JBBY新・編集者講座第5期「これからの児童書を支える力とは?」装丁家・坂川英治「5000冊を超える仕事のなかで見えてきた真理とは?」2020/01/16@偕成社6F会議室
※メモです。省略・意訳したところありますのでそういうものとしてお読みください
お題目ではベストセラーを生むための秘訣はあるのでしょうかというテーマ。
先ほど十枚ぐらい質問事項が来ましたが質問時間がないので織り交ぜながら話したい。
最初にどういうのをやっているのかを見せたい。13冊だけざっと。
■『だるまさんと』
昨日きいたら673万部。1,2年前は600万部。
■『あらしのよるに』
350万部。
■『TUGUMI』
270万部。
■『ソフィーの世界』
220万部
『くまのがっこう』126万部、『獣のそうじゃ』180万部『八日目の蝉』『鹿の王』110万部。
『銭の風邪になって』『にじいろのさかな』『ユダヤ人大富豪の教え』『むかつくぜ』などが100万部近く。
こうやれば売れるという方程式はない。ただ、こうやればこうなるんじゃないかと考えてやってきた。ベストセラーの方程式は組み合わせが三つ。
時代性、景気、デザインの3つをどう組み合わせるか。
必ずしもベストセラーにはならないが、なるべく売れることを心がけている。
数字が出たものを近づいたものを逆から考えると。
マーケティングと心理学の組み合わせ。時代性を捉えると同時に、私が一番先にあって一番重要な職業は編集者。編集者でもいろいろいる。みんな性格が違う。さまざまな人たちをどうリラックスさせて引き出すか。それを心がけている。自分の本にも書いたがゲラは読まない。ありえないと思うかもしれませんが、最初の頃からそうです。ゲラを読みますという装丁家がいたら嘘かなと思う。自分の意見が出てしまう、読むと。編集者がこうやりたいということに反対することになりかねない。編集者はゲラ4回は最低読み込んでいる。編集者にポイントになる部分を訊きだした方がいい。
そのとき心理学というのはいかに聞き出すか。しゃべるのではなく。ただそれでも必ずしも編集者がこうやりたいというのがたくさん売れる方法なのか、自分が打ち合わせで思いついたところが正解なのかはわからない。唯一確実なのは、最近どんどん少なくなっているが、最初の思いつきで作った本は動く。刺身と同じで生きの良い状態で市場に出した方が反応がいい。なぜ少なくなっているかというと本が売れないから、一編集者の一存で決められなくなっている。会社に持って帰って編集会議とかにかける。営業から資材からいろんなひとたちが言う。まとめた意見を訊くことになる。それだと本は売れない。不思議なんですけど聞けば聞くほどそう。良くも悪くも本は内容に毒が必要。それをどの程度表に出すかが大きい。編集会議を民主主義でやると悪いところがないかを探してしまう。そうすると本は動かない。臭いを読者がかぎつけるから。状況が悪くなればなるほどみんながひと言言う。昔は編集と営業は水と油だったのに今はいっしょにやってる。これはでもこれからも変わらないでしょうからがんばってください。
理屈が勝つとだめですね。理詰めで編集会議で勝った人がいても、それでは売れない。最初の打ち合わせで私は一時間のなかで、早く終わると30分。1時間で解決しないと次の出版社の仕事が待っている。一番最初に打ち合わせのときに出てくるアイデアが一番いい。これは広告やってたときもそう。何案も出せという上司がいたのではいはいと当時は聞いていたが、最初は頭の中に計算がない。そういうものってイキがいい。最初に出たアイデアがあってそれじゃダメと言われて考えていくほど理屈が勝って、円を描いて最初に戻って「これがいいね」となる。悩むという選択肢が自分のなかにはない。これでいけるという判断がある。『だるまさん』はたくさん売れたが、こうやればこうなると平台に行ったとき白地の本がなかった。文字をシンプルにsるう。3冊シリーズだから最後の文字だけを強調するという共通項をつくった。だるまさんは白地に赤だから日の丸にも見えるんじゃない?と。他の本と比較したときにこれはいけると思った。
最初の思いつきは無駄話の中から生まれる。きちんきちんとやればいいというものではない。『私を離さないで』は打ち合わせでこれどうしたらいいだろうと編集者と話していて、中に出てくる印象的なものない?と聞いたら、テープレコーダーが出てきます、と。何、おもしろいじゃん、写真でやってみよう、と。でも写真でやるとメーカー名を消してもだめだなと。だから絵で頼もうということで知り合いのイラストレーターに頼んでうまくいきました。最初のアイデアと印象深いものをつくるかという組み合わせがベストセラーにつながると思います。
ただ、装丁業界で九割以上の人が自分の自己顕示欲と目立ちたいという作品性をどうしても作ってしまう。だから売るということが欠けがち。私の場合は逆で、作品という意識がない。売れるために作っているので売れないとショック。売れなかったらどうしてだろうと思うのですが、売れたも売れてないもなかなか教えてくれない。新聞で「おっ、こんなに売れてるのか」と知ることが多い。編集者は景気がどうあろうが売れる本に近づけようという気があまりない気がします。不思議ですね。思うのは最近、ここ十年くらい、自分はうちでのコズチと小判ではなくてうちでのコズチを装丁でほしいと思った。うちでのコズチを振ればいくらでも出てくるからこっちのほうがほしい。意外とどこかの編集者がやったと聞いたら売れるだろうという評判を取りたいと思ったらそうはいかない。いっしょにやった仕事をやった編集者とはうまくいくんですが隣の席の編集者は頼んでこない。縄張り意識が強いから。隣の人がヒットしたから私も、とはならない。横のつながりがないように見える、同じ会社にいるのに。本が売れないと言って、売れた方がいいのに不思議ですね。うちでのコズチが年齢のせいもあるかもですが、40代、50代がピークでしたね。毎日4,5社打ち合わせして1時間ずつやって真剣勝負でやっていくと週末は誰とも会いたくない。ガス抜きをしたくなる。それで隠れ家を借りて家族にも会わない時間をつくらないと家にも帰れない。家には仕事を持ち帰りたくないので。不思議な商売だなとつくづく思います。
装丁だけでベストセラーは作れない。装丁やってると自分の役割ってなんだろうと思うと、分けて考えてみると、まず作家がいる。作家は絶対まともな人じゃない。変な人です。優等生のまともな人の本なんて誰も読みたくない。変な作家を野放しするとろくなことがないから、超まともな編集者がいる。恋人ですね。作家を連れていきたいんですけどという編集者がいるんですが「やめてください」とお願いしています。好き嫌いを言って帰っていくだけなので売ることにつながらないんです。おもしろいなあと。編集者が装丁家にしてみれば命。編集者がずれているとこっちもずれてしまう。一応中身は読んできているんだけどどうやりたいかがわからない、イメージも何もないで来る人がたまにいる。こちらとしては編集者に依存するしかないとなるともお手上げ。こればかりは参ったなと思う以前に、この人はだめだなと判断してしまいますね。いろいろきくと編集者やってる資格ないなと思ったりします。イメージをどれだけメジャー感ある物に仕上げるかが装丁家の仕事。メーキャップアーティストみたいなもの。記号を読み解くに従って自分なりの映画ができあがるのが読書。それを手伝うのが仕事。女性にたとえると、タレントみたいなものですね。今回はどういう女性に仕上げたらいいですか? と。すごいセクシーな感じにするのか、美人にするのか、清楚な感じにするのか。そういう大枠の中からどれだけ目が大きいとか鼻が高いとかディティールを決めていく。中身が反映されて「ああ、こういう女の人なのか」と顔の状態で判断できる。そのお手伝いが装丁家なんじゃないかなと。
ゲラは読みません。本でも読みません。本は嗜好品という意識が強い。自分がしているのはあくまで仕事。200万部売れようがどうしようが内容を聞かれると困る。村上春樹さんとの仕事をしましたが、一冊も読んでいません。そっちの方向に話を持っていかれると困るのでアシスタントに「お前が答えろ」と振っていました。読めないんですね。どっかでやめてしまうことになるから。私は海外文学が大好きで、なぜかというとそこの国でヒットして英語圏でヒットしてお墨付きがあって日本に入ってくるから外れがない。好みはあるけど。でも日本のものはそういうものがない。ウェットなものは読みたくないんです。お涙頂戴的なものが苦手なんです。一番嫌い。それもあって自分でやる日本の作家のものは読まない。有名無名じゃなくて、いいと思ったらいいという部分を残しておきたい。広告やってたときも30代半ばくらいだったんですが10年間くらいずっとアウトドアウェアの広告仕事をやってたんですが打ち合わせしてるときにクライアントの社長が会議に参加してきてなんでいるんだろうと思ったら、最後に「坂川くんはうちの商品のことわかってないみたいだね」と言われて焦った。そのとき口にしたのは「私が考えるものを売るっていうものの考えのなかに、読者、消費者を半分は残しておきたい。全部知るとメーカー側の発想になってしまう。それが嫌なんです」と。そうやって仕事を失ったこともあるんですが、やっぱり、ハッキリしてないと嘘をつくことになってつらい。だからゲラは読みませんと最初に言います。知らないでくると「え?」という顔をされるんですが、読むと絶対に何か言いたくないので徹底しています。
全体を時代を把握するという部分では、潮目を読むという気持ちで、漁師と同じ。潮がいい流れなのか、魚がいるかいないかで読んでいます。心がけているのは、デザインが一般の人たちにどれだけ染みているのかを気にしています。最終的に単行本のカバーなんかはデザイン性がいきすぎるととがって一般の人は手に取りません。その敏感さはかなりのもの。若い人向けなのか年配の人向けなのかはまず聞きます。若い人向けなら少しだけデザインをとがらせてもいいんですけど、大都市で売るのか、日本全国で売るのかを使い分けます。日本全国で売ると言うことは数字がでかくなります。特に狙いたいときは選挙の浮動票と同じで、決まっている人は一握りで浮動票がほとんど。それを取り込むのがテーマ。デザインがいきすぎると地方に本が回っていったときに反応しないだろうなと。東京、大阪で売る本はデザインがとがっていても問題ないんです。とがっているとミリオンにたどり着けない。他の装丁家は計算できないみたいで、自分のデザインに走ってしまう。スウェーデンに取材で行ったことがあるんですが、デザインが生活に溶け込んでいる。消化栓ひとつとってもデザインがいい。日本はまだまだ。染みてきはじめた人が50代前半まで。日本は。20代は敏感。そういうことも書体、色使いも意識してしかけます。でも実際はデザインが染みてても本によっては高齢者、とくに読者層として分厚い。そうなったときには角をまるめることが必要。絶対にしっぺ返しがくる。それを見極めるためにいろんなことを見聞きします。ムダだと思うことも。不景気になると白い本が流行り、口紅が赤くなりということも含め。うちごはんが流行り、とか外で食べることが少なくなったりとか全部の情報が多岐にわたったものを目の前にある仕事に活かそうと。そうしないと売りにはつながりません。ですから自分の本にも書いたんですが、いつも想像するのは島根県に住んでる女子高生が私の本を買うシーン。島根県は日本のチベットみたいなところなので、出雲は長生き日本一になってそれは誇るべきだと思いますけど、スタバがないところの女子高生が都会に憧れたりして部活の帰りにたまたま本屋さんに寄っていいなと思う本を買って家に自転車乗って帰り、お風呂に入る。バスタオル頭ぐるぐるって巻いてごはん食べてテレビ観て自分の部屋に戻ってさっき勝ってきた本を読むところまでつながっていると想像する。それはなぜかというと、私自身が北海道の一番上のほうの本屋さんのない場所で育ったんですね。本に思い入れはあるんですが、思い入れすぎない。読むのは好きでしたけど、本をこんなに田舎のポッと出の人間が携わるとは夢にも思わなかった。憧れていたわけでもなく、なぜかスイッチという雑誌をやっていたときにアルファベット遣いがうまいからって国書刊行会の人がギャラ3万円しかないんですけどって言ってやってきたのが最初ですね。それが次の年には70冊、次の年は200冊とどんどん増えていきました。本屋さんはマーケットみたいなものだった自分にとっては。それはありがたいし嬉しい職業の結びつき方ですね。最近は一本レールを外れると落ちこぼれという見方が蔓延してますけどそうじゃない、何やってもいいんだぞと早稲田に呼ばれて話したんですが全然通じませんでしたね(笑)。
ベストセラーは重い鉄製の歯車みたいなイメージを持っています。ちょっとやそっとでは動きません。動く方向の地面をちょっと掘ってみるとか油をさすでもいいし、動かそうとする人数がたくさんいたほうがいいとかあるんですが、大事なのはクチコミです。広告打ってもいいんですけど、クチコミに勝るものはありません。日本の人間性かもわかりませんが、売れ始めると乗り遅れたくないという気持ちが買わせます。『だるまさんが』のときは、絵本のコーナーで市場調査でいたんですが、10分もいなかったけど3人の若いお母さんが隣に積んで取って買っていった。中身を見るまでもなく。お母さんグループのなかで「売れてるんだから良い本なんだろうから」という親心と見栄とが混ざったものがあった。「ああ、歯車が動いてるな」と。どういう手段でもいいけどゆっくり動き始めた歯車は止めるのが大変。見てるしかない。出版社も。どこまで転がれるのか油を差す(増刷)。まかり間違うと大変。そういう意味では百万部売れても赤字になることがある。それに慣れていない編集者には「営業さんに言った方がいいと思うけど、少しずつ本屋さんに下ろしたほうがいいよ。注文来た分だしていくと返本でしっぺ返しくるから」と。読者がどれくらい飢えているか、全部渡しちゃいけない。少しずつをいかに長く満たすかが編集者としての売れる秘訣。注文に対してバンバン出して後で偉い目に遭う。その初期のやつが『サンタフェ』という写真集。ベストセラーに関わったときにはそれを思い出してください。一番大事にしているのは島根県の話をしましたが、一冊の本であっても本屋さんの平台で手に取って見るところまではタダだから誰でもやる。そこからレジまで持って行ってお金を払うというまでの時間を充実させられるかどうかで決まってしまう。
どうしても若い人、不景気になると本にかけるお金が減ってくる。慎重になる。でも若い人はネットで本を買っちゃいます。ネットのマイナスは見渡せないこと。横にある本が気になって思いがけない出会いが、ということがない。選んだというより選ばされたという感じがする、ネットでは。年配の人になると新聞広告が役に立っています。おばあさんやおじいさんにとると、それを切り抜いてレジに持っていって「スミマセン、この本ください」と言う。若い人は新聞をパソコンで見ちゃう時代ですので、ムダのないことをしたい。でも失敗したくない。一番おもしろくない人間ができる構図がある。ムダのなかから選ぶ能力を研ぎ澄ましてほしい。新聞広告は年配には有効です。
『ソフィーの世界』は印象深い。なぜかというと哲学書。ノルウェーの作家だったかな。その人の原書が最悪で。石造りのお城みたいなところに窓があって本があって、と。これじゃ日本では売れませんよ、と。カバーも海外のものを翻訳して日本人に受け入れられるものに替えるという意味で翻訳。内容をきいてこういう風にした方がいいかなとイラストレーターにも来てもらってまとめてもらった。そのとき分厚かった。本が上下巻で哲学書が出て、下巻買わない可能性が高かった。今だから一冊にしたら買ってもらえたらしめたものだから一冊にしようと言って一冊にしました。まるまる読んだ読者はそんな多くないと思うんですが、でも、こういうものを届けようとしたときの「こうしたら若い人と年齢いってる人の幅を広げられるんじゃないか」と。哲学書というかたいものをやわらかくすることに貢献できたんじゃないかな。
■潮目
『ユダヤ人大富豪の教え』はあえてダサくデザインしています。色を使うほどうさんくさく見えるから。お金持ちになれるわけでもないのになんで買うのかなという気持ちがこっちにあるわけです。でもそういう本は今でも売れます。信じられません。ただ仕事ですから、売るためにはどうしたらいいんだろうと考える。シンプルですけどビジネス書がこういう感じになってきてますね。昔の十五年、20年前はタイトルが明朝体で太らせた文字で写真の上にドーンと載せるものだった。それがスマートになっていって白地に文字のみ、英語が大きめになっているのが主流です。それが潮目なんですね。柳の下の5冊は使えますのでやった方がいい。でもやがて飽きます。そうなったときにどう動くのかは見ていたいなと。スティーブ・ジョブズの写真を使った本が40万部いったんですが、そんだけ討っても潮目を見てないとうちにはその後、仕事がこなくなるんですね。不思議なんですが、おじさんになったこともあるんですが、依頼する編集者は若い感覚で作ろうとするので、そういう流れになっている。本屋さんに一週間に一回は行ってうろうろしながら見てきます。それで今のデザインの流れをなんとなくマネするわけではなく、「ああ、この辺がいま売れてる流れをつくってるのか」とチェックしています。
■子どもの本と大人の本で分けているか?
分けてません。買うのは母親です。読む子どもと母親の中間を狙います。あるとき、体が天文学者で天才のホーキングの分厚い本をやったんですけど、中学1,2年の女の子が手に取ったり中を見てたりしたんですが、お母さんが来て「あんた何してんの?ほしいの?」「これがいいと思うんだけど」「分厚いからやめなさい」。横にいて傷ついたんですよ。厚いせいで言うのか。こういう親もいるのかと。でも絵本はそういうところがなくて、明快に子どもが『おしりたんてい』とか売れてますけど、おしりとかうんちに興味のある世代はいいんですけど、それより幅を広げるときは明快さが命。どういうことかと言うと、子どもですらも選ぶときの基準があって、さっきの汚いものはさておいて、それ以外のものの、目に入るものを明快にしてあげること。それがたぶん子どもが絵本のコーナーで平台に置いたら地面に置いてむちゃくちゃな集中力で見ていて「こいつらすごいな」と思わされる。それにはわかりやすく手に取れること。内容のどのあたりがカバーに出させてあげて気を惹けるかを意識しています。子どもの集中力と絵本の関わり方は天才だなと。そこに理屈も何もいらない。タイムマシンに乗って幼稚園、小学生、中学生くらいにメモリをやるような気持ちで戻って作ります。子どもの感受性のひっかかりができたらしめたもの。ちっちゃい女の子がじーっと見てきたりするんですけど、こわいんだろうな、と。それでこっちはVサインしたりするんですがすぐそっぽ向いちゃってお母さんの方に行く。でもしばらくするとこっちをちょっと見る。そういう子を惹きつけるのは楽しみですよね。子どもの好奇心は見ていて嬉しくなりますね。どの子でも。大人にとっても自分にとっても好奇心がなくなったら終わり。すべてのもとは。母親譲りなんですけど、母親は「あれはなんじゃ」と。自分もその血を引いてますね。
■質疑応答コーナー
Q.しかけのあるデザインの本は装丁家がしかけているのか? あと帯が破けるのをどうにかしてほしい
A.デザイナーが凝るからやってるんだと思う。カバーって邪魔だなと読むときは思って気に入らないとゴミ箱に捨てる。でも表紙にも凝ったものをやってるやつもいて困る。
帯は日本独特。でも自分も買うとき大事にしている。帯が破けないようにするのはカバーと同じ長さにするしかない。でもそれは微妙。
Q.賞味期限の短いビジネス書と長く残る可能性もある絵本で何か手法を分けているか?
A.ビジネス書は2年先になったら意味のないものに変わることが多い。絵本は長く書店に置かれるから目に触れることが多い。短いのから長いのからごちゃまぜにこっちはウケている。ただ、売れると長く置いてもらえる。どっちでもね。そこを狙ってますね。まあそれでもビジネス書は長くないですけど。
Q.自分からやってみたいと言った本はあるか
A.ないですね。仕事だと思うと持ってくるものをいかに良い印象にして世の中に出してあげるかが大事で、自分からこれをやってみたいというのはないですね。欲がないのかもしれない。
編集者にはイメージを持ってきてほしい。ないまま来られてもこっちは困っちゃう。装丁を作るときに一番大事にしているのは何か? ないですね。複合的なものなので。アイデアが一時間のあいだにいかに出せるかという訓練を積むか。編集者から出ることもあるし、こっちがやること。
Q>一番気に入っているタイトルは?
A.読んでないから、ないです。作品意識がないものですから、どれも残らないような気がします。
Q.「想像のことでしょ」と言う子がいるのですがどうしたら?
A.でも現実を示したら読むわけではないですからね。
いろんな情報。役に立たないと思うこともどっかでひっかかってくる。スティーブ・ジョブズもムダなことやってる。海外行ったり。僕も一歳違いですけど、そういう世代なんですね。
Q.本を作る前に作家に確認したいことはありますか?
Aないですね。昔の作家さんは「編集者に任せるよ」という人が多かった。最近はデザインに口出してくる。でもマーケティングしてないからあなたの意見聞いてもしょうがないでしょと思うんですが。デザイン上成立することと商品として成立するかは別ですからね。なんとかしないとね。
本は原作者なしの状態で仕事をしています。編集者命。自分にとっては若くても先生のような感じ。編集者が言ってくれないと動けないくらい大事。
Q.翻訳家と装丁家は同じ? 存在を感じさせない方がよい?
A.自己顕示欲が強いと思う。装丁家の方が。でも黒子。装丁家が前に出る人がいないではないですが、某有名な装丁家の人の本はすぐわかる。ナナメになってるから。でもどこの出版社の本なのかはわからない。僕はそれは意味ないなと思ったのでマネすることはいっさいありません。私の前と後ではだいぶ違う。私以前は、装丁家は「家」と名前が付いている以上、作家性を出す人だった。でも私は百貨店タイプになろうと。来たものに対して目立った売れるもののために自分を犠牲にしようと。それは今では普通ですね。偉い装丁家先生になると、そういう人向けの仕事が昔はあった。何々文庫、何々全集という金額の張る、どこかの本棚に入っているとかっこいいもの。でもそういうものなくなってしまった。そうすると私も下の世代も同じ。なんだよ、あれできなかったのか、やってみたかったな、と思いますけどね。金箔、布通しの本とかね。でも黒子でいいと思いますけどね。若い人でも「俺が俺が」は増えてますけどね。
Q.装丁をやっていて自分でストーリーが浮かぶことはありますか?
A.自分から提案することはない。ただそろそろ年も年なので――いま67です――やがて幕を引くときが来るなと思っています。3年くらいかなと。残っている寿命を使って絵本作家になりたいと思っています。それで「ざまみろ、こんなに売れたぞ」と言ってみたい。装丁には印税がないですから。交渉したほうが後進のためにはよかったのかなとも思うんですが、やってきませんでした。仕事として装丁を考えているので、編集者も同じで意外とリタイヤしたときしがみつかない人っていますよね。違う部署に行ったりする人もいますけど、出版の仕事はやりたくないという人もいる。思い入れはあるけれども執着はない。
自分の役割は終わって、時代に合わせた装丁家が出てきて売ったりするんだろうなと。自分は本が売れる時代に生きられたからミリオンがたくさんできた。うちの娘は30代ですけど独立して後を継いでくれるのかなと思っていたら「嫌です」と。
太って、あるときに温泉嫌いなのにBSフジで温泉番組やってたんですね。日本のこと全然知らなかったの。日本人なのに。日本っていいなとそのときわかったんですけど、風呂に入る時に湯船に入る時って腰にタオル巻いて入ってそのあと頭にタオル巻く。そしたら「どうやったら会えるんでしょう」という男からの手紙がいっぱい来た。というのがありました。こうやって無駄話をしています。
Q.好みの本屋さんは?
A.日吉に住んでいるんですけど港北ニュータウンにクルマでいってアカデミアという本屋さんに行っています。広くて回遊するには最高ですね。あとはもうちょっと広いところがみたいなというときには青山ブックセンター本店くらい。
TSUTAYAとかああいうところには行きません。本屋じゃないなと思って。
時間帯は2時から5時くらい。晩ご飯あるから。そのときは袋いっぱい。3万円分くらい買いますね。捨てられないから大変なことになってます。自分がやった本が6000冊超えてるんですが書庫を借りてたんですね。でも引っ越す時に「いらない本捨てよう」と。株の本とかね。そういうのは一年経ったら意味ないのでバンバン捨てたんですが、自分では持っていたいんですけど、場所がないのでそうしたときに長野に別荘建てて、書庫を建てた。自分のやった本だけを入れた。ジジババが多い地域なので、図書館とか本屋さんに行くの大変なんです。でもシステムを考えないとトイレもないしお茶も出せないし、どうしたらいいんだろうと考えてるうちに今になった。自分がリタイヤしたときに本を持って行けばすばらしい書庫になるのではと。
Q.書店巡りではどういう視点を持っている?
A.ビジネス書は白い本多いなあとかああ、作り文字も多いなあとかデザイン的なことを見ます。それで「これ、売れてます」というコーナーを覗いて「ふーん」と思って終わりです。そういうのはそのとき売れてるだけですから。「こういうものをみんな好むのか」と漠然と目を泳がせています。ただ、日本の小説家のコーナーには意外と行かない。これから先のことを考えると他のところを見たい。世代的にそういうところがある。みんながいいと言ったものは絶対にいいと思わない。だから、マネではない。マネじゃないところでちょっと違ったものをやる。今出ているものは終わったもの。次のものを作るためにムダなものを見る。詩集まで見ますから。
Q.電子書籍の時代になると装丁家になるとどうなるのか。売るために装丁ができることはあるか
A.私の場合は筋道立ったことを考えているわけではない。デジタルのことが話に出るが、ヨーロッパはまだ紙、アナログが買ってる。アメリカも。先は読めません。自分たちの仕事がなくなるんじゃないかと思うときもあったんですが、ただ、顔になるビジュアルは絶対に必要ですから。大きくなろうが小さくなろうが。ただデジタル一辺倒になる時代はこない。だから心配はしていないけれども、CDジャケットみたいな感覚になるかなと。それと装丁のデザイン料が下がる。でもあんまり心配していない。デジタルやってる人がいいのか、悪いのかも全然わからない。ほとんどデジタルの仕事はやってないからわからない。デジタルの分もいっしょに金額載せたいのでこれでいいですか? と言われることはあるけど、それくらいですね。全然考えてない。一番デジタルから遠い。中国はそういうことが進んでいる。うちは韓国止まりだからまだやってない。若いひとは気にしていると思うんですが、私は気にもしたくない。すいません。
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