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アート思考と「神通力」について(新年にあたって)/一日一微発見275

2022年新年にあたり、今年こそは大きな宿題になっている「アート思考」についての本を書き上げなくてはならないと強く肝に命じている。

「アート思考」はアーティストの頭の中で起こる思考だが、それはロジカルシンキングの限界を破るものとして、今、ビジネスワールドから熱い視線を送られている。

それは単に、ピカソのような「天才」の頭の秘密、創造の秘密ではなくて、アートの価値生成(アートマーケット)や「ソーシャリー」な諸矛盾問いの生成、「いのちや自然」についてのヴィジョン生成など、現代社会を前に拓く「Becomming」(来たるべきもの)を生み出す思考として期待されているのだ。

僕の持論は、アートとビジネスを分離して考えたり、ビジネス的にアート思考を「使いやすいように」整理しようと言うものではない。

もちろんクリエイティブなビジネスはリスペクトしているが、僕は「来たるべきもの」「来たるべき価値生成」を考えたときに、アートは通常のビジネスよりはるかに強力な価値生成を持っているので、未来の価値(来たるべきもの)を考えたときに、「アート優位」と言う立場を主張している。

クリストからオラファー・エリアソンにいたる巨大アートプロジェクトや、ジェフ・クーンズから村上隆にいたるファクトリーシステムによる作品制作のイノベーション、カウズや名和晃平にいたる3Dデータによる立体作品やエディション制作、そしてハイブランドと組んだ価値生成、そしてNFTアートのプラットフォーム戦略など、挙げたい事例はたくさんある。

ここでは、いちいち説明は省くが、ここではまず、これら「アート優位」の事態の背後に社会の大きなシフトがあることを指摘しておかなくてはならないと思う。

これはテクノロジーやシステム開発が先行し、それを使って何ができるのかということが常に後追い的に問われる時代になった、ということ。

それゆえに、どんな局面においても「アート思考」のようなブレークスルーな思考がができなければ先にいけない時代になっている事。
そのことが多くの人に、どんどん気がつかれているということなのだ。

どんな便利なツールやシステムが与えられても、それを上回る独創力がなくては、AI時代に、生き残りに不可欠になってしまった。

写真機と言うツールは万人に与えられているにもかかわらず、なぜある人は「作品」として評価され、またある人は「コマーシャル」として成功する「神通力」を獲得できるのだろう?

ある人はうまくいき、ある人はうまくいかない。ある人は価値を生成でき、ある人はできない。これは昔からある基本課題に思えるが、テクノロジーが進めば進むほど、この基本のことが強く前面に押し出されてくるようになることをしめす。
これはあらゆる局面で発生している。

そんなこともあって、オンラインコミュニティでも、A&E、つまり「アート」と「編集術」を組み合わせて「うまくやる」ことを身につけるプログラムを行っているが、沢山の人が参加してくれているし、僕自身も、日々プログラムをアップデートしながら進めているというのが実感である。

固定されたメソッドや、古いイデオロギーや精神主義ではなく、プログラムもまた、実践をフィードバックさせた、アップデート型でなくては全く用をなさない。

新しい事態に古い思考では対応できず、つねに新しい思考で対応しなくてはならない。これは前に行けば行くほど顕著だ。

年末にこのnoteでも、アート思考と「直観」について書いたが、やはり人間を磨く回路なくして、アート思考も起動しない。

僕はコンテンポラリーアートという「最先端」のものに向かうにあたって、個人的には同時かつ常に「(超)古代」や「自然」に向かいながら未来を思考することを日常的な修行としている。僕にとっては楽しい毎日の修行だ。
例を挙げよう。

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