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働いていると本が読めなくなるのは人生に余白が足りないから


社内でダイバーシティ推進のコミュニティで活動している。社内に多様性への理解を促す情報発信をしたり、イベントを企画したりして、多様性を受け入れる文化の醸成を図っている。

しかしだ。
反応してくれる人、理解を示し協力してくれる人は、いつも同じ人だし、ある一定の割合から増えないのだ。発信が進めば認知も進んでいるはずで、知らないわけではないだろうに、なんか広がっていない感があるのだ。

なぜか。
その答えがこの本にあった。


働いているとなぜ本が読めなくなるのか。
それは、今の社会は全身全霊で100%仕事にコミットするよう強制してくるから。
その状態はシングルロールで生きることを強いられているということ。正社員であれば仕事に、主婦であれば家事に、母親であれば育児に。
資本主義社会は100%コミットを求めてくる。いろんなことが際限なくこっちを見続けてと叫んでくる。SNSがいい例で、とにかくずっと情報を流してくる。仕事だっていまだに長時間労働が評価される傾向にある。夫が仕事に全身を注がなければならないから、妻は家事育児する人としてのシングルロールを割り当てられる。

シングルロールは楽である。自分の役割をひとつに絞り込み、それだけをこなせばいい。責任の所在が明確で、やるべきこともわかりやすい。慣れてしまえば脳が自動思考してくれるから、そこに疑問を持たなくて済むようになる。
でもシングルロールは危ない。バーンアウトを引き起こす。投資と同じで、一箇所に盛ってしまうとそこが崩れたらすべてがなくなる。ギャンブルだ。
崩れないように補強する。仕事のための情報だけインプットする。仕事に関係のない部分はノイズになる。ノイズは仕事の邪魔である。ノイズは排除したい。
そうして、本が読めなくなる。本には欲しい情報以外のノイズがさし挟まれている。それが知識や教養と呼ばれる部分なのだが、とにかくそれはノイズとなるから、知りたいことだけ知れればいいと思うと、読書は面倒になる。要点だけ押さえた要約サイトや解説動画を見た方が良いとなる。

つまり、そのように仕事するよう社会によって強いられてしまっている人にとっては、多様性への理解というのはノイズでしかないのである。多様性が重要なことは知っている、けれど、自分のロールを果たすにおいてはノイズなのだ。

でも本当にシングルロールで生きている人なんていない。
スーパーの提唱したライブキャリアレインボーというキャリア理論では、人は生涯で9つの役割を持つ。子供、学生、余暇人、市民、労働者、配偶者、親、家庭人、年金生活者。人は人生の多くの時間で複数の役割を担っている。
労働者でしかないことはなく、市民であり、子どもでもあり、結婚していれば親や配偶者でもあるだろう。
人は皆マルチロールなのだ。

ではどうしたらマルチロールであることに自覚的になれるのか。
まず自分の状況にきちんと疑問を持つこと。社内では長時間労働が慢性化してるかもしれない。それが当たり前で変えられるものとも思っていないかもしれない。でもそれはその会社の中だけのこと。外へ目を向ければ違う働き方をしてる人はごまんといるのだ。
マルチロールを実践するのは大変だ。役割を切り替えたり役割の割合を調整するのは面倒だし複雑である。だから仕事とプライベートの両立は進まない。だって仕事だけしてる方が楽だから。
100%の時期があってもいい。そういう時期もある。例えば就職したての頃、仕事を覚え慣れるのに精一杯。例えば第一子の出産後、親として育児に慣れるのに精一杯。でもそれが永遠に続くわけではない。常に環境は変化している。
仕事に慣れる、新しい人間関係が生まれる、結婚する、子供ができる、親の介護が必要となる、病気になる、転職する、退職する…
変化に対応するのは大変。慣れた環境にずっと身を置きたいと思ってしまう。脳は変化を嫌うため、変化したくないと抵抗を覚えるのは自然なこと。
でも、だからこそ、節目では疑問を持つべきなのだ。このままでいいのか?変化の時じゃないのか?疑問を持つと立ち止まれる。視野が広がる。俯瞰できる。
そうすると、余白が生まれる。私たちは余白によって他者の文脈に目を向けられるようになる。それはお互いの理解につながり、豊かな人生につながる。

ダイバーシティを理解し受け入れる第一歩は、自分自身のライフロールの多様さを知ることからなのかもしれない。


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