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小説「氷磨と王子」第三章 前半

これまでのお話(不要な方は飛ばして下さい)

 西の国の王子とその侍従は、「成人の儀」のため、東の山へと向かいます。それに際して王子の父である王様は、王子の成人を祝う宴の夜、響いた不思議な笛の音について、成人の儀でその正体を確かめるように命じました。

 東の山で出会ったのは、「氷磨」と名乗る少年。彼は今は亡き東の王の子だと名乗ります。侍従は彼の存在を知っていました。侍従は、東の王と西の王を繋ぐ存在である「絆」として、先代の老人に育てられ、東の王やその一族とも親交があったのでした。しかし十年前、東の国に内乱が起き、それを制圧するため西の王は挙兵、というのは西の王に都合のいい嘘で、西の王は一方的に東に攻め寄せ、一族を「神」の名のもとに滅ぼしてしまったのでした。王族では氷磨だけが密かに生き残ったのです。

 侍従と王子は氷磨を説得し、彼が持っていた笛を手に、西の城へ戻ったのでした・・・。というのがおおよそのこれまでのお話。前回までのお話はマガジンにまとめてあります。

第三章 


第十一節 帰城


 王の間は静かであった。王と、先代の絆の老人が待っていた。王子と侍従は、王の前に跪いた。侍従が、作法通り口上を述べた。
「東の鬼、西の王子を認め、ここに約束の守られし…」
「くどい。」
 王が突如遮った。
「口上は良い。本題に移れ。その手にあるものはなんだ。」
 侍従は笛を差し出した。
「笛を、お持ちいたしました。」
「ほう、誰が吹いていた。…王子、答えよ。」
 王子は答えた。
「申し訳ございませぬ、父上。笛を見つけたものの、吹いたものはわかりませなんだ。村人に聞いても、誰一人心当たりもなく。」
 王はその頭を小刻みに揺らすようにして頷いた。そしてすっくと立ちあがった。そのまま王子と侍従の方へつかつかと歩み寄り、笛を差し出す侍従の手から取った。笛を見つめ、王は命じた。
「王子よ、立て。」
 王子が立ち上がった、と見るや、王は笛を投げ捨て、王子の腰の剣を鞘ごと引き抜いた。宴で自ら王子に授けたものだ。
「これの使い方を心得ぬか。」
 王は剣を抜くと、跪く侍従に向けた。
「なにを隠している。」
 王子は慌てて、再び父の足元に跪いた。
「父上、何も隠してなどおりませぬ。ただ、私の力及ばず、笛を吹く者までは見つけるに至らず、」
「村人にもこうして物を聞かねばな、王子。」
 剣の切っ先は侍従の首元につきつけられていた。狼狽する王子を横目に、侍従は至って落ち着き払って言った。
「王子様はそうなさいましたとも、王様。されど見つかるわけもございませぬ。」
 王は不敵に笑った。
「ほう、なぜだ。」
 侍従も、王を見つめてにこり、とほほ笑んで見せた。王子はなぜかぞっとした。
「私が、その笛の主でございますれば。」
 王子はようやく気付いた。この男は全て背負うつもりだ。しかし遅すぎた。侍従は声を張った。
「この私の喉笛こそが、王が忌わしきと思し召す鬼の笛、王子は見事この場へ持ち帰った。今ここに真実を明らかにせん。浅ましき王よ、東の王は我に笛を託したもうたのだ。この首、おとりになればよろしい。代わりに我が血を以て誓おう。たとえ死すとも、私は、いや我らは真実を忘れぬと。この国の安寧が何の上にあるか、ゆめゆめお忘れなきよう。」
 王は怒りをあらわにした。
「よかろう、そなたに情けをかけたが誤りであった。死にたいのなら死ぬがいい。ただしただでは死なせぬぞ。鬼の最後の生き残りとして丁重に葬ってやる。そうだな…王子よ、そなたが殺せ。さすればこの国の王となるにふさわしい男となろう。」
 王は剣を王子に差し出した。
「さあ、この剣を取れ。かつて鬼を払った剣だ。」
 王子は、受け取らなかった。代わりに懇願した。
「できませぬ。どうか、どうか命だけは。その男は私にとって、兄のような存在です。たとえこの国を裏切ったとあっても、どうか命だけは。いまや鬼は死に絶え、この男一人でなにができましょう。」
 王は一蹴した。
「兄だと?この卑しい男が?許すことはできぬ。私は神の子、この国の王だ。神に仇なす鬼は抹殺して然るべきだ。儂はそれを成したのだ。十年前に。そなたは神の国の王子だ。鬼に惑わされるな。」
 王子は凍りついた。父の言葉が絶対であることを知っていた。王子は額を床にこすりつけるようにして、王に請うた。
「父上、どうか。」
父は非情であった。
「ならばよい、儂が手を下す。」
 王は剣を振り上げた。
「お待ちくだされ。」
 口をはさんだのは先代の絆であった。老人は王を諫めた。
「王様、この王の間は、歴代の王の見守る神聖なる場所。血で穢すことは、祖先の霊が許さぬことでございます。ましてやこの者は…」
 老人の言葉に、王は剣を収めた。
「それ以上言うな。わかった。うるさい爺いだ。だがともかくこやつは処刑する。」
王は、何か思いついたらしく、ふっと笑った。
「そうだな、次の満月がよかろう。最後の笛を吹かせてやる。王子、それまでに腹を決めよ。」
 王は王座へ戻り、側に置いてある鉦を鳴らした。それを聞いた近衛兵が現れ、王は命じた。
「その者の自由を奪え。地下牢へ連れていけ。」
 侍従は縄打たれ、連れていかれた。最後に一言だけ、侍従は王子に言った。
「王子様、あなたは優しすぎる。」


第十二節 選択


 たった一人、王子は暗い自室の隅で膝を抱えた。その傍らには、いるはずの者がいない。王子は悔いていた。侍従は、山にいた時すでにこうなることを予想し、自ら命を差し出すことを、覚悟していたのだろう。いまさら気付く自分が情けなく、己の非力を呪った。侍従の深い心の傷も、その傷を作った王の残酷極まる過去の所業も、それに全てを奪われた少年のことも、成人の儀まで何も知らずに生きてきた。王子の信じてきた世界が、足元から崩れ落ちるようだった。父がここまで非情とは思わなかった。侍従が側からいなくなると思わなかった。自分がこれほど無力と思わなかった。
 突然、扉を叩く音がした。
「王子様、爺を入れていただけますかな。」
 先代の絆だ。老人はしばらく王子の返答を待ったが、王子は答えなかった。
「入りますぞ。」
扉が開き、老人は入ってきた。王子は相変わらず黙っていたが、別に老人を咎めもしなかった。老人は、王子の前に腰を下ろした。
「…王子様、宴の折、私は昔話をいたしました。今宵は、続きをお聞かせいたしましょう。」
 そう言って、老人は語った。
「この国には、二つの民族が生きております。しかしもともとは、東の一族が治める土地だった。そこに、海の向こうから、土地を追われた西の一族がやってきた。彼らは東にはなかった強い武器や、あたらしい文明を持ち込んだ。それによって、東の一族は徐々に、さらに東へと追いやられていったのです。しかしある時、災いが西の土地を襲った。地は揺れ、海より大波が押し寄せた。人々は苦しみ、西の王は困り果てた。手を差し伸べたのは、東の王だった。その時、二つの民族は和解したのです。互いに手を取り合い、争わぬと、約束が交わされた。東と西の王族たちは、山の屋敷に集い、宴を催した。それが東の山です。その時、東の王子と、西の姫とが恋におちた。やがて二人は結婚し、間に二人の王子が生まれた。一人はやがて東の王となった。一人は東西の血を引く者として、最初の絆となった。」
 王子は、老人に問うた。
「父上は、何ゆえ東を滅ぼした。」
 この老人は全て知っているはずだ。
「お聞きになったのですな。我が弟子と、東の王子から。…先ほど地下牢へ行ってまいりました。東の山であったことを、聞きました。…王様が十年前、なさったことの訳でございますか。」
 老人は、ため息をついた。
「和解したとはいえ、やはり東の者を鬼と忌み嫌う者たちはいたのです。王様は、そのような考えのもと、王となられた。争いの火種はなくすべきだ、と。」
「争いの火種、か。」
「はい。城内には、東と手を取り合うべきとの考えの者もおります。もしその者たちと、東の者とが手を取れば、今の王様の足元は危うかったのでございます。そして王子様、あなた様にも、行く道をお決めいただかねばなりません。」
「行く道、とはなんだ。」
 老人の言わんとするところは、王子には分からぬではなかった。このままでは、侍従は処刑されてしまう。その不安が、濃霧のように王子の心を覆っていた。侍従の命乞いをしたとて、王はもはや聞く耳を持つまい。一つだけ侍従を助ける道はある。氷磨の存在を王に知らせることだ。しかしそれをすれば、侍従の思いを踏みにじる。老人は答えた。
「今牢にある私の弟子は、東と西の絆として、その命を、二人の王子を守るために使う、と決めたのです。…私は止めたが、聞かなかった。頑固な子だ。されど事ここに至っては、時を戻すこともできません。なれば王子様は、どうなさいます。」
「それがわからぬ…正直に申せば、私は、氷磨よりも侍従が大事だ。父上の跡を継ぐべき王子でもある。しかし、侍従は氷磨を守ろうとしているのだ。…爺さま、もう一つ聞きたい。そなたの道はいかに。」
 老人は、王子の目をまっすぐに見た。
「私は今も、西と東の絆でございます。王子様、私は、我が弟子を助け出すべく動きます。あの子には死んではならぬ理由がある。そして、東の王子もお守りする所存でございます。」
「その道が、あるのだな?」
 老人は首を横に振った。
「ございませぬ。今は、まだ。」
「まだ?」
「ない道は切り開くものです。次の満月まで、まだ時がございます。王子様、今一度東の山へお行きなされ。東の王子に会い、ご自身の目でよく見極められたらよろしい。」
 王子の答えは、この時すでに出ていたのかもしれない。しかし今の王子は、この先のことなど知る由もない。


第十三節 再び山へ


 東の山の屋敷に、二つの人影があった。一人は氷磨である。もう一人は、娘のようだ。ふと、氷磨は耳をそばだてた。
「誰か来る。」
 草をかき分けて、屋敷の前に現れたのは、王子だった。その腕に、一羽の鷹を連れていた。氷磨は、直感的に良くないことが起こった、と思った。それゆえ王子を前に身構えた。
「なにしに来た。」
 王子は、氷磨をまっすぐに見た。その顔に、牢にある侍従を思った。二人の面立ちはよく似ていた。
「話を、しに来た。」
 王子の緊迫した表情に、氷磨は何かを察した。
「俺を殺しに来たわけではなさそうだな。」
 その言葉に王子は腹が立った。
「なぜ私がそなたを殺すのだ。」
「全て丸く収まるからだ。」
 王子は氷磨を睨んだ。氷磨の冷静さは、王子を苛立たせた。
「それでは侍従を裏切ることになる。」
 氷磨は、不思議と王子に睨まれるほど、冷静になった。ふとその脳裏に、侍従、つまり絆の言葉がよぎった。
「『もう、後悔はしたくない』絆はそう言ったな。」
 そして直感は話を聞く前に氷磨を青ざめさせた。
「絆は、なにをした。」
 王子は伝えた。
「あの男は、そなたの代わりに笛の主を名乗った。今は牢の中だ。だが、次の満月が昇れば、父上は処刑を断行する。私に、あの男を殺せとお命じになった。」
 王子と絆が山を去った後、氷磨はすでに一抹の不安を感じていた。本当に彼らを信じてもいいのだろうか。王が自分の存在を知らないとしても、何かに感づかないとは限らないし、そうなった時、自分を庇ったところで彼らには何の得があろう。しかし起こった事実はどうだ。自分を庇って、絆は牢にいるという。氷磨は腹の底から理解した。あの日氷磨の父、東の王に止めを刺すことしかできなかった少年の思いと、覚悟を。そして同時に、そんな絆を、殺させてはならぬと強く思った。
「…屋敷に上がれ。話そう。」
 王子は、連れてきた鷹を手近な木に止まらせた。それを見て、氷磨の後ろにいた娘が口を開いた。
「立派な鷹。」
 王子は、初めて会う娘に問うた。
「そなたは?」
 娘はぶっきらぼうに答えた。
「私はサヤ。麓村に住んでいるんです。」
 王子は少し驚いて言った。
「サヤ、か。私の許嫁と同じ名だ。」
「聞いたことがあるわ。将軍様のご息女でしょう?」
「ああ。」
 王子はふと許嫁である沙耶姫を思った。今目の前にいる娘は、沙耶姫とは同じ名でも正反対のようだ。見た目も、性格も。沙耶姫はいつでも笑顔を絶やさないが、この娘は先ほどからにこりともしない。
「王子、サヤ。なにをしてる。」
 先に屋敷に入っていた氷磨が、二人に声をかけた。
「すまない。鷹を繋いでいた。」
「その鷹は?」
「侍従の師、先代の絆の爺さまのものだ。知恵を貸してもらった。」
「先代の絆、か・・・まあいい、中で詳しく聞こう。」
 三人は屋敷へ入った。サヤが茶を入れてくれた。サヤと氷磨は、ずいぶん仲が良いようだった。王子が二人を見ていると、サヤが「幼馴染なの。一緒に育ったのよ。」とまたぶっきらぼうに教えてくれた。十九だというサヤは、いかにも働き者だというのが見て取れた。
「では王子、話を聞こう。」
 氷磨が言った。王子は、事の顛末を改めて話した。侍従が氷磨を庇い、牢に繋がれていること、次の満月の日、王は処刑を断行するであろうこと。そして先代の絆のこと。
「爺さまは、侍従は死んではならぬとお思いだ。そしてそなたも。そして私に、今一度そなたに会って、見極めるようにと。」
 氷磨は目を細めた。
「つまり貴様は、俺の首を取り王に差し出すか否か、迷っているということか。絆を助けるために。」
「違う!そなたを殺せば侍従を裏切ることになる。」
「違わない。俺は死んでも構わん。絆を助けられるなら尚のこと。共に西の城へ行き、王に真実を突き付けられるなら本望。」
 王子は無性に腹が立った。
「何ゆえそなたは死にたがるのだ!!侍従はそなたを命がけで守ろうとしているのだ。私は侍従もそなたも殺したくはない!」
 氷磨は言い返した。
「甘いな王子。それはただ優しいだけの貴様のわがままではないのか。言っただろう、俺は最初から死など覚悟の上だ。それに俺には失うものはない!貴様に俺の気持ちがわかるか?貴様が絆を思うように、俺も親兄姉を思う。だがもうここにはいない。俺の会いたい人は誰も生きてはいない。だが死ねば、同じ所へ行ける。幼き頃俺が見たものは、あまりに残酷だった。嫌でも、思い出す。今でも眠れぬ夜がある。もう耐えられなくなった。だから、笛を吹いたのだ。」
 氷磨の言葉に、剣幕に、王子は愕然とした。自分は、あの日を見ていない。話に聞けば想像するだに恐ろしい光景である。しかし王子は分かっていなかった。想像できていなかった。今の今まで。それに今ようやく気付いた。王子も、流行病で母を亡くした。会いたいと思っても二度と会えない苦しさを知っていたはずなのに、氷磨の思いを、分かっていなかった。侍従の考えを見通せなかったのも、そのせいではないか。自分の気持ちばかりで手いっぱいで。王子は思わず氷磨から目を背けた。氷磨はそんな王子に、強い調子でなおも言った。
「貴様はどうしたいのだ。絆も俺も殺したくはないというなら、王に逆らうのか。」
「父上に、逆らう…?」
「そういうことだろう。絆も俺も生かそうと言うならば。」
「しかし私が父上に逆らうなど…」
 氷磨は激昂した。
「とんだ腰抜け王子だな!貴様はただ優しいだけだ。自分の身の周りのものが死ぬことに耐えられぬだけで、己の意志は薄弱だ。一人では何も決められんのか。王が怖いだけか。いずれこの国を背負うべき王子がこの様か。用意された道しか歩いたことのない貴様にはわからぬだろうが、道は切り開くものだ。貴様の父も道を開いた。だがその道には俺の家族の屍がある。絆も道を開こうとしている。自らの命と引き換えに。だが貴様はどうだ!なにかを犠牲にする覚悟もないのに、なにができる。」
 王子は黙ってしまった。ようやく自分の甘さに気付いた。氷磨の言ったとおりだった。今何をおいても侍従を、氷磨を、死なせるわけにはいかぬというのに、自分は父を恐れている。老人の言葉が耳によみがえった。「ない道は切り開くもの」だと。
 氷磨はなにも答えられない王子を前に、苛々とため息をついた。
「…頭を、冷やしてくる。サヤ、すまない。今日は帰ってくれ。当たってしまいそうだから。」
 部屋の隅に座っていたサヤは頷いた。
「わかったわ。でも氷磨、私もあなたが死ぬのはいやよ。」
「…すまない。」
 王子はサヤの方を見た。その手が微かに震えていた。氷磨が、サヤの方へ歩み寄り、そっとその手を握って、何か言った。そして部屋を出て行った。しばらく、サヤはそのまま座っていた。帰ろうと立ち上がったサヤに、王子は声をかけた。
「大丈夫か?」
 サヤは口の端をきゅっと結んで、うなずいた。
「私は平気です。氷磨、普段は冷静だけれど、時々、ね。私はそういう氷磨も見てきたから。むしろ王子様の方が驚かれたでしょう。」
「いや、氷磨の言うことももっともだ。それより私が突然来たばかりに、予定が狂ったのなら、詫びねばならぬ。」
「いいえ。そのような。本当にお優しいのね、王子様は。」
 サヤは少しためらいがちに、言葉を継いだ。
「…王子様、氷磨はあなたに苛立ってるよりも、自分に苛立っているのだと思うの。絆という方の考えていたことに気づけなかったのも、今どうしていいかわからないのも、王子様と同じだから。氷磨もわかっているのよ。王様に逆らうだなんて大それたこと、簡単にはできることじゃない。だけど…王子様、これだけは知っていて。…ここらの村人は、」
 サヤは口ごもった。黙ってしまったサヤに、王子は言った。
「無礼だなどと斬り捨てたりはせぬ。私が知らねばならぬことなら、教えてほしい。それに氷磨の言う通り、私は心の弱い王子だ。侍従を助けたいからといって、氷磨を切り捨てることもできぬ。かといって父上に逆らおうなどとはこれまで夢にも思ったことはなかった。…だが私は、本当のことを知りたい。もう、侍従に隠し事をされ、守られるばかりでは情けない。言ってくれ。」
 サヤは、おそるおそる口を開いた。
「わかりました。…私たちには、東の王にずいぶんお世話になったご恩があります。あの方やご家族が殺されたとき、私は九つだったけれど、憶えているわ。東の王は時折村にいらしては、民を気にかけてくださいました。ですから村人の中には、西の王やあなたを、よく思わない者もおります。…憎んでいるのです。でも、東の王様は村人に言い残しました。氷磨に手紙を持たせて。決して、復讐をしようなどと思ってはならぬ、と。それでは西の王と同じになってしまうと。まるで何が起きるか、分かってらしたかのように。それから氷磨を頼むと。だから、氷磨はああ言うけれど、氷磨の気持ちもわかるけれど、氷磨が死ねばやっぱり、村人は憤ります。ですから、王子様。西の王子と東の王子は、もう一度、本当の約束を交わせないかしら。…優しい優しい王子様。…氷磨なら、そのうちここへ戻ってくると思うわ。どうか待っていて。」

 サヤはそう言うと、村へ帰っていった。王子は、出て行った氷磨を待つことにした。

「おい、起きろ。王子。」
 氷磨の声に、王子は目を覚ました。いつの間にか眠り込んでしまったらしい。
「鷹に餌をやったが、構わなかったか。それから、部屋の中へ入れたぞ。夜は獣が出る。」
「ああ…すまない。」
「賢い鷹だな。よく躾けられている。」
「鷹を扱ったことがあるのか?」
「いや、ないが、なんとなくだ。父がやっていたのを少し思い出した。」
 辺りはすっかり暗くなっていた。氷磨の持ってきた灯りが、二人を照らしていた。
「王子、言葉を荒くしてすまなかった。改めて話がしたい。」
 二人は、屋敷の縁側へ出た。月が出ていた。氷磨は、落ち着いた様子で言った。
「王子、私の首を取る気はないのだな。」
「それはできぬ。」
「絆も、助けると?」
「ああ。覚悟を決める。そなたの言った通り、私はこれまで誰かに頼ってばかりで、自ら道を開こうとしてこなかった。だが、もうそれは許されぬ。父上が何と言おうと、私は…」
 王子は目を瞑った。侍従の顔が浮かんだ。父の顔が浮かんだ。そして、亡き母の歌が脳裏に浮かんだ。
「私は、善き方へ進みたい。己の心の善しとする方へ。悪しきは改めねばならぬ。そうだ、忘れていた。母上だ。母上はいつも、幼い私に子守歌を歌っては、私に説いて聞かせたのだ。いつも、自分を思ってくれる人を、大事にしなさいと。今は守られる王子、しかしいずれ、皆を守る王となるのだから、と。」
 王子の母は、病で死んだ。その最期の言葉を、王子は思い出していた。
「あなたが正しい道を歩くとき、それがどんないばらの道でも、母はいつでも、見守っていますよ。」
 そういって、笑ってみせた。
「私は、亡き母に恥じるような生き方はせぬ。」
 氷磨ははじめて、王子もまた、母を亡くしたことを知った。氷磨の脳裏にも、母が浮かんだ。
「私の母は、西から来た姫だった。村の長老から、西の将軍の妹、と聞いているが…子守歌を歌ってくれた。」
 そう言って氷磨の歌った歌は、王子の母が歌った歌と同じものだった。氷磨の声に、王子も声を重ねた。

月の光の満ちし時
耳を澄ませば
笛の音響く

美しき調べは善き徴
恐ろしき調べは対のこと

善きことに進め我が子よ
悪しきは改めなさい
己が身を滅ぼすその前に

二人の王子は、顔を見合わせて笑った。氷磨が言った。
「俺たちは同じ歌を聞いて育ったのだな。」
「私たちだけではない。侍従、絆も同じだ。彼の母は、私の乳母でもあった。」
 二人の王子は知らなかったが、時を同じくして、同じ歌を、西の城で歌う者がいた。そう、西の城の地下牢で。三人の心が、共鳴していた。
「そうだ氷磨、先代の絆より、預かったものがある。」
 王子は懐から、一通の文を取り出した。
「俺に?」
 開くと、王子には見慣れぬ文字が並んでいた。氷磨が驚いた顔をした。
「東の文字だ。東には東の言葉があるが、もう使う者は少ない。」
「そなたは読めるのだな。」
「ああ。」
 
 東の王子よ。あなたが生きていたこと、この老体まこと嬉しく思う。しかし王様は許されぬ。我が弟子はあなたを庇って牢にいるが、このままでは処刑されてしまう。西の王子が訪れ、この文を渡したはず。再びお二人の間に、正しき約束が交わされたなら、明朝鷹を放たれよ。それを合図に、私も動く。幸あるように。

「王子、この爺さまは策士だな。」
「父上がその知恵や策には最も信頼を置く爺さまだ。だが味方だ。」
「ああ、そのようだな。」
 氷磨は王子に、書いてあることのおおよそを訳して聞かせた。翌朝、二人は鷹を空へ放った。鷹はまっすぐに城の方へ飛んで行った。

老人の詩


 西の城、東の塔に、一人の老人の姿があった。そこへめがけて一羽の鷹が舞い降りた。老人は微笑んだ。

既に老いたるこの耳に
今約束の届きたる
既に老いたる心臓が
今約束に共鳴す

嗚呼我が弟子の身体にも
力となりて漲らん
偽りなる約束暴き
今が務めを果たすとき

清き流れよ迸れ
禍々しきを流しされ
既に老いたるこの身をば
今こそ使え真実のため

第十四節 来客


 王子と氷磨は、初めて出会った山の広間にいた。その朝、サヤが駆けてきて、来客を告げたのだった。息を切らしたサヤを屋敷で休ませ、「二人の王子」は広間に向かった。
 広間に現れたのは、初老の屈強な武人と、その背に負われた老人であった。武人はそっと老人を地に降ろすと、すっと背筋を伸ばして、王子たちを見下ろした。背が高い。王子たちは、その目を見て驚いた。武人は、涙を流していた。
「ああ、まさか、まさかあの子の息子が生きていようとは。」
 突然武人は氷磨を抱きしめた。驚いて固まっている氷磨の顔は、王子がはじめてみる顔だった。涙を流す武人と、戸惑っている氷磨の対比がなんだかおかしくて、王子は笑った。
「将軍、氷磨はそなたのことを知らぬのだ。手柔らかに頼む。」
「将軍」と聞いて氷磨の表情が変わった。まさか。将軍は氷磨を抱きしめた腕をほどいて、大きな両の掌を氷磨の細い肩に置き、その足元に跪いた。今度は氷磨が将軍を見下ろす。将軍は低い声で優しく言った。
「取り乱して面目ない。東の王子よ。私は、西の王に仕える将軍。我が妹は、東の王の妃であった。・・・そなたの母君だ。顔をよく見せてほしい、我が甥よ。」
 氷磨は言葉を失っていた。王子が横から言った。
「将軍の娘御も、名を沙耶と言ってな。私の許嫁だ。そしてこの爺様が、先代の絆だ。」
 老人がそっと将軍の肩に触れた。
「さあ、将軍殿、爺にも少し譲ってはくれぬか。東の王子よ、爺を覚えておいでかな。私が先代の絆として、我が弟子、当代の絆の代わりに、お二人の約束を今一度見届けに参りました。そして、幼かった王子様方の知らぬ真実を、お話に参りました。それを聞いた上で、お二人にお決めいただきたい。破られてしまった本当の約束を、今一度交わすことができるかどうか。それが、今地下牢で待つ者の運命を、変える鍵にもなります。」

 四人は、屋敷へ向かった。老人の心は重かった。王子たちに、真実を突きつけねばならない。背負ってきた重荷を、分けねばならない。かわいい孫のようなものだ、何も知らないまま、幸せに生きさせてやれたなら。しかしそれは大人の我儘だ。いつまでもこの宝物のような子らを、守ってやることもできない。彼らが自分で歩けるように、どんな嵐にも、あの西の王にも、負けることがないように、導いてやらねばならない。かつて老人が、誰かにしてもらったように。王子、氷磨、将軍、そして老人は、屋敷の大部屋に車座に腰を下ろした。サヤが待っていて、いつものようにお茶をいれてくれた。老人は語り始めた。
 
 時は二十五年前に遡る。

次回 第三章 後半

 老人は何を語るのでしょう。10年前に西の王が東の一族を攻め滅ぼした時よりさらに15年遡り、25年前のお話をいたしましょう。そもそも、西の王と東の王とは、どのような関係であったのか。10年前の事件に至る経緯とは。そして一人で全てを背負おうとしている侍従にも、まだなにか秘密があるようです。彼の強すぎる思いの背景とは。そんな話をしたいと思います。

 見出しの画像は、今のところ過去に描いたイラストを引っ張り出してお送りしております。一章が王子、二章が氷磨、今回は氷磨と王子です。

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