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『五月のある晴れた朝、完璧な社会の実現について考える』(短編小説)

五月とは思えないほどの強い日差しの中、青く澄んだ大空はどこまでも続いているようで、この重い鎧のような体を脱ぎ捨ててどこまででも行ってしまいたい。彼女はそんな誘惑に駆られていた。

早く街を出なければすぐにでも年老いてしまいそうな気がして上京しては来たものの、どの街でも長く住んでいればやっぱり澱んでくる空気は同じで、ここでもまた、ここではないどこかを夢見ている。

あの青い空の向こう側、空が途切れる最果ての地まで飛んで行ってしまえたら──。

駅のホームで電車を待つこの瞬間も、想像は一瞬で世界を巡る。スーツケースにお気に入りの洋服や日用品を詰め込んだりなんかしなくたって、長い行列のイミグレーションに並んだりしなくたって、私はいつでもどこへでも飛んで行ける。

眩しい朝の光。友達同士だろうか。向かいのホームで話す二人の表情は緩んでいる。
駅のホームを流れる穏やかな空気。
平日朝のピリッと張り詰めたような空気はどこにもないし、定まらない視点で遠くをぼんやりと見つめたままの、戦場の兵士を思わせるサラリーマンの姿も今日は見当たらない。

祝福された連休の真っ只中、沈んだ表情を浮かべる者など誰もいない。私ひとりを除いては。
私を想像の世界から一瞬で現実に連れ戻すのは、私の体であり、私の仕事だった。

連休だからと言い張って、断ろうと思えば断ることもできたのだけど、結局誰かは出社しなければならないわけで、仕事を人に押し付けて、その間に遊んでいるのは何だか後ろめたい気もして、つい出ます、と言ってしまったのだった。

その瞬間だけは同僚の喝采を浴び、世界を救ったかのような束の間の英雄気分を味わっていたけれど、それがいざ現実になってしまうと、もう世界なんて滅んでしまえ、とおよそ英雄らしからぬ台詞を吐いてしまうのだった。

折しも世間は10連休、間違って彼女の呪いの言葉が神様に届いてしまったのか、世の中はあちこちで交通機関のトラブルに見舞われていた。停電の影響で新幹線は大幅に遅れ、過去最高の人出という空港ではチェックインでも多くのトラブルが起きているようだった。
そしてまた、彼女自身が今から乗ろうとする電車も遅れていた。

「一部の電車に遅れがでています。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
電光掲示板をゆっくりと流れていく文字を目で追いながら、この世に完璧なものなど存在しないのだ、と彼女はあらためて思っていた。

子供の頃、世の中は完璧なシステムで回っていると思っていた。世の中の歯車は一寸の狂いもなく、それを管理する大人たちは皆、一つのミスも犯すことはないのだと。自分も大きくなったらそういうちゃんとした大人になれるのだとも思っていた。

しかし、大人になった今、世の中が割といい加減なシステムで成り立っていることを私たちは嫌でも思い知らされる。不正や犯罪はなくならないし、聖人君子のような完璧な大人なんてものがどこにも存在しないことは、彼女自身いつまで経ってもミスを犯さないちゃんとした大人になれないことを考えれば当然のことだった。

それでも、せめて、せめてもう少しだけでいいから人に優しい世の中であって欲しい。彼女は切に願っていた。

誰もが相手のことを思いやり、どんな立場の人も互いに何かをしてあげようと願い、支え合う共生社会。そんな恋愛の始まりみたいな未来が待っていると信じて疑わなかった。
けれども、実際目の当たりにするのはおよそ日常に似つかわしくない言葉の暴力を伴った、互いの正義、互いの価値観のなすりつけ合い。
待っていたのは他人同士が義務ばかりを押し付け合う強制社会だったなんて笑えもしない。
そこには恋の甘さのようなものは何一つなくて、まるで束縛男が服装から行動から、心の中までもを管理しようとする自由意志のない世界。
束縛されることでしか愛の実感が得られない特異な女性もいるのかもしれないけれど、私の想像していた未来とはずいぶん異なる世界に脚を踏み入れてしまったと、ときどき困惑してしまう。

一度、混雑した電車内で具合が悪くなって倒れこんでしまった女性がいて、駅に着いて周りの人から介助されるときも、「すみません……すみません……」と、手を貸す人、何事かと群がる人、彼女の周りにいるすべての人に対して何度も何度も謝っているのを見たときには、まるで自分の姿を見ているようで、思わず泣きそうになってしまった。

「ありがとう」その一言だけでいいはずなのに、「すみません」なんて謝る必要は本当はないはずなのに、人の手を煩わせてしまったこと、電車の出発を遅らせてしまったことで迷惑をかけた人がいるだろうと、自力で立つこともままならない急病人がそんなことにまで気を遣わなければならない世の中って一体何なのだろう、と無性に悲しくて、何に対してかわからないけれど腹が立ってきて、でも、どうすることもできなくて。

私に何ができただろう。私もうつろな視線で謝る彼女を遠くから眺めるだけの傍観者に過ぎなくて。こんなとき、率先して手を差し伸べられる大人になりたいと、ずっと願ってきたはずなのに。

「謝る必要なんてないんだよ」
ただそう言ってあげれば良かったのかもしれない。
言葉が絶対だなんて思ってないけれど、何か言葉が必要なときだってきっとある。不完全な世の中だから、道しるべになるような言葉にすがり付きたくなることだってあるし、そうした祈りを込めた言葉だけが世界を間違った方向へ進むのを押しとどめてくれるのかもしれない、そう思ったりもする。

誰のためでもなく自分のために生きているのだから、他人の価値観、他人の感情に振り回されて欲しくない。
誰かに好感を持たれるためのメイクでも服装でもなくて、自分のためだけにおしゃれをして、好きな髪型にして、踵の高い靴なんか脱ぎてて、誰の目も気にすることなく好きなように踊って欲しい。
そう願うことは贅沢なことなんだろうか。

ホームに流れる転調を繰り返すメロディ。
遅れていた電車がまもなく到着するとのアナウンスにホッとする。
しかし、それも束の間、姿を見せたのはうんざりする記憶をも乗せた、乗客でぎゅうぎゅうなメタボな電車。
どうやったらあれだけの人を詰め込むことができるんだろうといつも不思議に思う。なみなみと水が注がれたコップみたいに、溢れそうで溢れないぎりぎりのバランス感覚。
コップから水が溢れないのが表面張力によるものならば、乗車率200%も超えるであろう電車にはどんな力が働いているのだろう。

約束の時間に遅れたら何て言い訳しようとか、時間にルーズな人と思われたくない、怒られたくない、嫌われたくない、だとか。
そこにあるのはネガティブなエネルギーばかり。負の力だけが今の私たちを動かしている。
まるでムチで叩かれ餌で釣られて芸を覚えるサーカスの動物たちみたいに。
動物と人の違いとは何だっただろうか。

ホームに到着した電車の扉が開き、中から濁流のように人が溢れ出す。
混雑に顔を歪ませながらも文句ひとつ言わず、流れに身を任せてホームへなだれ込む乗客たちと、車両の奥から人と人の間をやっとの思いですり抜け、車外へ出て一息つく乗客と。また、降りる人を優先するため一旦ホームに降りてくれる人もいれば、入口付近で流れを遮る大木のように頑なに動かない人もいる。ホームでは人が降り切るまでドアの端でじっと身をひそめる人や、車両に片足を踏み入れて、降りる人を待たずに乗り込み始めようとする人もいる。

一見混沌としているようでも、そこではかろうじて秩序のようなものが保たれていた。
みんな当たり前のような顔をしているけれど、今にも水がこぼれだしてしまいそうな、感情的になる人がいてもおかしくないような、そんな境界の際にいた。
この秩序は鉄道会社が決めたものでも、神様が七日間で作ったものでもなくて、人が許し合える限界の閾値みたいなものだった。
誰か一人の悪意や、たった一つの間違った行為が加わっただけで、みんながぎりぎりに許し合った協調のバランスはきっと崩れてしまうのだろう。

彼女はそんな乗客の乗り降りを目にしながら、次の電車を待つべきか迷っていた。

この秩序を崩してしまう人はどこにだっているのだろう。話の通じない人、考え方の合わない人もいる。だからと疑心暗鬼になって人を遠ざけるんじゃなくて、だからこそ声を掛け合うべきなんだと思う。

私たちの言葉も、感情も、いつも矛盾だらけで、世の中はいつも間違ってばかりいる。同じ所をぐるぐる回る環状線みたいに、いつまで経ってもこの円環から抜け出せない。
突き破れないガラスの天井も、ガラス張りの動物園みたいな監視社会も、ガラスの靴と一緒にいつまでもその魔法は解けない。

眠れぬ夜、ベッドで音楽を聴きながら、心臓の鼓動が音楽のリズムと同調して、ふいに人生の意味や、私がここにいる理由なんかがわかったような気がして、誰かにそれを伝えたくて、抑えきれない興奮のままSNSで言葉を綴る。
でも、そこではお互いの正義を主張する攻撃的な言葉のやり取りや、相手の不正を徹底的に叩く声の喧騒にかき消され、私の言葉は誰に見つかることもなく過去の言葉の中に埋もれてしまう。
そして、翌朝目覚めてみれば、何事もなかったかのようにまた同じ日常が始まっていく。確かにつかんでいた感触と、無くしてしまった悲しみの感情だけを残して。

いつまでこんなことを続けるんだろう。
神様は見ていてくれる、とか、それを見つけるのが人生だよ、とか、そんなことじゃなくて、もっと何か具体的な、駅のホームで謝ってばかりいた彼女がもう謝らなくても済む方法や、これ以上誰も傷つけない方法を見つけなければいけないのに。

電車はゆっくりとホームを離れていく。
崩壊寸前の秩序を乗せた電車が徐々に小さくなっていくのを眺めながら、彼女は考えていた。

完璧な社会を実現する方法について。
誰も傷つけず、誰も傷つかないやり方について。
声をかける優しさと、声をかけずにいる優しさの違い。
変わっていくものと、変わってはいけないもの。
男性と女性の違い。
希望と諦め。
動物と人との違いについて。

「きっと動物は、満員電車には乗らないんだろうな」
彼女は動物のように本能的に生きることの方が、なぜだかよっぽど理性的であるような気がしていた。

それから、彼女はこのことをまた誰かに伝えよう、そう思った。
彼女の言葉がまた言葉の山に埋もれてしまっても、必ず誰かが見つけてくれると、そう信じて。



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