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京都のお寺で宗教とアートについて考えた/一日一微発見270

宗教とは不思議なものだ。
どの宗教も中心には「信」と「救済」があるだろう。
なぜなら人生とは「苦」に満ちたものだからだ。
そして、そのシステムを提唱した「教祖」はたいていの場合は、とっくに死んでしまっているのに、「教義」や「教団」が残って一人歩きして成長していく。

「聖書」が「教典」は変わらないにしても、たいていの場合は「弟子」なるものが教祖の「教え」を引き継いで「発展」させる。
いや「発展」というより「上書き」して、別のものへとトランスフォームしていく。

マルクスだったかが、「宗教はアヘンである」と言ったが、宗教はこの憂鬱な世界を忘れさせてくれる人類の必需品だったろう。
そんなものに頼ってはダメだと唯物論弁証法の人は思っただろうが、そんなに話は単純ではない。
アラブやアジアを見ればよい。
21世紀ははっきりと宗教が大きな力をもつ時代なのだ。

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