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26歳、わたしは「わたし」を笑い飛ばしたい。 #ゆたかさって何だろう



「電話のかけ方、教えてくださる?」


にっこりと上品そうな微笑みに、わたしは思わず足を止めた。

よく晴れた日の朝は、近所に住む老婦人がアパートの前を掃き掃除している。彼女はわたしの借りているアパートの大家さん。よく庭木の手入れや駐車場の清掃をしてくれているのを見かけて知っていたけど、せいぜい挨拶を交わすくらいで会話と呼べるほどの言葉のやりとりをしたことはなかった。

出勤前に時間の余裕があったわたしは鼻歌でも歌いたいようないい気分で家を出ると、いつもどおりにご婦人が竹箒をサカサカと動かしている。朝早くから頭が下がります、心の中で感謝しながら駐車場へ向かうはずだったのが、その日はいつもと違った。


「今、少しだけお時間いいかしら?」

「え、あ、はい。なんでしょう」


突然呼び止められてびっくりどっきり。何も考えずに返事をしてしまったけど、好都合なことに出勤まではまだ間がある。

ご婦人は慌てる若者に動じる様子もなく相変わらずの微笑みを浮かべながら、エプロンのポケットから長方形の板切れを取り出した。少しシワの目立つほっそりした手が真っ黒な画面を差し出す。


「最近新しい携帯を買ったんだけど、電話のかけ方がわからなくて困ってるの。教えてもらえないかしら?」


見せられたのはわたしが使っているのと同じ機種のスマートフォン。言われるままに、ここをこうして、ああして……と簡単に説明すると「ここをこうして、ああするのね」とおうむ返しをしながら納得顔のご婦人。

明らかな若者相手でも丁寧な話し方、教えてもらっていることを真摯に受け止める態度が素敵で、とても好感の持てる人だった。


「わかったわ、ありがとう。それで電話番号は何番だったかしら?


わたしは目をパチクリ。ご婦人もすぐに気がついたのか、その日一番の素敵な笑顔を見せてこう言った。


「わかるはずないわよね。ごめんなさい、おばあちゃんだから許してね


シワの刻まれた目元をくしゃっとさせた、そのチャーミングな表情といったら!

そのあとも和やかに談笑していたらうっかり遅刻しそうになったけど、わたしはすっかり「おばあちゃん」の虜になっていた。

清々しい一日のはじまりだった。





ゆたかさってなんだろう。

自分の思うあれこれをいくつか頭の中に並べていたときに、友人からその話を聞いた。

「いいことがあったの」と教えてくれた彼女は、ご機嫌そうにワンピースをひらめかせながら弾むように話してくれた。

素敵な出会い、心温まるやりとり、チャーミングな表情のこと。

ご婦人は自分のことを「おばあちゃん」と言った。屈託のない笑顔は、歳をとった自分を心から受け入れているように見えた。

その姿が可愛らしくて、格好良くて、「ゆたかだ」と感じて、このエピソードを借りることに決めた。



✳︎



この文章を読んでくれているあなたは、今年でいくつになりますか?

わたしは誕生日がきたら26歳になります。生まれてから四半世紀、本当にたくさんの人の手を借りて少しずつひとりで立つことができるようになってきた。


けれどやはり困ったこともある。


昨年から今年にかけて、人生で一度もなったことのなかった胃腸炎にかかり、数年単位で引いていなかった風邪を引き、体の節々に不調を感じるようになった。

周りの大人たちがやれ「腰が痛い」「肩が上がらない」「疲れが取れない」と言っている原因が頭をよぎって、どきりとした。

はじめは認めたくなくて、毎日ストレッチしたり筋トレしたり、野菜ジュースを飲んでみたりと体に良さそうなことをして精一杯戦っていた。

だけど抗ってみたところで学生時代のような体力はないし、運動のしすぎで返って体調は崩すしで散々な結果に終わった。心が打ち砕かれた瞬間だった。


これが世にいう「歳をとったらわかるよ」というやつなのか。


歳は誰もが平等にとっていくもの。大人になればみんなが実感すること。よる年波にはあらがえない。否応なしに体は歳を取っていく。

認めたくないけど、わたしの身体もそうなのだ。26歳、まだまだ若いとは言われても確実に「年齢」という荒波は激しくなっている。



✳︎



小さい頃は「早く大きくなりたい」って思ってた。好きなだけお菓子を食べて、夜更かししても怒られないのは大人の特権。

でもいざそうなってみるとお腹いっぱいチョコレートを食べたら胸焼けするし、夜更かししすぎたら身体がだるくなるしで昨日の自分を恨んでる。


20歳を超えたあたりから、少しずつ歳をとることにネガティブになった。


身長はずっと昔に伸びるのをやめてしまったし、周りからは「無理が効くのは若いうちだけだよ」と脅かし半分の冗談を言われる。

歳を重ねるごとにできることが増える反面、できないことも増えていくんだろう。じわじわと衰えていくような感覚が、恐ろしい。

時間は待ってくれない。毎年決まって歳はとる。それをどんなふうに受け入れていけばいいんだろう。


友人が話してくれた老婦人の、チャーミングな笑顔が見たかった。歳を取った自分を「おばあちゃん」と表現して笑い飛ばせてしまうような、最強の世界が見たかった。


彼女はどんなふうに自分と向き合ってきたんだろう。わたしはどうやって自分と向き合っていけばいいんだろう。

誰かが「そんなもんだよ」と苦笑いするのを飲み込んでも、「あなたなんてまだ若いほうよ」と言うのに曖昧にうなずいても、やっぱり心のどこかで引っかかる。


自分が自分を認めてやらなくちゃ「受け入れた」ことにはならない。


風邪を引きやすくなった、脂肪がつきやすくなった自分の身体を見て「違う、こんなはずじゃない」って思ったままじゃ、心と体はばらばらになちゃうよ。



✳︎



ただ闇雲に焦って抗おうとするよりも、ゆらりゆらゆらと自分の年齢と付き合っていきたい。

諦めるのではなく、受け入れることを選べば案外世界は優しいのかもしれない。

世間がよこした「衰え」という2文字を何十倍にも大きくしてぐるぐる巻にしてしまうのは、紛れもなく自分だ。もしもそれを板ガムくらいの大きさにできたら、ひょいっと口に入れて味わえるような気がしている。


歳をとることは、いつまでも楽しみでいたい。


だってこれからの長い人生、今から悲観してたら息切れしてしまう。



上手に受け入れられたらいいな。笑い飛ばせたら、もっといいな。








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