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古道具屋

ずっと行ってみたかった古道具屋へ、やっと行くことができた。2カ月に一度しかオープンしないというその店(店主の自宅)は住宅街の中にあるという。初めて訪れる街なのでもちろん土地勘はなく、地図アプリに助けられながらようやっと到着した。

地図を頼りにしばらく路地をうろうろするも、店を見つけることができない。迷った挙句、近所のたばこ屋で道を尋ねると、「きっとあの家だろう」と言ってすぐ近くの民家を教えてもらった。

その家の前には看板もなく、玄関には農具が雑然と置かれていた。「本当にここだろうか」と、恐る恐る玄関のブザーを押すと、「はーい」という声がして昔ながらの引き戸の玄関扉が開いた。出迎えてくれたのは、上下白のさっぱりとした服を身に纏った30代後半くらいの男性だった。とても物腰の柔らかい人で、「さぁ、どうぞ」と中へ案内してくれる。彼はその後、中断していた畳の雑巾掛けに戻っていった。

店は畳の2間と板の間のスペースのみで、古い食器や花瓶、籠、家具などがきれいに並べられている。一般的な古道具屋の雑然とした雰囲気など微塵もなく、一つひとつのモノたちが大切に扱われていると感じた。

店内を見て回っていると、店主が声をかけてきた。「どちらからですか?」という一般的な質問に始まり、古い家での暮らしについて、虫対策について、近所の温泉についてなど、自然と話が飛んでいった。彼のゆっくりした口調には安心感を覚え、初対面でもポツポツと会話が続いた。珍しくはあるけれど、こういう人がたまにいる。

「古いモノはお好きですか?」という問いに「はい」と答える。古いモノが持つ年季を経た艶や存在感に惹かれ、時々、古物の蚤の市などを訪れては、一期一会の出会いを楽しんでいる。店主とそのようなことも話しながら、気に入ったモノたちがどこからやってきたのか、どのように使われていたのかなどを尋ねていった。

「古いモノを苦手とする人は結構多いですが、僕は歴史のあるものが好きなんです。使われていた時から何十年も経ってなお残っているということは、それだけきちんとつくられたもので、それ自体に価値があるのだと思うんです」と、店主は静かに言った。

しばらく見て回り、結局、昔、寺子屋で使われていたという古い文机と、農家で使用されていた大きな竹籠(とてもしっかりとしたつくりだった)、大きなスプーンを4つ買い求めた。文机は正直、想定額よりも高かったのだけど、黒光りする艶やどっしりとした風貌に惹かれ、思わず買ってしまった。

実は数日前、別の古道具屋で気になったものの買わなかった台があった。大きさは今日買った机とほぼ同じで、値段は今日の机よりも2千円ほど安かった。けれど、その日は迷いに迷って買うのをやめた。お店の人に「もし買いたいと思ったら後日連絡してもいいですか?」と言付けし、しばらく考えようと思っていた。

今日出会った机はすぐに「これだ」と思った。私の家で、私がこの机を使っている姿がイメージできた。きっと、出会うべくして出会ったのだろう。先日は値段のことで迷っていたものの、それよりも高いものを即決したんだもの。結局は「縁」があるか、ないか、ただそれだけなのだと思う。

重さのある机を、少し離れた駐車場まで店主が運んでくれた。お土産にと、畑で育てた里芋を掘り出し、新聞紙に包んでくれた。帰りの道中でふと、店主の佇まいを思い出した。きっと、あの人だったから買おうと思ったのだろう。そういうことがよくある。店に入り、店主と言葉を交わし、心地の良い空気がお互いの間に流れたとき、その店のモノを持ち帰りたくなる。そうやって家に迎え入れたモノたちは、愛着を持って長く付き合える相棒となる。

さっそく家に戻り、文机を和室に据えた。まるで初めからそこにあったかのように、すんなりと馴染んでいる。あぁ、やっぱり連れ帰ってきてよかった、と心底思った。