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嫌いな自分をアンインストールして、好きな何かをインストールしたいモンダイについてその1。


こんにちはー。
心理カウンセラーの市川亜希子です。



ええ、ええ、みなさん!

わたくし、改名いたしました。




いままでは「カウンセラーのイチカ⋆ドーパミント」と名乗っておりましたが、本日より本名でカウンセラーやってまいります。


それまで、本名だとインパクトねーなーとかおもしろくねーなーとか(関西気質)でもなー…なんか違和感あるんだよなーって、


いろいろごちゃごちゃ考えて考えて、Twitterで相談さしてもらって出した答えです。



(我ながら、アンケートの選択肢に「なんでも愛してる」って文言入れたのは素晴らしかった。)


(なんでも愛してもろてる私100%。最強の愛をもらった。ありがとう。)



(Twitter、ホンマにいつも力をもらってる。)



そんなわけで、我が師匠の弟子となった2020年より、ずっと愛しんで名乗り続けてきたカウンセラー名とお別れしました。



さらにさらに、本気でカウンセラーやっていく腹をくくりました。


どうぞみなさま、一介のホモサピエンスの雌である私ですが、引き続き愛させてくださいねー!




さてさて、我々ニンゲンの行動には、必ず理由がありますね。



なにかしらの理由で感情=こころが動いたから、からだもつられて動くんです。



そんなわけで、私が改名したことにも動いた感情があったんです。



今日はそのことについておはなしさしていただきますねー。



我々のこころには歪が存在する


さいきん、こんなツイートをしましてね。




自分のなかの「歪〈いびつ〉」をたのしむ。


ってのはどういうことかというと、


あー正しくないなー
あー美しくないなー
あーおかしいなー
あーモヤモヤすんなー
あーこいつキライやなー
あーそんなこと感じてる自分が小さくてみっともねーなー
あーなんかもうー…(イライライライラ)


これらぜんぶ歪。



ポジティブじゃない感情、美しくない状態、それぜんぶ歪。


くねくね、ぐねぐね、ごちゃごちゃ、ぐるぐる、もやもや、ぐちゃぐちゃ、ドロドロ、ねちゃねちゃ、


すこーんと晴れた晴天やぱきーんと純粋なクリスタル以外、ぜんぶ歪。



女性性はほぼ歪


曖昧にお茶をにごす、好かれたくて受け入れる、うその笑顔を浮かべる、



はっきりさせない、おためごかしする、あなたまかせ、


好奇心にしたがって結果を出さないまま次々手をつける、


さっき言ってたことといま口に出したことが正反対、


からだの曲線、


これらはぜんぶ歪。



歪である私は醜い。正しくない。美しくない。


こんなふうにぱきっと即決したくなるのは男性性。



みなさんご想像しはったように、私は自分の歪=女性性が大嫌いでした。



私の男性性は私の女性性に対して、



「もっとこう、まっすぐシンプルにわかりやすくかっこよくさならんもんか、めんどくせえなー」


ってずっとねちねち叱ってたんです。



それが最近、小さくなってた女性性が反撃を開始しはじめました。



理由は、男性性が育ったから。


(男性性の育て方はこちらにちょっと書いてます。褒め日記。)



男性性が育つと女性性は自由になる


あらそうごめんねー
めんどくさくてごめんねー
わかりづらくてごめんねー
ややこしくてごめんねー
ぐちゃぐちゃしててごめんねー


こーんなあたしといてくれてありがとねー(我が家のアイドル最高の笑顔)



みたいに、女性性だけが持ちうる長所を使っての反撃です。




女性性のすごいところって、ぜーんぶ巻き込んじゃうところなんですよね。



どんな形式のものでも、まとめてくるっとふわっと包み込んじゃう布地のよう。



女性性が持つ最強の魔法、「つつみこむ」


これに勝てるものは世の中に存在しません。


だってさー、どんな武器も魔法も無効化するのよー。


どんないじけも拗ねも罪悪感も無価値観も、ふわっとしてくるっとしてきゅきゅってしておっしまーい、よー。


そんでもって
いただきまーす♡



ふろしきはバーキンより使い良い、っていうもんねー。(知らんけど)


男性性を育てられないのは、父への愛だったりする


いままでは私の女性性がそのままでいると、私の男性性がねちねちスネ夫みたいにイヤミを言ってきてましたけど、


男性性が育ったことで、私の女性性は遠慮することがなくなりました。


男性性のプライドを傷つけてはならない=嫌われたくないから、私はちっちゃくなってなければならない、という遠慮がまー、きれいさっぱりと。


(ここには父や弟や息子、恋人へのおそれがあります。それらについて書いた以下の記事があります。)


遠慮っていうか、愛しているようでこれは侮って馬鹿にしていることにほかならないのですけれどねー。


それがわからんかったのです、あたくし。



男性性の大きい愛を、からだの隅々まで身を以て識るための修行やったんですね。


おそれいりました、小そうございました、私。


そんなわけで、好きに生きるよー!と決めたとたん、愛しかなくなりました。


好きに生きさせてくれる世界に感謝しかなくなりました。



その、愛と感謝のなかには歪が含まれています。



ねちねちどろどろもやもやぐちゃぐちゃにもあいらーびゅー、あぴりしえいちゅー、べりーさんきゅー。


歪を歪のまま、コントロールすることなく受け入れたい、愛したい。


そのために私は、本名にもどる必要があったんです。



その2につづきまーす。





ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。