自殺するために車椅子に乗り込み駅に向かった。

途中の道で段差があったから偉そうに「助けてくれ」と言った。
死ぬ前に他人にめちゃくちゃ迷惑をかけてやろうとしたのだ。

誰も彼もが「はいよー」と快く助けてくれた。



このエピソードが痛くて痛くて泣いてしまう私のような悪人は素直に両手をあげなさい。




愛は痛い、とよく言われる。



心理カウンセリングを受けると、ヒーリングワークとかイメージワークとかいうことをやらされることがある。

「やらされる」ということばを使うわけだから、これは私には痛いことなのだ。


ただ、5分間黙って見つめ合う。

目の前のひとの背景など知らない。
見ず知らずの、ただ何かのご縁があったひと。
そのひとのおだやかな目を、ただ、見つめる。

それだけで、声を上げて泣きたくなってくる。



ハンカチで目を覆ったら「目を逸らしてはいけません」と声をかけられた。

私が尊敬する、憧れの、大師匠。

ただのでぶのおじさんなのに、youtubeライブなんかをしている時、

「きゃーーーーーーーーーーーっ準司抱いてーーーーーーーーーーーーっ」


とコメントを入れるくらい恰好良い。

大師匠のカウンセリングは、ロックスターのショウを見ているかのようにドキドキする。

そんな素敵なでぶのおじさんの準司に「目を逸らしてはいけません」と優しく言われ、素直に言うことを聞く。
涙が溢れ、アイメイクがどろどろになるのも構わず、相手の目を見る。

大師匠はこう言った。

「もうひとりで泣かなくていいんです。」


私は、赤ちゃんの頃以来久しぶりに、ひとさまの前で声をあげて泣いた。





先週末、待ちに待った我がお師匠のカウンセラー養成講座が始まった。

私の今の肩書きは「根本裕幸3期お弟子の心理カウンセラー」である。


実はお師匠に会うのは初めてなのだ。
ブログ、ご著書を長年拝読しており、時折スマホや本を壁に投げつけたいくらいの怒りを沸き立たせてくれる。
それくらい、私の痛いところを突いてくる偉大なるカウンセラー。

先ほど私は、愛は痛いと書いた。

お師匠は、私の愛を全開にするために背中を押してくれるひと。
そう信じて、門を叩いた。



お師匠と呼ぶのはハリウッドザコシショウみたいで面白いネタをたくさんおやりになるからなのだけど、実物のお師匠はすらっとして背の高い、とっても男性としての魅力に溢れた方であった。



さて、講座は楽しくあっという間に2日が過ぎていったのだけれど。

最後の5分に差し掛かった時、私は心の中で

「きゃーーーーーーーーーーーお師匠、抱いてーーーーーーーーーーーー」

と叫ぶこととなる。



冒頭のエピソードは、実はこの方もお師匠のお師匠、つまり私たちの大師匠にあたる方の、生前のエピソードである。

悪態をついて死んでやろうと思ったのに、世界は何て優しいんだ、っていう。


愛は痛い。

ああ、きっとお師匠は痛い思いをさせるに違いない。




モルモットは我が盟友、抱けない恋人、児玉キャロが選ばれた。

ああよかった。気の毒なキャロ。



彼女はもう立派にカウンセラーとして講座もバリバリ立ち上げているし、カウンセリングもばんばんやっている。
最近はとっても輝いていて本当に眩しいくらいだ。

それを実証するように、ブログのアクセス数が100から800くらいに伸びたり、講座のお申し込み数がびっくりするくらいあったりしたらしい。


それが、怖いのだという。

なぜ怖いのか。


人に好かれたいな、人気者になりたいな。人間はある程度そう思う生き物だ。

それが叶うのに、なぜ怖いのか。


それを立証するのだという。



キャロを壇上に上げるお師匠。

「1分間、なぁんにもしゃべらないで、キャロちゃんの目を見てください。」

「キャロちゃんもみんなの目を見てください。」



カウントが始まる。







みんなが、キャロ、大好きやで、って目で見てくるんだ。

あの場にいる30人近い人間が、キャロ、頑張れ、って。

なんにも気にせずいっぱい稼げ、って。

あんた好いオンナやで、って。

好いカウンセラーやで、って。

キャロと出会えてよかった、って。

いつもありがとう、って。

いつもみんなが楽しめるように、しんどくならないように、気を配ってくれて感謝してる、って。

キャロのケーススタディ、ホンマ勉強になるわーすごいわー、って。

いつもヨガで整えているお肌もお顔もボディラインも美しいね、って。

だから15センチのピンヒールが似合うね、って。

ずっと大変だったね。

ずっとがんばってきたね。

ここは安全だよ。
心配いらないよ。
もう自分を責めないでいいよ。


私たちがいるから、大丈夫やでキャロ、って。




誰一人として、不穏な空気を感じさせない。

ほんまの自分を知らないのに。

ほんまはどんな人間かも知らないのに。

ちょっとおかしなことしたら、てめーら全員ブッ殺してやる、って待ち構えてるのに。



なにも起こらない。

ただひたすら、やさしくてしずかなだけ。


一生懸命勉強したり
いい子になったり
家族が仲良くできるよう気を使ったり
おどけてピエロになったり
そんなことしなくても
ひとを愛しているって言いたかったよね。


そんなことしなくても
愛してほしかったよね。



生きていて、あたたかくて、呼吸をして、そこにただ立っているだけの、

あなたが好きだよ。





そういう目をしたイカれた奴らが、一斉にキャロを見つめる。

見ず知らずの人間を愛してくれる頭のおかしい奴らが、めっちゃ見つめてくる。

「もう頑張らなくていいんです」とそれをあおるお師匠。



頑張らなくていい。

しんどかったね。

もうみんなで一緒に生きていこう。





結婚式で花嫁が母への手紙で号泣するような感じなのかしら、私結婚式挙げたことないから知らんけど。



愛されている、すべての罪を許される、生身の自分を愛される。

本当に、信じていいの?

たくさん失望してきた。

自分が悪いんだとあきらめて、たくさんの鎧を身につけてきたんだ。

鎧を脱いだら、ダメな自分がバレて嫌われてしまうと思って戦ってきたんだ。

世界を疑って、悪い態度を取ってきたんだ。




ごめんなさい。

信じなくて、ごめんなさい。

悪い自分で、ごめんなさい。




ここに書いた感情はすべて、私のものである。
私の妄想であり、児玉キャロやその場にいた全員がどう思っていたのかはあずかり知らぬこと。

私がキャロという媒体に自分を重ね合わせて感じた想いを書いた。

キャロは可愛かった。本当によくあの長い1分をやりきった。

私は涙が止まらなくなった。





愛は、痛いけど受け取ろう。

お師匠はよく「自分の成長」という言葉をお使いになる。

成長したら、また、人の役に立てる。



受け取ろう。受け止めよう。覚悟を決めよう。



覚悟を決めるには尻の穴をキュッと締めるといいよ、と先輩カウンセラーが教えてくれたっけな。

コミットメントだ。



私は世界を信頼します。
私は世界に愛される

そん

そんざい

そそっsそんざい

えーと



そそってーそそられーてーって曲あったよな。

こうやってすぐ笑いとかに逃げる関西人ってホンマ困るよね。って私もだよコレ。

私は。

私はっっっっっっっっッッッッッッ。



私は世界に愛される存在です。


泣きそう。




愛しておくれ。

私も愛してる。





読んでくれてありがとう。





さあみんな、一緒に「きゃーお師匠抱いてー」って叫ぼうぜ。


よく頑張った可愛いオンナはここにいるよ。


ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。