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#46 猫の日。

何年か前の今日。

専門学校で音楽を教えてもらっていた先生が死んだ。

32年生きてきて、こういう直接的な表現を使ったことがなかったけど

本当に衝撃的すぎて
僕の中では亡くなったとか逝ってしまったというレベルではなかった。

本当に死んでしまったのだ。

その日はたまたま専門の友達と一緒にいた。
mixiか何かのニュースを見て
間違いであって欲しいと何度もニュースを読み返した記憶がある。

各所から届く
村田和人の訃報。

今日は村田との思い出を書こうと思う。





専門学校での村田の授業は必修ではなく選択。
火曜だったかの2コマ。
暇だったらおいでっていうスタンスだった。

ほぼ毎週受けた。

とにかく村田に会うのが好きだった。

村田は、呼び捨てが正解だった。

毎回アロハシャツだった。

挨拶は眉毛を上げてチィーッス!だった。

ギターを入れるソフトケースには
エレキみたいな薄さのアコギと
傘が必ず入ってた。

病気の関係で米が食べられなくて
毎日2袋ピーナッツ食ってた。

ツェッペリンが好きだった。

コーラスが好きだった。

授業では毎回ライブを想定して
「それでは聴いてください」で締めるMCを全員がやった。
反応に頼らないように背中を向けてやった。
村田は反応をめちゃくちゃ見ながら前を向いてやってた。
手持ち無沙汰って語感が手乗り豚さんに似てない?と言ってた。
反応できなかった。

毎回1曲1時間で覚えてコーラス分けをして歌った。

村田がギターでコードをループして
出なくなるまでメロディーを作った。
出なくなってからがオリジナルだということで
頭が真っ白になってもやった。

作曲は部屋に籠ってテレビ投げたくなるまで作ることを教わった。
大体のメロのパターンを作ったし、聴いてきたから
どんな音楽を聴いても、もう衝撃はないらしい。

村田バンドのベースが絶対音感でヘルツまでわかるのに
歌はフラットしてる話を聞いた。

フラットしたら眉毛を上げるといいと聞いた。

奥さんが足の小指をぶつけると全部村田のせいにされる話を聞いた。

ラジオで偉い人をいじって、とある団体から追いかけられた話を聞いた。

山下達郎の話も沢山聞いた。

杉真理の話も沢山聞いた。

簡単に弾けるコードを沢山教えてもらった。
優希は今年のSSWコースで1番良い曲を書くねと褒めてもらった。
どんな方向性でいくか迷っていた時に
Stephen Bishopを勧められた。(写真はそれです。2007年9月16日)
コードアレンジで迷ってた曲を村田に相談したら
その場ですぐ色んなアイデアを出してもらった。
その後、村田がリリースしたアルバムの1曲目に
その曲と全く同じコード進行で全然違うメロの曲が収録されていて
めちゃくちゃ粋だなぁと思った。

圧倒的な楽曲センスと存在感だった。

とにかく音楽の人。ライブの人。

太陽みたいな人。

また、アドバイスもらいたかったな。

今生きていたら
この時代をどう生きていたのだろうか。

そうだ。

つるの剛士さんが
村田の曲をカバーしてたよ。
嬉しかったなぁ。

村田の音楽が今もこの時代に残ってる。

すごいことだ。

僕も村田の意志を継いでいけるだろうか。

時間がかかってでも
自分の音楽を信じて
音に、まっすぐ向き合っていこうと思う。

ずーっとずーっと夏。

今日は、初夏のような暖かさだったな。




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