『花束みたいな恋をした』が描いた「時間」とは ~なぜこんなにも切なく刺さるのか
『花束みたいな恋をした』はサブカル好きの絹(有村架純)と、麦(菅田将暉)の出会い、付き合い始めてから別れるまでのストーリーを描いた映画だ。
この作品は、なぜこんなにも観るものの胸を掴み、切なく刺さるのだろうか。
「花恋」で描かれた複数の時間軸
「花恋」で描かれた恋愛は、そのタイトル通りそれ自体が「花束」であり、美しく尊いものだ。その「尊さ」は、この映画では4つの「時間」を使って描かれている。どういうことか、1つずつ説明しよう。
①進む時間、変わってしまう時間
この作品は2016年から2020年までの5年間を描いた作品である。作品の中で、その出来事が何年のことなのか、作中で示される。
これは、この映画が一定に進む時間、一日ずつカレンダーの日付が進むような時間軸を表している。それは同じ日付はありえない、変わりゆく時間である。
②「止まっている」時間、永遠
絹と麦の二人がカラオケで歌った曲、きのこ帝国の『クロノスタシス』に、こんなフレーズがある。
これは「時計の針が止まっている」、つまり進まない時間軸である。2人はずっとこの時間が続いてほしいと思っている。麦の「僕の目標は、絹ちゃんとの現状維持です」というセリフにも、それが表れている。
③「戻すことのできない」時間
しかし、彼らの願いも虚しく、彼らの関係性は変わってしまう。
終盤、別れを決意する2人はファミレスで、かつての自分たちの姿を見る。まだ知り合ったばかりであろう2人が、好きな音楽や本について語り合うのだ。
そこで2人は、自分たちが決定的に変わってしまったこと、そして「あの頃」の姿には戻れないことを実感する。時間を戻すことはできないのだ。
④「記憶」される時間
戻すことのできない時間、しかし、2人の幸福な日々は確かにそこにあった。別れた後、麦はグーグル・ストリートビューで河川敷を歩く2人の姿を発見する。
このエピローグは、この作品が映画の鑑賞者の「記憶」の物語であることを、制作者が示しているようなシーンだ。
まとめ
このように『花束みたいな恋をした』は複数の時間軸を描くことによって、「恋愛」の尊さを効果的に表現している。
まとめると「②ずっとこのまま続いてほしい、止まってほしい時間」を求める関わらず、「①時間は進んでしまう」。そして、その時間は「③取り戻すことができない」のであるが、それは確かに「④そこにあった時間」だったのだ。
この緻密な造りに、我々は胸を打たれるのだろう。
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