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Sおばちゃん

5日前、実家に帰省することになっていた。当日の朝、母から電話がかかってきた。「Sおばちゃんが、脳出血で倒れた」と母は言った。

Sおばちゃんは父の兄の妻で、私の伯母にあたる。伯父はSおばちゃんなしには生きていけないような人だ。飲み会や病院の送り迎えにはじまり、日々のちょっとしたことですらも伯母に構ってもらいながら過ごしている。実家は隣同士なので、窓を開けていると「おーい、S。これはどこに置けばよかっか?」などという大声が日常茶飯事で聞こえてくる。

Sおばちゃんはとても大らかな人だ。いつもゆったりとしていて(体格もゆったりとしている)、ニコニコ笑っていて、とても温かい人。余計なことは、一切口にしない。神経質な伯父の相手は彼女だからこそ務まるのだろう、と親戚中で話しているほどだった。

先日、帰省した際にも、畑で採れた野菜をたくさん持ってきてくれ、ちょっとだけ立ち話をした。毎日孫を保育園まで送り迎えし、家庭菜園で季節ごとの野菜を作っては近所におすそ分けする。誰もが「Sさんはよか人」と口を揃えて言う。

そんなSおばちゃんが、倒れてしまった。前日は孫の運動会に出て、夕方には畑の野菜をたっぷり収穫していたのだという。伯父の様子を見に行くと、そこには力のない伯父の姿があった。

目に涙を溜め、「Sはこれまで本当に良くしてくれた。もし体に麻痺が残ったり、話せんかったりしても、生きていてくれるだけでよか。これからはおじちゃんが面倒を見ていくけん」と話していた。帰りには「持って帰って食べてくれ」と、昨日おばちゃんが収穫したナスとピーマンをビニール袋いっぱいに詰めてくれた。

帰省して2日目に、医師から「意識が戻る可能性はない」と言われたと聞き知った。脳内の出血がひどく、もってもあと2日ほどだろうと。信じられなかった。私の父のときと同様、突然の死は現実味を帯びない。しばらくの間、会わずにいたら、また再会できるような気がしてしまう。でも、その2日後の早朝、母の携帯におばちゃんが亡くなったという知らせが届いた。

親戚が集まり、2晩通夜や葬儀の準備が始まった。おばちゃんは自宅に戻ってきてきれいに整えてもらい、和室の部屋に寝かされた。おばちゃんの安らかな様子はただ昼寝をしているだけで、「そろそろ夕飯の支度をせんといかんね」と言いながら、ひょっこり起き出してきそうだった。

それからは慌ただしかった。田舎ではよくあることだが、女性陣は台所に集まり、みんなでおむすびや煮しめ、きんぴら、味噌汁などを用意する。地元名物の「がね揚げ」は近所のT商店から買ってきたものだ。米を1升炊き、流れ作業でどんどんおむすびが皿に並べられていく。

仏事には地域ごとの決まりがあるらしく、煮しめ用の厚揚げを四角に切っていると、「仏事では三角に切るんよ」と言われた。こんなことは一緒にやってみないと知ることはできない。人生の先輩たちに、もっといろいろ教えてもらいたいと思った。

テレビのある部屋には男衆が集まり、食事が運ばれてくるのを喋りながらただ待っているだけ。その光景に違和感を覚えながら、せっせと立ち働く。「なぜ、女性だけ」と思うものの、おばさんたちはそれが当たり前のようで、「醤油を持ってきてくれ」「皿が足りんよ」という男性たちの声に走り回っている。

通夜には実にたくさんの人が集まった。みんな突然の訃報に驚いた様子で、残念そうにSおばちゃんに別れを告げていた。人は亡くなるときに、その人柄の真価が問われるような気がする。私も、Sおばちゃんの死がとても残念でならない。

通夜、葬儀と慌ただしい間はまだ良いものの、また日常が戻ってきたときに伯父の寂しさは募るだろう。これまで伯母に頼り切りだった伯父は、これから一人で過ごす時間が増えることになる。すぐ隣には娘夫婦の家があるから行き来はあるだろうけれど、昼間に「おい、S」と、もう呼びかけることができないのはあまりにも悲しい。