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40日目〜自分って何者?〜

こんばんは!

ふと思い返すと一切自分のことを話さずにここまできてしまったので、
勝手に昔語をしようかと思います。
たわいのない話になると思うのでもし読んでくださる方は
さらさら〜〜とお読みください🙇‍♂️

生まれ〜幼少期

生まれは大阪府守口市?だったと思います。
病院名は全く覚えていません。

育ちは大阪府吹田市。
太陽の塔の麓で21歳まで過ごしてきたので、
太陽の塔や万博記念公園、今は亡きエキスポランドが大好きでした。

少々厳格な父と少しだけ固いけど心優しい母と頑張り屋さんの兄の4人家族でした。家族は比較的仲が良く、今でも4人で酒を交わして夜通し話し合う仲です。

末っ子だからか、非常に愛情深く育ててもらい、決して裕福かと言われるとそうではなかったですが、不自由なく温室でゆくゆく育ち、非常に内気なインドアタイプの自分が出来上がってきました!

幼稚園は私立でめちゃくちゃ大きいジャングルジムのある幼稚園に通わせてもらい、習い事も体操と水泳(9年間もするとは思ってたですが、それは別のお話で。。)もさせてもらい、今でもアルバムを見ると楽しそうに過ごしていた記憶がなんとなく思い返えせます。
この頃から非常に涙脆く、卒園式の日に担任の先生に泣きすがっていたのは覚えているくらい。。
流行りだったのか終始、おぼっちゃまカットでしたね。。

少し、振り返ると
本当に幸せで優しく包まれ育ててもらったんだなって改めて思います。
大きな苦労もせず、やりたいこともほしいものもなんだかんだ与えてもらい、それが勝手に当たり前になっていたんだと。
優しさが無償でかつ、不自由なく過ごせることって本当にすごいことで
それを稼ぎ、支えた父と母まぎれもなく今でも尊敬できる二人です。

そう思うとこの幼少期で不自由なく過ごせたこと、後々感じる
両親への尊敬の礎がこの瞬間から出来上がっていたんだと思います。

無性の愛情や与える気持ちは覚悟なくしてなしえない

誰しもが「誰かのために」という気持ちで過ごしたいとおもっているはず。
その方か美しいし、なにぶん他社貢献という甘美なものを体験できる。

でも本当の「だれかのために」という気持ちは本当に難しい。

なぜか。

それは少なからず、自分の利益を求めてしまうからだ。
「誰かのために」することでその人から何かしらの見返りがもらえるかもしれない、その恩はどこかで巡ってくるかもしれない、いいことしていれば周りからよく見られるかもしれない。
そういった感情はどうしても存在してしまうものだと思います。
自分も何かを相手に与えるとき、何かをギブした時、どうしても見返りを求めてしまっていることの方が多いです。。

じゃあ、真っ白な「誰かのため」に何かをするにはどうすればいいのか。
それは

覚悟と諦め

だと思います。

何も見返りのないことをすると言うことは自分に益がない可能性がある。
それでは「誰かのため」に何かをする。
それは何も求めない覚悟が問われる気がします。

また、そんなみかえりなんていらないっ!という放棄、諦めも必要。

ようはそこに自分の感情を入れる余白も持たずして

他人のために自分を行使する

そしてその誰かの一歩や成長を楽しめる心を育む必要があると思うんです。

ほんとそれができる親という存在は偉大だと改めて想い。

自分もそんな親としての心を持ちたいと決意した振り返りでした。


ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

毎日、大事だと思うこと。学んだ素敵な感情を綴って
一人でも多くの人が前に進むきっかけになれればと思ってます!

毎日頑張りますので、よければ応援お願いします!!


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