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小説「氷磨と王子」第三章 後半

これまでのお話(不要な方は飛ばして下さい)

 「成人の儀」のため向かった東の山で、「氷磨」 ー西の王が滅ぼした、東の王の一族のたった一人の生き残りの少年ー に出会った、王子と侍従。満月の夜に聞こえる不思議な笛を吹いていたのは彼でした。王は滅ぼしたはずの一族の笛が、十年を経て復活したことを訝しく思っているようでした。

 侍従は、氷磨の存在を王には知らせるまいと、笛を吹いたのは自分である、と名乗り出ます。王は彼を、次の満月の頃処刑すると決定しました。王子は、侍従がそんなことを考えていたとはつゆ知らず、己の非力さに、ただ自室でうずくまるしかありませんでした。そこへやってきたのは、侍従の師である老人。侍従は王子の侍従であると同時に、本来西と東の王を繋ぐ「絆」という存在であり、侍従の前に「絆」を務めていたのがこの老人でした。老人は王子に、「道は切り開くものだ」と告げます。そしてもう一度東の山へ向かうよう促します。

 王子は東の山で氷磨と話し、自分の目的は侍従も、氷磨も、死なせないことにあることを氷磨と共有します。そして、老人から預かっていた鷹を放ちました。それを受け、老人と、「将軍」が東の山へやってきます。王子たちに真実を明かすために。将軍は東の王と共に殺されたその妃の兄で、氷磨の伯父にあたる人物でした。また「サヤ」という村娘も登場しました。奇しくも彼女は、王子の許嫁であり将軍の娘である「沙耶」と同じ名です。

 詳しくは前回までのお話をどうぞ。

第三章 後半

回想四 本当の約束

 城は、重苦しい雰囲気に包まれていた。絆は、東の王と、その妃、その長男を、東の山から西の城へと誘った。
即位したばかりの西の王が病で崩御したため、葬儀が行われていた。まだ三十歳の若さであった。前の西の王が六十を過ぎ、譲位したばかりだった。多くの人々に愛され、家臣からの信頼も厚かった。西の民も、東の民も、彼を慕い、期待していた。その人間性もさることながら、彼は西と東、両方の血を継ぐ、西の王だったからである。東と西の約束は正しく交わされ、双方の王は相互に信頼し合っていた。兵力においても先進技術においても、力が強いのは西の国で、実質外から見れば東の国とは西の国の一部ではあったが、東の国にも自治権があり、東にしかない技術や、言葉、産物は、国を豊かにした。
亡くなった混血の西の王の棺に縋って、一人の初老の女が泣いていた。前の西の王が、その背をさすっていた。息子を亡くした、前王の第一妃であった。東の王は、彼女に近づいて側に跪いた。
「・・・姉上。久方ぶりでございます。」
 前王の第一妃とは、東の王の姉でもあった。姉弟は、かように悲しい再会があろうか、と嘆いた。葬儀の間もずっと、東の王と前の西の王は、嘆き悲しむ第一妃に寄り添い続けた。

 崩御した若き西の王には弟がいた。兄よりひと月だけ遅く生まれた、腹違いの弟。生粋の西の血を引く、第二妃の子であった。その弟が、新たに王位についた。弟は兄のやり方を否定した。兄の葬儀でも、涙一粒とてこぼさなかった。彼は東の民を嫌っていた。
「西の民は栄え、土地に収まらなくなっている。土地がなければ民は養えぬ。東の民は減っている。土地が余っている。その土地を西のものとする。」
 新しい西の王はそう言った。前の西の王は、「それは約束のもとにある。」と息子の考えを許さなかったが、もう一人の息子の死が堪えたのであろうか、ほどなく病に倒れ、死んだ。新しい西の王にとっては、これも追い風となった。
 東の王は、これを懸念した。東の地を寄越せと言ってきた西の王に言った。
「仮の王とは認めざるを得ない。だがあなたの態度が変わらぬ限り、私は然るべき儀礼も通過していないあなたを、真の西の王とは認めぬ。」

 兄の葬儀から五年、西の王には待望の王子が生まれた。ほどなくして王の前に、相談役の老人が子連れの女人を連れてきた。子は五歳ほどであろうか、西と東の混血であった。その子の顔立ちに、兄の面影を見た王の頬の筋肉がぴくりと動いた。女は一通の手紙を差し出した。王の心臓が高鳴った。忘れもしない兄の筆跡がそこにあった。王の嫌な予感は的中した。

私はそなたを恨むまい
この子を生かすならば
さりとてこの子を殺すなら
お前に得はないと思え

約束を忘れるな
この子を次の絆とし王子の側に置け
東の君にもすでにご承知のことである

西の王として遺す

 王に謁見する前、女は王子の誕生を知って、老人のもとに現れた。
「亡き西の王は私に、弟に王子が生まれたなら、この手紙を持ち、この子を連れて姿を現すようにと仰せになりました。」
 絆である老人にすら、亡き西の王は隠していた。老人は鷹を使って東の王に確かめ、彼女らを西の王に引き合わせた。
「王様、確かにこの子は兄君の忘れ形見でございます。東の王にも確かめさせていただきましたが、確かにこの事存じておられました。この筆跡も間違いなく兄君のもの、ましてやこの子のお顔を見れば、兄君の面影がございます。あの方は今でも、この国の行く末を案じておられる。これまで隠してこられたのも、「絆」とすることも、跡目争いをお避けになりたかったのでしょう。それにこの子を絆とすれば、王様のご心労も和らぎましょう。」
 王は冷ややかに言った。
「狸爺い、知っていたのか。」
「いいえ。私は何も。王様とこの親子を引き合わせたに過ぎません。」
「…そうか。良いだろう。無欲な兄上に従おう。」
 女は王子の乳母となり、その子は王子の侍従となった。また老人は絆として、後を継がせるべく侍従を教育した。

 王子が生まれてひと月の後、老人、当時の絆は、一人東の山へ向かった。東の王に事の次第を直接伝えるためであった。
 東の王は、亡き西の王の遺志が叶ったことに安堵した。そして意味ありげに老人に問うた。
「これから西の王がいかなる挙に出ようと、あの男が真に改心せぬ限り、私は真の西の王とは認めぬ。そしてあの男も、私を認めてはいない。絆よ、そなたはどうだ。」
 老人の答えは決まっていた。
「我が王は、この地に交わされし約束を破らんとするような偽りの王には非ず、真の王たる亡き兄王と、あなた様以外にはございませぬ。」
 東の王は、老人の偽りなき瞳を見て微笑んだ。
「ならば、そなたにひとつ秘密を守ってほしい。妃よ、出ておいで。」
 東の王が声をかけると、妃が奥から現れた。その腕に、生まれて間もない赤子を抱いていた。
「氷磨という。おそらくはこれが末の子であろう。」
 妃が笑った。
「もうこれ以上はご勘弁くださいませ。我が君。一番上の子とひと回りも離れているのですよ。」
 東の王も笑った。
「私の姉と私もそうだったよ。」
 そう言ってふと真面目な顔に戻って、老人に言った。
「この子の生まれたこと、今の西の王には知らせるまいと思うのだ。」
 老人はしっかりと頷いた。東の王も頷いて、しかしふっと眉根を寄せた。
「ただ、な。妃の兄上だけには、会わせてやりたいと思うのだが、そなた、王にばれぬようにそれができるか?のう、妃よ。将軍殿には会いたくはないか?」
 妃は夫に問われて、困ったように微笑んだ。
「私は、あなた様と子どもらと、この地を守れるのならばそれで。無理にとは申しませぬ。」
 東の王と妃の言葉に、老人は力強く言った。
「私にお任せくださいませ。将軍殿は信用できます。王様の目は何とでもいたしますゆえ。それに、味方は多い方がよろしいでしょう。」
 東の王は微笑んだ。
「うむ、ではそなたを信じ、任せよう。次は将軍殿と、新たな絆の子を連れておいで。私も甥の子の顔を見るのが楽しみだ。」

第十五節 行くべき道

「今、私があるのは、今は亡き、真の東と西の王の約束を守るためでございます。」
 老人が回顧を語るうち、いつの間にか辺りは薄暗くなっていた。四人に遠慮して部屋から出ていたサヤが、灯りをともしに入ってきて、また出て行った。
 何も言わず去っていくサヤを見送って、老人が言った。
「あの子は、ここに奉公に来ていた子だね。まだ十にもならなかったが。ここの王子様方や姫様方とよく遊んでいた。末の氷磨様のことは、弟ができたようにかわいがって。」
 氷磨が少し恥ずかしそうに、「はい」と言った。しかしすぐに顔を曇らせて、言った。
「王が私のことを知れば、王は私を殺すでしょう。私を殺せば王の気は休まるのでしょうね。」
 老人は氷磨の複雑な心情を察した。
「それであなたはあえて、笛を吹かれたのでしょうが、それだけはなりませぬ。絶対に。ゆえに我が弟子があなたの身代わりをせんと王様に名乗り出た。あれも自分を犠牲にする子だ。亡き西の王様をあの子は知らぬのに、よく似ている。あなた様もそうです。」
 氷磨は俯いた。今度は王子が口を開いた。
「つまり今までの侍従や爺さまの話が本当なら、私の父は、西の王として、東の王に認められていなかった。ゆえに父はありもせぬ大義名分を掲げ、ただ東の王が邪魔だから、殺した。私には、にわかには父がそこまでするとは信じがたい気もするが、たしかに我が父は、気に入らぬとなると容赦はせぬお方か…」
 老人は頷いた。
「私には、それを止めることができませなんだ。」
 王子は、侍従のことを想った。
「しかし…驚きました。我が侍従こそ、正統な西の王子ではありませんか。父上の兄君の子であるのなら。それに、今までも兄のようには思ってはきたが、本当に血が繋がっていようとは。」
「王子様には、にわかには信じがたいお話かもしれませぬが。」
「ああ、いまはもう、今まで信じてきたことがなにもかも・・・なにを信じていいやら混乱はしている。だが、腑に落ちるところもある。父上が侍従に向ける眼差しが冷たいのも、それが事実であるのなら頷ける。・・・侍従は知っているのか?自分が王子であると。」
 老人は答えた。
「知っております。そして、王様は恐れておられる。己が弑した者たちの遺したものを。」
 氷磨が俯いたまま呟くように言った。
「怖いだろうな。西の王からすれば絆は兄の子で、兄は我が父、東の王の甥だ。それゆえ絆を従軍させ、心を折った。」
「あの子だけではございませぬ。この爺、そして東の王の義兄である将軍殿。」
 王子は恐る恐る言った。
「将軍殿、あなたは我が父に、妹御を殺された、と。」
将軍はしっかりと答えた。
「いかにも。それゆえあえて、王様は我が娘をあなた様の許嫁になさったのでしょうな。」
「あなたを繋ぎとめる鎖として、ということか。」
 老人が付け加えた。
「そして王子様、あなた様の鎖でもございます。侍従をあの牢から救い出し、かつ氷磨様をお守りするには、王様ご自身がお決めになったことは曲げられませぬゆえ、王様を裏切ることになります。…道を切り拓かれる覚悟がおありか。」
 王子は、老人の思惑を理解した。
「あなたは私を神輿に、王に反旗を翻そうというわけか。父上のように犠牲を厭わず進むことが、私にはできないとあなたはよく知っている。」
「私が、笛を吹かなければ」
 氷磨がまた呟くように言った。少し様子がおかしい。ずっと俯いたままだ。
「私が、いなければ、王子、私を、差し出せば、絆を、助け出せる、きっと、元の…」
 老人が首を横に振った。
「それはなりませぬ。たしかに王子様には、王様につく道もございます。沙耶姫様を人質にとれば、将軍殿も動けませぬ。しかし、」
突然氷磨が立ち上がって叫んだ。
「いい加減にしろ!それでも爺さんは俺につくとでも言うのか!王子が王を裏切ったとしてどうなる!また争って血を流して、あの惨劇を繰り返して、下手すればここにいる者全員我が一族の二の舞になる!今度は王は反逆者に本当の大義名分を持つことになる!私が、私一人死ねば!」
 そこでばん、と引き戸が無遠慮に開いて、サヤが駆け込んできて氷磨の肩を掴んだ。
「落ち着いて氷磨。座って。」
 氷磨はサヤを振り払った。サヤは突き飛ばされて尻もちをついた。それを見て咄嗟に将軍が後ろから氷磨を抱え込んだ。氷磨は振り払おうと暴れた。その呼吸は荒く、酷く苦しそうだった。将軍は何も言わず、力強く氷磨を抱えて座りこんだ。氷磨も次第に抵抗できなくなった。サヤが立ち上がって氷磨に近づいた。将軍はサヤに声をかけた。
「一度目ではないな。」
 サヤは頷いて、氷磨の方にそっと手を伸ばした。
「ありがとうございます。あとは、おまかせいただけますか。」
 将軍はそっと氷磨を離し、サヤの腕に任せて、言った。
「ゆっくり息をしなさい。手荒な真似をしてすまなかった。あとはサヤ殿に任せる。」
 サヤは至って落ち着いて将軍に言った。
「皆様の夕餉をご用意いたしましたのでどうぞ。隣の間に。」
 氷磨は苦しそうにサヤの腕に支えられていた。王子や侍従が来てから、あの日を思い出すことが多くなっていた。あまりに残酷なあの光景、血塗られた記憶を強く思い出すと、息ができなくなる。そっと背に押し当てられたサヤの温かい手を感じながら、目を閉じた。
 王子は驚いて固まっているばかりで、何もできなかった。呆然と氷磨とサヤを見つめていると、将軍に外へと促された。将軍は長時間座っていたために脚が固まってしまった老人を支えて立ちあがらせ、王子を促し、そっと引き戸を閉めた。

回想五 侍従

 五つになった時、母が告げた。
「お前は、これから王子様のもとで、「絆」となるのですよ。」
 初めてみる王様は、とても怖い顔をしていた。まだわけもわからぬまま、少年は王子の侍従となり、「絆」の老人の弟子になった。師匠は弟子に真実を教えた。本当は少年は死んだ西の王の子で、王様が怖い顔をするのはそのためなのだと知った。そして、東の山と西の城を行き来し、次の絆として教育を受けた。東の王や、妃、その子どもたちは、少年をとてもかわいがってくれた。東の末の王子は、西の城の王子と同い年で、少年には二人の弟がいるようだった。西の城に帰れば、王子の乳母となった自分の母と、王子の母が迎えてくれた。皆に好かれ、彼もまた皆を愛した。誰かが言った。「ああ、あの方が生き返ったみたい。」と。

 少年が十五になった頃、西の王は兵を挙げた。少年は初陣を飾れ、と王に命じられ、わけもわからず付き従った。王は東の山へ向かった。訳を聞くと王は、「東の国に挨拶をしに行くのだ。」と言った。

 西の軍勢は、山の広間についた。東の王が出迎えた。西の軍の物々しさに反して、東の王は、剣を下げている以外は武装もしていなかった。また東の王の背後には、彼の一族が控えていた。妃、息子たち、娘たち、少年がいつも東の城で会う人々。ただ一人、東の王の末の子、氷磨はいなかった。少年は何かおかしい気がした。ふと、東の王と目が合った。その表情は、少年が見たことのない表情で、少し眉根を寄せ、困ったような、どこか悲しげな微笑みを少年に投げてよこした。いつもならもっと、屈託のない笑顔で、少年の成長を喜んでくれるはずなのに。前に来た時、もうすぐ成人だ、と言うと、楽しみだと笑ってくれた。だが、今成人し、初陣の武具を身に着けた姿を、東の王は複雑そうな表情で見ている。
 西の王が進み出て、言った。
「此度は、この地に交わされし約束を、確かめに参った。かつて我らが先祖は武具を纏い、この地にて争った。だが、その後共に危機に瀕し、もはや争いはすまいと手を取り、約束を交わした。」
 東の王が答えた。
「東西の王は、二つの国はいつも一つ、この先も約束のもとに、と誓い合った。そして、二人の王を繋ぐ…者は、絆はいずこに。西の王よ。」
 そう、この行軍に、その当時の絆、少年の師でもある老人は、付いてきていなかった。西の王はわざとらしい笑みを浮かべた。少年はどきり、とした。やはりなにかおかしい。風もないのに、木々がざわめいているような心持ちがした。王は言った。
「あの者は急病にて、城におります。代わりにその弟子がここに。」
「それは心配だ。あの者はいたって頑丈ゆえ、ふだんは風邪もひかぬのだが。どのような病なのです。絆の少年よ、そなたの師の様子は。」
 少年は、何も知らなかった。今朝になって病とは聞かされたが、会っていない。
「…わかりません。」
 東の王は西の王をまっすぐに見て言った。
「何をしに参られた。話がしたいようには見えぬ。」
 その時、東の王の背後で悲鳴が起こった。見ると東の王の妃が倒れ込んでいる。西の王が冷たく言った。
「そちらも急病人のようだ。いかがなされたか。」
 東の王の長男が母に駆け寄り、叫んだ。
「母上に何をした‼」
 長女が母の身体をあらためて声をあげた。
「吹き矢、毒矢です!」西の王の右手後方から、将軍が前へ駆けだそうとした。東の王の妃の兄だ。しかし瞬間、がくりと膝を折った。西の王は言い放った。
「大した毒ではない。将軍、お前なら死なん。」
 そして西の王は、剣を振り上げ、叫んだ。
「我は神の子、神の国に居座り、我らが繁栄を阻む鬼を退治しに参じた!その女は鬼に嫁ぎ、鬼の子をはらんだゆえ、天罰が下ったのだ!者ども、鬼を根絶やせ‼」
 王の手勢が動いた。彼らは王が特別に集めた精鋭どもであり、西を、神を至上と崇めている人々だ。将軍の手勢も混乱していた。指揮を執るはずの将軍は倒れている。王の手勢はよく働いた。女、子ども、誰一人逃さなかった。王はつかつかと東の王に歩み寄り、その剣で斬りかかった。東の王も剣を抜きそれを受け止めた。二人の王の力は互角か、やや東の王が押しているように見えた。しかし、徐々に東の王の動きが鈍る。東の王が言った。
「そんなに毒がお好きか。」
 西の王の剣には、毒が塗ってあるらしかった。ごく小さな傷から、毒は東の王の身体を蝕んでいく。西の王は剣を振り上げた。と、東の王の長男が割って入った。四十も半ばを過ぎた西の王は、東の王子の若さに押され、東の王から遠ざけられていく。東の王子は、西の王を遠ざけながら、突っ立ったままなにもできずにいる少年に怒号を飛ばした。
「何をしている!お前のすべきことをしろ!我々は恨まぬぞ!」
 東の王はすでに立ち上がる力もなかったが、少年を手招いた。少年は引き寄せられるように、東の王の傍らに膝をついた。東の王は優しく微笑んだ。
「何も、知らなかったのだな。」
 少年は頷いた。
「王子も言っていたろう。私たちはそなたを恨まぬ。うむ、よい武具だ。良く似合う。立派になったな。」
 がたがたと震える少年の頬に、東の王はしびれて力の入らぬ手を伸ばした。周りでは、東の王子をはじめ、東の王を慕う者たちが、東の王と少年に、西の王の兵たちを近づけまいと戦っていた。東の王は諭すように少年に促した。
「初陣では手柄をあげねば。あなたが、私に止めを刺してくださったなら、私は誇っていける。もう自害する力もない。」
 少年は激しく首を横に振った。東の王は切れ切れに言った。
「お前は、賢いこだ。強く、美しい子だ。本当は、こんなことをさせたくは、ない。だが、最期の、頼みだ。あの、偽りの、西の王、の手にだけは、かかりたく、ない…。」
 東の王子の声がした。
「父上を頼んだぞ!絆の子よ!我が弟よ!」
 それが彼の最期の言葉だった。東の王は、毒に侵され、苦しげな息をしながら、少年に請うた。
「頼む。絆の子よ。お前は、生きなさい。」
 背後に西の王が迫る。少年はそうするしかないと、あまりに悲愴な覚悟をした。少年は剣を振り上げた。東の王は笑った。
「そなたを誇りに思う。我が甥、真の西の王の子。幸あるように、愛しき子よ。」
 あとはもう覚えていない。気付いた時には、心配そうに覗き込む、幼い西の王子の顔があった。

 あれから十年が経った。今、あの日十五の少年であった侍従は、二十五の青年になった。青年は地下牢にいる。満月の日を、自らの死を、望んで一人待っている。見たこともない父や、東の王は、自分を責めるだろうか。母は、悲しむだろうか。でも彼らが自分を生かしたように、氷磨を生かすことができる、と思った。そして、黄泉での再会が叶うなら、今は亡き愛する人々に会いたいと強く思った。ふと冷たい壁を見やると、なにかが書いてある。一目見て、師の老人の筆跡だと分かった。老人の好きな詩が書いてある。
 ああ、あの日戦場にいなかった老人は、この地下牢にいたのだ、と侍従は知った。

第十六節 夜明け

 いつの間に眠ってしまったのだろう、山の屋敷には朝が訪れていた。王子は身を起こして、辺りを見渡した。将軍と老人はもう起きたのか、いなかった。「そうだ、氷磨は」と、昨日話をしていた部屋の前へ行くと、氷磨の声がした。
「王子か。戸を開けてくれないか。」
 すっと引き戸を開けると、氷磨は身を起こしていた。サヤが氷磨の膝を枕に眠っていた。氷磨を介抱して、遅くまで起きていたのだろうか。昨晩、サヤは慣れた様子で、落ち着いて氷磨の介抱をしていた。将軍も言っていたが、こういうことがあったのは一度や二度ではないのだろう。昨夜の氷磨の様子は王子に、王がどれほどのものを氷磨から奪い、その奪い方がどんなにか非道なものだったかを、心の痛みと共に物語った。氷磨は、王子に声をかけた割には、それ以上何を言うでもなく、王子の方を見ることもなく、ただ空を見つめている。その瞳は、あの日初陣から帰った侍従の瞳と同じ色をしていた。

 庭からなにか話し声と、香ばしい匂いが漂ってきた。王子が外へ出てみると、老人と将軍が魚を焼いていた。将軍が上機嫌で言った。
「おお、王子様。いましがたそこの川で、よいものが獲れ申した。皆でいただきましょうぞ。」
「ああ、立派な魚だな。皿を、持ってこようか。」
「持ってきてくだされ。昨日サヤ殿が炊いてくれた米もある。狩りをしている間に爺さまが汁も作ってくださった。朝餉にしましょうぞ。」
 将軍の大きな声に、サヤも目を覚ました。すぐに立って手伝おうとするので、王子が、成人の儀で勝手はわかっているから私がやる、と止めた。
「氷磨もそのままでいいぞ。」
 すると氷磨は、いつになく素直に「すまない」と言って、なおも手伝おうとするサヤを側に呼んだ。そして、三人の目もはばからず彼女をそっと抱きしめて、「ありがとう」と言った。
 朝食を済ませる間、氷磨とサヤはずっと寄り添っていた。食べ終わると、サヤは村で仕事があるから、と帰っていった。サヤが去った後、氷磨がぽつりと言った。
「あの日、殺戮を終えて王が帰った後、震えている俺を見つけてくれたのはサヤだった。サヤがいなければ、今の俺はない。」

 さて、王子には、昨晩の話で、気になることがあった。なぜ、侍従の父は、正統な王子となるはずの我が子を、弟に王子が生まれるまで隠し、絆とせよ、と言ったのか。手紙に「私はそなたを恨むまい」と書いたのは、その時点で弟を恨むような理由があったのか。亡くなる前にそこまで周到に東の王にまで根回しができたのはなぜか。
 老人は王子の問いに答えて言った。
「確かなことはわかりませぬが、亡き西の王は、ご自分のお命が長くないということも、後を継ぐであろう己が弟がどのような政をするのかも、分かっておいでだったのかもしれぬ、としか。賢い方でございました。」
「どのような病で亡くなられたのだ。」
「名医にも、わからぬ病でした。薬も効かず、たった一晩のうちに亡くなられてしまわれました。それもあの日は、弟君、つまり王子様の父君に誘われ、お食事を共になさった日…。」
 氷磨がきっ、と目つきを鋭くした。
「麓村の住人が俺の家族を弔ってくれたが、あの日、剣だけでなく毒が使われたという噂がある。判然り言われたらよろしい。あの王は目的の為なら手段を選ばない。さしずめ絆の父は、弟に食事に毒を盛られでもしたのであろう。食事に誘ったのが弟ならば、聡い兄はそれを予見し、万が一のために我が父に知らせを寄越した。死んですぐに絆が生まれ、五年後王子や俺が生まれた時にそれが明らかになったと言うが、それはそもそも弟に、我が子を身ごもった女がいることすら、隠していたということだろう。子ができたことを知られれば、妃ともども殺されかねないと考えたのではないのか。弟に王子が生まれ、公に王位継承権を持った後ならば、将軍や爺さま、東の王の心情に鑑みても、絆を生かす価値がある、と王が判断すると踏んだ。」
 老人は言った。
「その証拠はないのです。王様は直接兄君に手を下されたわけでもないのですから。ただ、あの手紙や、王様の様子を見れば、なにかがお二人の間にあったことは確かでございましょう。それに事実、混血の王をよく思わぬ者たちが城の中にはおりました。…果てに、王様は東の王とその一族を抹殺してしまわれた。我が悔いはそれを、止められなかったことでございます。」

 王子はようやく、自分の心に誓った。もう、逃げはしない。母の歌を呟いた。
「善きことに進め、我が子よ。」
 我が心の善きとすることに、従おう。

王の詩

月の光の満ちし時
耳煩わす
笛の音響く

忌まわしき調べは兄の声
東の卑しき王の声

正義を行使せよ我が子よ
正しきは我が神である
我らは神の子、鬼を葬り去るのだ

次回 第四章

 処刑の日は明日に迫っていた。空には、ほとんど円に近い月が昇った。王は言った。「明日の満月を東の塔にて迎えよう。あの忌み子を引き据えよ。最後の笛を吹かせてやろう。満月が沈み、朝日が昇ったなら、神の子、王子よ、あの者の首を刎ねよ。神は鬼を克服する。」
 王の言葉は絶対である。王子は恭しく頭を下げた。

 四章冒頭を予告として。

 さて、お楽しみいただけているでしょうか。今回でおおよその過去の真実が明らかになりました。王様がどんな人物なのかも、見えて来たでしょうか。地下牢にいる侍従の出自、妹を殺された将軍、老人の思惑、氷磨の心の傷、側で支えるサヤ、全てを知らされた王子。しかしまだ王様側の視点に触れていませんので、四章では王様の回想、そして今一度老人の回想、その上で、登場人物たちがどう行動するのかを描きたいと思います。

 一度おおよそを紙のノートに書いたものを、現在見直し、少し加筆修正しながらお送りしているのですが、ちょっと書く方が追い付かなくなってきたので、筆が遅くなるかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。ほぼ週一更新で、とは思っているので、ちょっと過去作とか、小さな作品もはさみながらぼちぼち更新していこうかな、と。

 今回の見出し画像は、左から侍従(絆)、老人、将軍でした。前回の見出しと同じ一枚の絵の、下の部分になります。ちょっとずつ全貌が見えていきますよ。

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