山暮らしの洗礼
山暮らしで何に一番困っているかというと、なんといっても虫だ。我が家は築50年ほどの古い木造一軒家で畳の部屋も多いので、湿気が溜まりやすいのだろう。気温が上がり始める頃から、あらゆる虫が出てくる。
まず見かけるのはヤモリ。漢字では「家守」と書き、文字通り害虫を食べて家を守ってくれるといわれている。だから引越し当初、「ヤモリとは共存したほうがいいよ」と言われた。特に害はないから放っておくけれど、トイレなどの狭い空間で一緒になると、さすがにビクッとしてしまう。
特に苦手なのが、足の長い虫たち。大きな蜘蛛やムカデなど。蜘蛛も害虫を食べてくれるから、小さい頃「蜘蛛を殺したらダメだからね。バチが当たるよ」と、親に散々言われた記憶がある。大きいものは見た目にゾッとするけれど、特に人間に害を及ぼさないから目をつぶる。
問題なのはムカデだ。私はいまの家に越してくるまで、ムカデを見たことがなかった。初めて目にした時、思わず声を上げてしまった。見た目のグロさはもちろん、クネクネとした動きがなんともおぞましい。それからは、ネットで「ムカデ対策」の記事を検索しては読みあさり、家の周りにムカデ避けの粉をまいて回った。
特に彼らが出没しやすい場所(お気に入りの場所?)があるようで、毎年、同じ場所で見かける。もちろん、室内の話だ。
そもそも、私は虫を殺すことができない。殺虫剤スプレーなども販売されているけれど、それをシューっと吹きかけたあと、それを始末するのは私なのだから。変わり果てた姿を見るのは恐ろしく、いつも虫取り網で掬っては、庭の先の方で逃していた。大きな蜘蛛もムカデも、ヤモリも。
でも、友人の一人から言われたことがある。「ムカデはつがいで生きているから、片方を外に逃しても、また家の中に戻ってくるよ」と。そんなことを聞いてしまったら仕方ない。ムカデだけは外に出した後、意を決して熱湯をかけ、始末することにしている。
引っ越して2年。なんと、生まれて初めてムカデに噛まれてしまった。夜、寝ていたとき、右腕がなんだかジンジンした。今までに経験したことのないような痛みだった。夢でも見たのかと思ってしばらく放っておいたものの、やはり痛い。電気をつけて見てみたが、特に異変はなさそうだった。
やっぱり気のせいだった、と電気を消そうとしたそのとき、シーツの上で何か黒いものがうねうねと動いた。ベッドから転げるように飛び起きた。見ると、そこにはムカデがいた。
人は心底驚くと声が出ない。体はワナワナと震え、立っているのがやっとだった。ということは、私はムカデに噛まれたのか?
以前、知り合いから、ムカデに噛まれたらとにかく熱湯をかけて毒を出す、ということを聞いていた。私はシーツの上のムカデはそのままに台所へ直行し、アルミの小さな鍋に湯を沸かした。痛みは次第に増してきて、腕が赤く腫れている。熱ければ熱いほどいいだろうと、火傷しそうなほどの熱湯をスプーンでかけていく(注:真似しないでください)。あとでネットで調べたところ、実際には45度くらいのお湯でもいいらしい。
その後、給湯器のお湯に切り替え、しばらく腕にお湯をかけ続けていた。10分後、落ち着く間もなく、ムカデを始末しなければならない。姿を見るのも嫌なのでできれば放っておきたいものの、家には私しかいない。しかも、ヤツがいるのはベッドの上。なんとかしなければ。
シーツに手を伸ばすことができないまま5分、心臓をドキドキさせながらただ立っていることしかできない。でも、ずっとこのままではいられない。思い切って布団を捲り上げると、足元の方にムカデがうずくまっていた。
用意しておいた虫取り網で確保し、蓋付きのちりとりに入れ、深夜の庭へと運ぶ。さらに用意しておいた熱湯を網の上から回しかけると、あっけなく死んでしまった。どんな生き物であれ、命を奪うのは心苦しいが、こちらに害を与える虫であれば仕方ない(と思うことにしている)。
翌朝、早朝に開いている近くの温泉へ行き、ゆったりと湯船に使った。応急処置のお湯がよかったのか、温泉がよかったのか、幸いなことに腕の腫れは治り、ただ噛まれた箇所だけが赤い点となって残っている。
その日さっそく、ムカデが嫌うというハッカ油のスプレーをつくって室内の至る所にまき、さらにムカデが嫌いなヒノキの香りの包み(天然素材でできていて、室内に置くことでムカデ避けになるらしい)をネットでポチり、その到着をいまかいまかと待っている。どれほどの効果があるか、わからないけれど。