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頭の固い能天気

テレビの何がつまらないか?それは“やりたいことができない現状”だった。“やりたいことができない”ということが、僕にとっては“テレビ=つまらない”になっていった。

ではナゼやりたいことができない現状になったのか?

そもそもボクの“やりたいこと”とは何か?

そこらへんから説明しておこう。

ボクの“やりたいこと”それは「人の密着取材」。とどのつまり、“人生の深堀り”だ。
一人ひとりちがう人間が、どのようにして形成されたのか?それを逐一知るのが本当に面白い。時に自分の概念の外からはみ出た発想や、ありえない角度から押し寄せてくるエピソード。聞いても聞いても飽きない。だから僕は紀行 エッセイが好きだ。

「家ついていっていいですか?」や「あいつ今何してる?」など、ナゼか疑問文タイトルの番組もそういった意味で、一通り大好きだ。

私はもともとはただテレビ(バラエティ)が好きだから入ったテレビ業界だったが、ドキュメンタリー志向の強い先輩のおかげで、どんどんこの沼地にのめりこんでいった。

これがやりたくて、これをカメラにおさめたくて、今仕事をしてると言っていい。しかし、ボクの思考とは裏腹に、番組はそれを許可してくれない。

ナゼか?

それは「視聴率」が取れないからだ。

不満のはけ口のようになってしまうが、まず口を開けば「視聴率!」これがテレビの伝統であり、ルールだった。
「過去@@で視聴率が取れなかったから…」たったこれだけで、ボクの熱は冷めきってしまうのだった。

やる気があればいいというものではない、まずは取材先に視聴率が見込める人材か。その第一関門を突破しなければ話にならない。しかし、僕には人材なんてどうでもいい。深堀さえすれば、みんなおもしろいのだから。

視聴率には歴代のテレビ戦士たちも、永遠に悩まされ続けている。
絶対的な法則がないからだ。

だからボクは上記の「過去@@で視聴率が取れなかったから…」に納得がいかない。その視聴率が取れなかったからの理由が「題材」ではない可能性も否めないからだ。もちろん、過去の集計データの信ぴょう性は高いのだろう。それでも熱のあるものは時として常識を覆す。テレビはこのまま熱のない平凡なVTRのままでいいのだろうか?

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