88/366 評価というバイアス
おはようございます!
今日も書こうと思うのですが。
タイトルに思い至った考えを残しておきたいと思います。
昨日、初めてコストコに行ったんですよね。
本当にテーマパークのように楽しい場所ですね!!
この量でこの値段!?、日曜日なのに試食がたくさんある!、試食でこんなに美味しいなんて!?、食品以外もたくさんある!
本当に楽しい時間で・・・
ただ、だいぶと余裕を持って行ったのに一瞬で時間が過ぎて、その後予定していた打ち合わせの時間が迫ってくる・・・
コストコの人多さを考えておらず外に出るのに渋滞・・・
結果、時間に間に合わず予定を変更してしまう事態に・・・
時間がないからこそ焦って家族に冷たい対応をとってしまう。
他にも、子供たちが走り回るところを怒鳴り起こってしまう。
結果として、楽しい時間と自分の器の小ささを痛感する1日になったんです。
それがなぜ起こってしまったのか・・
それは『評価』でした。
・時間を守れていないという他人からの評価
・子供を躾けれていないんではないかという周りからの評価・目線
そんな評価を気にする必要性はないのにも関わらず気にしてしまう。
ただ、この評価や比較というバイアスのようなものはどこにでも存在している。
そして、それに振り回されてしまっている人は多くいる。
人は自由だ。
結局に何やっていてもいいはずなのに。
その評価のバイアスから抜け出すには・・
今の自分で考えれるのは。
今の自分を認め、いいと思ってあげること、まあそんなもんだと諦めること
最近、呼んでいる絶対悲観主義に通じる考えかもしれない。
考えても行動につながらないといけない。
でもその意識を持てるとほんの少し気が楽になりました。
今日1日、そんなもんだと思いながら進んでいこうと思います。
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