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あなたの「お天道様」は誰ですか。



雨の日はエッセイが書きたくなる。まとまりのないものを丸めて一個にして、ぽんと置いて眺めたいような気持ちになるから。

梅雨の時期は少し冷えますね。肌のむき出した部分がひんやりして、手も「大丈夫? 血通ってる?」って感じにぬくみが薄い。体温は高いほうなんだけどな。

今日もあんまり太陽に会えていなくて、なんだか幸せホルモンの分泌が少ない気がします。正式名称なんでしたっけ、忘れちゃった。たぶん「~ニン」とか「~リン」とかって名前だったと思うんだけど。



そんな話はさておき、小さい頃はよく「お天道様が見てるよ」って教えられて育ってきた。

……いや、嘘です。わたしの両親はそういう教育的な話をするタイプじゃないから、たぶん他の大人がポロッと言ったのを聞き覚えたか、本か何かで見知ったか。

とにかく、「いつどんなときもあなたの行いはお空にいるお天道様が見てるよ、だから悪いことはしちゃいけないよ」という意味のその言葉を、わたしは長いこと引きずって生きてきた。


なんなら今も、ね。


たとえば誰かの悪口を言うとき、ほぼ100%相手に伝わるはずもないのにどこかで「バレるんじゃないか?」と怯えていたり。その人に言われた言葉に反しないよう、関係のないところでも自分の行動を縛ったり。


こんな気持ちでもやもやしてたとき、やすたにさんのnoteに出会った。

心が引きずられてしまいそうなほど、深い情感の乗った作品です。上手に説明できないことが悔しいけれど、本当に、素晴らしい作品。


その中でやすたにさんは過去の辛い経験について語る前に、話を簡単にまとめた上でこう前置きをしている。

ひとことで言うならばたったこれだけの話だ。
くだらない、本当にくだらない話で笑い話にすらならない。

最後まで読み終わったあと、この言葉を前にして「説明するって、なんて残酷なんだろう」って思った。

この作品を最後まで読んだら、決して「これだけの話」なんかではないことは一目瞭然だ。ましてや「くだらない話」だなんて、冗談でも他人が言ってはいけない。

でも、どんな人を共感させるような物事も、十二分な説明なしでは伝わらないことがある。ましてやそれを聞く相手に「聞こうとする意思」がなければ伝わるはずもない。それが心底悔しくて、でも痛いほどに分かって辛かった。


また話の途中でこんな言葉があった。

男からようやく離れることができたのに、まるで男の生霊に取り憑かれたような日々を送っていたのだ。

辛い状況から解放され、すべてが終わったと思ったその瞬間、心を保っていた細い糸が切れてしまう音。

辛いことや苦しいことは、事象の終わりがすべての終わりじゃない。いつまでも心のなかに住み着いて、柔らかい部分を食い荒らして、芯の部分まで侵そうとする。

いつまでも、自分を苦しめたその”男”が背後から見ているような気がする。自由なはずなのに、がんじがらめに支配されている。



陳腐な言葉にしか置き換えられなくて悔しいけれど、これを読んだ瞬間に「あ、わたしだ」と思ってしまった。

もちろんやすたにさんの作品に描かれたような真に迫るほどの経験じゃないけれど(って言っちゃうのも、誰かに「くだらない話」って一蹴されるのが怖いからかな)、話の筋自体もズレているけれど、痛いほどに身に覚えがあって震えた。



前職についたばかりの頃、3度大きな失敗をした。

言い訳をするなら、その仕事をしていた前任者が急に辞めることになり、わけも分からず仕事を引き継いでしまったのだ。

一度やれば覚えられるような類のものじゃなかった。失敗をする要素やイレギュラーなんて腐るほどあって、全部別の内容のミスを、3回。

そのときに取引先からかけられた言葉が、今でも忘れられない。思えばあのときはきっと、相手もわたしのミスをフォローするのに必死で、嫌味のひとつでも言いたかったのだろうけど。

この話を要約してしまえば、きっとこうなる。

仕事で大きなミスをやらかしてこっぴどく怒られた

ほら、笑っちゃうほどくだらない。



でも、そのときのことを今でも夢に見る。手足から血の気が引いて冷たくなり、頭の中が真っ白になって、何をどこから上司に説明したらいいのかもわからない。

もう失敗は許されない。許されない。お天道様が、許さない。

それからは異常と言われるほどに心配性になった。仕事のひとつひとつをいちいち確認しなくては落ち着かず、一度確認したことも二度、三度と暇さえあれば繰り返してしまう。

笑って失敗を許してくれた上司も、本当は「使えないやつ」って思ってるんじゃないだろうか。また失敗を繰り返したとき、取引先から人格ごと否定されるかもしれない。そう思うと四度目の確認作業に手が伸びた。

また、上司や取引先に理不尽な扱いをされても怒ることができなかった。自分には相手に意見する権利はない、黙って言うことを聞くべきだ。ましてや裏で悪口を言うなんて、バレたらまた同じ思いをするかもしれない。


完全に支配されていた。頭では「大丈夫」って分かってるのに、そうしないと天罰がくだるんじゃないか、とすら思っていた。お天道様が見てる、ちゃんとしなきゃ、完璧にやらなきゃ。


でもやすたにさんの記事を読んで、わかった。わたしがわたしに罰をくだすと思ってるのは、お天道様じゃない。あのときのミスで迷惑をかけた、すべての人の幻影。わたしが作り出した、幻影だ。

やすたにさんのお話のニュアンスとはだいぶ違っているので「生霊」という言葉は使いませんが、確かにわたしは何かに取り憑かれたようだった。強迫観念で頭がいっぱいだった。

かけられた言葉をエンドレスにリピートして、擦り切れるまで聞いて、そうしてかさぶたもできないほどの傷にしておかなければまた同じ思いをする。反省しないと同じミスを繰り返すとか、そういうことではなくて、いつまでも死んだような目をしていることが自分の役目だと思ってた。

明るい自分に戻ることは許されない、あの人がきっと許してくれない。絶対に。


そんなはずないのにね。


そもそも「お天道様が見てる」って、悪い意味ばかりじゃない。誰も見てくれないような良い行いも、「お天道様が見てる」から大丈夫だよっていう、励ましの言葉でもあるはずだ。

だから見えない何かがわたしを縛っているのだとしたら、それは「自分で作り出したもの」に他ならない。必要な反省はした上で、すべてのミスを見直した上で、こんなものからは解放されるべきだ、そう思った。



これからは「対等になること」を、自分に許したい。

たとえ上司でも、立場が上の取引先でも、ずっと歳上の人でも、尊敬しているあなたでも、わたしは人間的に対等でいたいと思う。

だから良識の範囲内で誰かのことを愚痴ったっていいし、考え方が違えばすべてに従う必要もない。主張だってしていい。


誰も、わたしの「お天道様」にはなれない。


無神論者なわたしだから、自分の信じる神様は自分の中にしかいない。そういえばずっと、そう思って生きてきたんだっけね。やっと思い出したよ。





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最後になりますが、素敵な作品に出会えたことに感謝を✳︎






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