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父が亡くなって1週間になる。



81歳だった。骨がすごくしっかりしていた。


お盆の山のなかの火葬場にて、大転子とはこんなにもまるくかわいらしくかつ力強いものであったか、と感嘆しつつ、


我が父の生命力に思いを馳せた。



実家を出てもう30年ちかくなる。


父と暮らすより、大阪で暮らした時間の方が長くなった。


にも関わらず、私は駄目になった。


諸用はすべて弟がやってくれた。
私は親戚に電話をし、やさしいひとたちにはげまされ労われただけだった。


かつて私が母の葬儀で伯母たちに助けられたように姪たちに接して、伯母への恩返しができたように思えたけれど。


ひとりになると涙が出る。


ふと思いついて父に電話をしようとして、もういないことに気づく。


母のときに私は泣くことができなかったから、これは父がその分泣けと言っているのだろう。


やたらと親しい人を見送って手を振る老爺が目につく。


もうすぐあちらへと旅立つ父が、みなさんの姿をお借りして「じゃあな〜」と手を振っているように思える。




38年前に母が亡くなったとき、10歳の私は母の代わりにならなければならないと思った。


朝早く起きて掃除して洗濯して食事をつくって内職をしていた母、


いつもおもしろいことを見つけて私たちを笑わせていた母、


いるだけでそこが明るかった母の代わりにならなければ、と。


母がいなくなって暗くなった部屋に呆然としていたのは、父や弟だけでなく私だっておんなじ、


そこに気づいたのはほんとうに最近のことだった。




父が旅立ってすぐ、息子がひどいいじめにあっていることを打ち明けてきた。



仲間とたのしくふつうの高校生をやっていると思っていたが、そのうちのひとりに犯罪レベルのことをされていた。


いろいろ手を尽くしたが、結局警察に駆け込んだ。


てめえこの野郎、うちの可愛い息子になにしてくれてんねんクソカス、親子そろってブチ殺したるぞゴルァ、


っていう気持ちを社会にあわせて、あわせて、あわせて、あわせて、


でも消えない。


いろんな人を頼って息子の安全と高校生らしい生活は確保し、息子自身もほんとうに信頼できる友達を認識した。


彼はとても成長した。



でも、消えない。



なんでうちの子がこんな目にあわされなきゃならんのだ。


なんでうちのおとんがいなくならなきゃならんのだ。


なんでうちのおかんはあんなにもはやく逝ってしまわねばならんかったのだ。



ふざけんな。返せ。



うちの子の恐怖のツケを払え。


おとんを返せ。


おかんを返せ。


あたしのしあわせな時間を返せ。



こんなにも歯を食いしばって、どつき回したい気持ちやブチ殺したい気持ちをおさえて、


大人ぶって社会人ぶって親ぶっているあたしの時間をなんとかしてくれ。



こんなにもオンナでいられない、暴れて鬼ババアみたいになっているあたしの醜さをなんとかしてくれ。



スマートにスッとお綺麗に生きれないあたしをなんとかしてくれ。




弟が父のアルバムからむかしの写真を送ってきてくれた。



高校生くらいの父が海に浸かって笑っているものがあった。


息子は私にも元旦那さんにも似ていないのだけど、


その若い父の写真は息子そっくりだった。


息子は、私に、父を助けさせてくれたのだろうか。


父を助けたかった私、母の代わりになりたくてなれなかった私の無念を晴らさせてくれたのだろうか。


父に降りかかる災難を払い除けたかった。


息子に降りかかる災難を鬼ババアになって払い除けた。



災難なんて、ほんとはないんだ。
役に立ちたいあたしのこころが呼び寄せた。


息子はほんとにしっかりしてきたし、自分と仲間と社会との世界をあたらしく構築しはじめた。


父の無念があるとしたらきっと、息子が乗り越えてくれるだろう。


父のやり残したことがあるとしたらきっと、息子が形を変えて消化してくれるだろう。


そして、それらはきっと、私がすでにやっている。


自分でやっているから気付けないけれど。


息子が生まれてきてくれたことで、形として見ることができている。



世界はふしぎだ。遺伝子ってふしぎだ。



息子はあたらしい自転車を買ってもらったその翌日、何時間かかけて大阪港に行った。



父の遺品の写真には、横浜の港がたくさん写っている。


父の生きたあかしは、私が持っていたんだ。



だから。
自分を大切にすることは、父を大切にすることにつながる。



自分の人生をほんとうに生きること。



短いことばだけど、とんでもない旅路がひそんでいるよなあ。



父へ感謝

地図の上に2000年前の地形を書き込む愉しみはあなたがくれた遺伝子のしわざでした。

ええ声もあなたがくれた。子供たちも音楽をやっている。おかげでたのしみを子供たちにつたえられた。

人に好かれるからってこちらも好き返して差し上げなければならないことはない、ってことも。

私はやるべき時にきちんと戦える人間であった。



以上、自分のこころの整理のために書いた雑記でした。


もしお読みくださったなら、あなたに感謝します。ありがとう。良き今日を。

ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。