なにかに夢中な人に会いに行こう。愛されていた記憶がよみがえるから。
こんにちは、イチカです。
今日は「大好き」がいっぱいのブログになりそうです。
ご自分の愛の対象への愛おしさを惜しみなく全方位に溢れ出させている人に、また出会ってしまいました。
好きで好きで好きでたまらないものがある人って、そばにいるだけで癒されて元気が出るんだー、って、あらためて実感しちゃいました。
さと先生のお花レッスンは瞑想だった
先週末、お花の瞑想に行ってきたんです。
先生はこちらの方。
さと先生、といいます。
「お花の瞑想」ってのは、参加者さんみんなでそんな感想を言い合ってたところから私が勝手に言ってるだけで、さと先生が「私はお花の瞑想を教えてます」とはおっしゃってないのですけどね。
レッスン中、みんながこんなことを思わず口にするんです。
「お花、ずっと眺めていられるねー」
「ねー、お花眺めているときって、思考が働かないんだねー」
「ホントだねー、ただ『きれいー』って感じてるだけだねー」
「瞑想みたいだねー『ねー』」
って、みんなで口々に言い合いながら進んでいくレッスン。
「可愛いの言霊」に満たされていく
まず、お花たちを一本一本手にとって、ブーケになった姿をイメージしながら「おそうじ」していくことから始めます。
「おそうじ」とは、葉や枝を切り分けたり、とりのぞいたりしてブーケにするときにちょうどいい姿にすること。
先生が取り上げた一本の名前と特徴、束ねるときに活かせる長所、気をつけてあげたい部分を教わりながらととのえていきます。
このときに先生の口から思わず漏れ出る一本一本への愛が心地いいんです。
ずっとこんな感じで、「可愛い」「きれい」「すてき」「うっとり」という単語、そしてそれに限りなく近い美しいことばたちだけが部屋を、私たちを満たしていきます。
傷ついた男性性が仕掛ける罠
さて、ここでこの「楽園」がもたらす心理的効能について書いていきます。
この楽園には絶大なる効能があるんです。しっかりと心理学的に説明がつきます。
なんだけど、私は理論で説明できないので、私の体験を読み物風にしてご説明しますねー。
ちょっと長くなっちゃいますから、ブーケの効能についてだけお読みになりたい方は、目次から次のチャプターにお進みくださいね。
イチカさんの体験談
多分、カウンセラーになる前の私なら、こんなブログを読んだらきっと、ショックのあまり大切な大切なiPhoneを壁に投げつけて、
「なにこのきゃっきゃうふふな世界!人生そこまで甘くねえんだよ!」
「そんなことでうまくいくならいいよなあ!そんなわけないやろあほか!」
「そんなことより人生を乗り切る心理的コツとかテクニックとかポイントとか、『これやっとけ!人生が好転するスリーステップ』とか書けよ!」
「こんな夢物語なんの役にも立たねえよ!」
って、なんとも枯れ果てたススキのような、砂漠に住む固い皮膚を持つ表情を失くしたトカゲのような、そんな感想を持ったに違いありません。
昔の私は、なんか適当にゴロゴロしながら本や漫画を読んでは「あーなんか知らんけど可愛くなりたいなー、そしたら幸せになれるような気がするわー」ってボケーっとしているだけの生き方をしていました。
そのくせ、可愛さに対する愛も何にもないんですね。
可愛いを追求する友達や可愛い研究会みたいなものも探さず、可愛いに対する情報や攻略などもなーんにも勉強したこともありません。
ただただ、可愛いに縁のない自分を「つまんない女」「だから私は駄目なんだ」って責めるばっかりで。
みなさんご存知の通り、自分責めって、ほんっっっっとうに、ほんっっっっっっっっっっっっとうに疲れますよね。
私の自分責めには、ドラえもんに出てくるスネ夫みたいなやつが出てきます。
ほんっとうに意地の悪い、間違いなく腹の底から憎いと思える、何か言われるたびに煮えたぎるような怒りを感じる、嫌味満載なクソ男が出てきます。
その男がなにかしら、毎日いろんな瞬間瞬間に、ニヤニヤしながら実に嬉しそうに、厭らしい気色の悪い顔をしながら、
「あれー?そんなことでいいのかなー?」
「だからあなたは駄目なんだよねー?」
「何回おんなじことを繰り返すんでしょうねー?」
「あっ。気にしてること言っちゃった。ごめんごめん」
などと言ってきます。
そして私はこいつを言い負かす文言を探して組み立てたり、物理的に抹殺する武器を探したりします。
そして性格上棍棒でなぐるとかダンプカーで轢くとか、あほでもできるような手段しか思いつけず、スパイ映画みたいなカッコいい精密機械を扱えないことにまた自分責めしたりしています。
書いてるうちに笑えてきたけど、冗談じゃなくて大真面目な話ですよー!
それでね、おそろしいことに、こんなことを繰り返していると、それが習慣になってしまいます。
何かするたびに、はじめようとするたびに、自分を嘲笑してはそれをやっつけようとする癖がついてしまうんですね。
そして、現実世界にそれを投影し始めます。
「こいつはいつものやつか?私を嘲笑おうとしてるんじゃないか?」
「こいつも私を馬鹿にしてるんじゃないか?」
「馬鹿にされてたまるか!殲滅してやる!」
って、「馬鹿にされそうになったら即座に攻撃し返せるようなセンサー」を装備して、
世界から「私を馬鹿にしてることばやものや出来事」を探し出すスナイパーになっていきます。
自分をしあわせにすることばやものや人からどんどん遠ざかって、敵を倒せることばやものや出来事ばかりで自分を満たそうとしていきます。
傷ついた男性性の仕掛けた罠です。
とても寂しくて、悲しい罠です。
ブーケを束ねることは、愛される私を受け止めること
頑張って、頑張って、頑張ったけど、失敗した。
努力して、色々手を尽くしたけれど、うまくいかなかった。
そんなとき私たちは、もっともっと頑張ろうとします。
頑張れなかったからうまくいかなかったんだ、もっともっと頑張らなきゃいけないんだ、って。
でもね、うまくいかないときほど、その頑張り方の方向をがらっと変えてみるっていう「勇気」が必要なことがよくあるんです。
この世のすべては、正反対のものが対になることでできています。
朝と昼。
夏と冬。
炎と水。
太陽と月。
男性性と女性性。
男性性が疲労したり傷ついたときに必要なのは、頑張るのではなくてゆるめることです。
前に進みたい気持ち、改善したい気持ち、結果を出したい気持ちを少しお休みすること。
寝ないで仕事してもパフォーマンスが落ちていく一方なのと同じように、男性性をゆるめずに突き進んでもいつか力尽きてしまいます。
突き進むために休むということは、
抱きとめて背中を守ってくれる人たちの腕のあたたかさと、やさしく包みこんで背中をさすってくれる人たちの表情を思い出すようなこと。
愛される私を受けとめて、愛を与えてくれる人の存在に感謝すること。
お花を囲みながら、お花と向き合いながら、一緒にブーケを束ねていくというレッスンは、
がんばってきた自分をやさしく包みこんで背中をさすってあげる行為と同じことでした。
それも、ひとりじゃなくて、その場にいるみんなで抱きしめあうような、とてもダイナミックな。
赤ちゃんのころの記憶を取り戻す
私たちがみんなでブーケを束ねながら言っていたこと、実は私たちが過去に言われてきたことばたちです。
私たちは、見聞きしたことばしか話せませんからね。
「お花、ずっと眺めていられるねー」は、「この子の寝顔、ずっと眺めていられるねー」だったでしょ?
「ねー、お花眺めているときって、思考が働かないんだねー」は、「ねー、この子の寝顔眺めてると、いやなこと全部忘れちゃうねー」だったよね。
「ホントだねー、ただ『きれいー』って感じてるだけだねー」は、「ホントだねー、ただ『可愛いー』って感じてるだけだねー」だったし、
「瞑想みたいだねー『ねー』」は、「癒されるねー『ねー』」だったよね。
お花を大切に大切に、愛おしさを感じながら手に取り、そっと傷つけないように、その子の持ち味を活かしてあげられるように束ねていく度に、
私は私が同じように育ててもらったことや、同じように愛おしく大切に育ててきたことを思い出しました。
さと先生が愛おしそうに一本一本のお花への可愛さを話される度に、愛されている自分、愛してきた自分を思い出しました。
大好きなこと、ものにうっとりと熱中しておられる方と一緒に過ごすことは、
無条件に愛してもらっていた赤ちゃんの頃の記憶を取り戻すことと同じなのかもしれません。
無条件で愛されていた自分を思い出したいあなたへのドーパミント!
あなたの人生で、なにかに夢中な人、なにかに一生懸命な人はいませんでしたか?よーく思い出してください。
身近な人でも、同級生でも、憧れの人でも、ネットやSNSで見かけた人でも、スポーツ選手でも、アイドルでも、政治家でも、二次元でも、歴史上の人物でも。
その人の夢中っぷりがわかるものを見たり、読んだり、聞いたりしてみてください。
会いに行けるなら会いにいきましょう。
それだけで、愛されていた記憶がじわーんと蘇ります。
今日もお読みくださってありがとうございました♡
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ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。