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たまには、本の修行時代のことについて書いておこう01/一日一微発見115

数日前に、コロナで閉じこもっている時間を使って、2日ががりで、この40年間に編集したり、執筆した本のリストを作ったら、230あった。

写真集や自著など、全て含めてだ。
よく働いたもんである。

僕は印刷物(プリンテッド・マター)に魅かれてきた。

絵は子どものころから好きで、描いていたが、小学生の時に描いた絵が児童誌『きりん』に載ったり、中学生の時にクラスの卒業アルバムのページを担当することになって、写真を切り抜き、コラージュをつくり、印刷されたので味をしめたのだと思う。

絵は大きくてもち運べないが、印刷物だとカバンに入るし、人にも見せることができる。
言語障害だった僕にはぴったりのオブジェだった。

僕の、本作り、印刷、編集への道は、京都で始まった。

大学に入ってすぐに友人と、シルクスクリーン工房のようなことをし出した(夢遊猫舎というアングラ劇団のような名前である)。
学生運動が占拠していた建物の中の教室を、勝手に改造して工房にして、ライブハウスなどからポスターの注文をとってバイトにしたのだ。

また、パンフレットの表紙はシルクの多色刷りでつくり、本体はガリ版でつくっていた。

「ガリ版」なんて、もう死語だろうね。今は信じられないぐらい便利な世の中だが、初期衝動は、今も同じ。
やりたければ、勝手に作ればいい。

「本はくらいおもちゃである」とは、作家・稲垣足穂のコトバだが、僕にとっての印刷物は、まさに頭と目の「遊具」になっていく。

本は子ども時代から「くらいオモチャ」として、いつも読んでいたが、小説よりも散文・短編が好きだった。

小学校では、SFの文庫(ブラッドベリやフレデリック・ブラウン)中学生では、澁澤龍彦。高校ではベケットにはまった。
早熟な友人にめぐまれていたので、夢野久作『ドグラマグラ』や、埴谷雄高『死霊』、武田泰淳『富士』を一気乱読した。

僕はすべて偏学で、独学だ。

美大にも写真の学校にもいったことはない。文学部だが、ほとんど授業にはでず、ブルース喫茶で一日中本を読み、金がなくなったら印刷屋でバイトし、8ミリカメラを持って、船に乗って沖縄を旅していた。

印刷物にまつわるコトバやレイアウト、印刷の知識は、学生時代に印刷屋でバイトをしていた時に、見よう見まねで、自習したものだ。
そして印刷屋での編集物の仕事がさばききれなくなって、バイトよりいいかと思って、マンションの一室を借りた。
20歳の時だ。

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