人間というのは何を考えているのかわからない、うす気味悪いものだと思って育ちました。

まさか自分がインタビューをすることになり、もう1000人以上はやっていると思うのですが、他の編集者に比べたら、すごい数のインタビューをして、インタビュー集も出すなんて、まるで考えていませんでしたね。まあ、リハビリというか、苦手なことをやってると、逆に、それが仕事になってしまうというのが世の中にはあるようで、何だかパラドキシカルですよね。

だから、必要以上によくしゃべったり、人の表情や、心の機微を読み取ろうとする人に会うと、「ああ、この人も吃りなんじゃないかな」と思って、あとで聞いてみたら、そうだったんだ、みた いなこともよくありますよ。 


 さて、 インタビューのことについては、前にリトル・モアから出した 『独特対談』のあとがきでずいぶんしゃべっているので、そちらも見て欲しいんですね。

もうずいぶん長くインタビューをしてきたので、最近は「インタビューをやってください」という仕事もいただくんですが、未だに自分がインタビュアーとして向いているかどうかは、よくわからないのです。そうそう、『独特対談』の帯でも、坂本龍一さんが、こう書いています。ちょっと引用してみましょう。

後藤繁雄は不思議な生き物だ。 男性とも女性ともいえない。

かといって中性という訳でもない。もしかしたら、人間じゃないのかもしれない。地球のいろんな所にいる。どこにいても同じ目をしている。少し牛の目に似ている。

髪はオットセイみたいだ。いつも同じものを着ている(ように見える)。いつも口のなかで、何かモゴモゴ言っている(ように見える)。たくさんインタビューしているくせに、ちっともインタビューがうまくならない。から、心配になってたくさんしゃべってしまう。私生活が分からない。 

分からなくて も、仕方がないと思ってしまう。幻想文学とかの知識がすごくありそう(に見える)。日曜日には和歌を作っている(かもしれない)。料理はできるのか? 全然分からない。分からないことが多い。

しかしひとのことは分からない。分かっていることは少ししかない。不公平だ。ぼくもたくさんぼくのことを後藤繁雄にしゃべってしまった。とりかえしがつかない。後藤繁雄はたくさんぼくのことを知ってしまっている。彼の記憶を消すことは、できないか?


 いや、そのとおり、坂本さんは、よく僕のことを見てくれているし、見抜かれちゃっています(笑)。

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