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小林秀雄対談集『直観を磨くもの』を、再読しなが考える/一日一微発見446

橋本治は信頼・共感できる「物書き」の一人であった。彼の美術論『ひらがな日本美術史』は、コンテンポラリーアートはあつかってはいないが、古今をとわず、絵画というものに対するすぐれた「まなこ」にあふれていたし、他の著作のいずれもが、触知に導かれた知見の産物であった。

なかでも、彼の著作『小林秀雄の恵み』は、小林秀雄賞をもらった「縁」で彼が、小林秀雄の「本居宣長」という江戸の国学者をあつかった晩年の大作に、まっこうから挑んで分解してみせた快著であった。

重要なポイントは、橋本が自から「あと書き」で記しているように、橋本の問題意識は、「小林秀雄を必要とした日本人」というものが何だったのか、という「メタ的な思考」にある。

あらためて言うまでもなく、小林は中原中也らとまじわり、ランボーの詩の翻訳で始まった。戦前にはフランス語を大学で教えていたこともあり、純潔な「伝統主義者」ではない。

日本の評論家として権化であり、今では全くそうは見えない小林もまた、日本という歴史に対してアウトサイダーの立場からやってきた人間であったのだ。
さらに彼の批評は、「議論をふっかける」ところから始動していたがものであったが、戦後、『無常という事』に収録された「當麻」(「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」という文章で知られる)や「西行」にお
いてモチーフを日本に移した(しかし、決して日本や伝統への回帰ではない)。
けれど彼の批評の万能包丁は、基本的にベルグソンでありヴァレリーであった。

僕はことさらに「批評家」を肩書きとして名乗ったことはないが、批評は不可欠なものであると深くキモに命じている者だ。
それは編集というものが、「コトバと絵とアタマ」をいかにつかう職人であるか、ということでできていると思うからである。

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