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なるべく予定は入れたくない

朝晩はまだ気温がマイナスになる日もあるけれど、昼間はすっかり春の陽気だ。セーターなど着ようものなら、暑い日差しに汗ばむ日もある。冬の間放っておいた庭の草が、最近青々と茂り出してきた。重い腰を上げて倉庫から草刈機を出し、洗濯物を干す場所から草刈りを始める。

草刈機に絡まった小石が、ビュンビュンと威勢よく飛び散る。その中の一つが脛(すね)に当たったところで、今日の作業は終わり。もう少し厚い素材のズボンを履かないと危ないかもしれない。玄関先で服に飛び散った草を手で払ったが、それでも取れないので着替えることにする。

「金曜日、ごはん食べに来ない?」と、友人にメッセージを書いているものの、なんとなく送信できないでいる。会いたいのに、会いたくない。この感情をどう説明すればいいのだろう。こういうことが、よくある。

「朝起きてみないとその日の気分はわからないから、なるべく予定を入れたくない」、というのが近い感覚ではないだろうか。一方、予定が埋まっていると安心する、という人もいる。知り合いの女性はごはんを作る時間もないくらい忙しいのに、先の先までスケジュールを入れておかないと不安になる、と言っていた

私は、その日の気分にぴったりと合うことがしたい。もちろん、仕事についてはそうも言っていられないけれど、プライベートに関してはそうありたい。だから、なかなか人を誘えない。とはいえ、大抵の人は当日に連絡しても「急に無理だよ」という反応が多く、結局一人で過ごすことになる。なにか良い方法はないだろうか、と常に考えている。

最近、好きな女性作家のエッセイを読んだ。その中に、「よっぽどの用事がないと家から出ることはなく、SNSやテレビも見ないので、世の中のことをほんとに知らない」という内容の一文があった。それを目にしたとき、とても安堵した。

私は一人の時間がとても好きなのに、きっと「人と会わなければならないのではないか」と、心のどこかで思っているのかもしれない。SNSは友人と楽しい時間を過ごした人の投稿で溢れ、なんだかキラキラとして見える。みんながみんな、常に誰かと一緒に過ごしているように錯覚してしまう。

休みの日は、食べたいものを料理して、食べ終わったら本を読んだり、映画を観たりしたい。疲れたら寝っ転がり、昼寝だってしたい。心の中にそういう思いがあるから、なかなかメッセージを送れないでいるのだろう。

特に、自宅に人を招いた場合は時間も長くなりがちだ。人に会いたいときは、サクッと外で食事をするのがいいかもしれない。なんてことをつらつらと考えていれば、そりゃあ、人なんて誘えない。

自分のことながら、なんて面倒な人なんだろう、と思う。でも、40年以上そうやって生きてきたんだから、きっとこの先も変わらないだろう。




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