幸福な書き手。



言葉を連ねるとき、わたしにはたびたび思い出す言葉がある。


大学生の頃だ。

文芸サークルに所属していたわたしは、夏休みも中盤を過ぎた8月末の昼下がり、部室の扉を開けた。中には数名の先輩部員がいて、効かないエアコンの下にひしめき合っている。

「全員揃ったな。じゃあそろそろはじめるかー」

サークル長のゆるい掛け声で、それぞれが紙の束をぱらぱらと開き始める。その日は部員の手で発行した文芸誌の講評会だった。

集まったのは文芸誌に寄稿したメンバーの一部で、わたしもそのひとりだった。

大学のサークルらしく、活動はやりたい者がやりたいだけやるというスタンスで、一文字も書かないが飲み会は皆勤賞を取る人もいれば、大長編を書くが部室には年に一度しか顔を出さない人もいる。その縛られない感じが好きだった。


「じゃあ次、Aの作品な」

「はい」

返事をしたA先輩が「〇〇ページです」と言って、部員たちが紙をめくる音が部屋に満ちる。わたしも促されるままページを開いた。

タイトルに目を通して、あ、これは、と唇を引き結んだ。

A先輩は自由を謳歌する周囲の大学生たちと比べても飛びぬけて変わった人で、ひょろりとした体躯に日替わりで色が変わる髪、真夜中に見たら少々物騒にも見える格好をしていた。

しかし決して悪い人ではなく、同じ学科の先輩として良くしてもらっていたのだが、書く作品に関しては安易に「素敵ですね」と言う気にはなれなかった。

A先輩の作品は、にわか文学好きの大学生が読むにはいささか辛い内容ばかりだった。暴力、反抗、酒、女、差別、幻惑、エログロ、死への概念など、晴れ渡る夏の炎天下で読むのには内臓がぐるりと反転する。

わたしは文字の上に指先だけを滑らせながらA先輩の作品説明を聞いていた。

そのあとは質疑応答に移ったが、案の定手をあげる部員はいない。気まずい空気の中に、普段は聞こえてこないような運動部たちの掛け声が侵入してくる。誰ひとり何も言えずに押し黙っていた。


沈黙を破ったのはY先輩だった。発言は挙手制なのだが、彼女はそんなことは気にもせずおもむろに一言こぼした。

「これは、Aの言いたいことが本当に伝わっているのかな」

言い終えた後、自分の言葉に納得がいかなかったのか首を傾げながらさらに言った。

「あたしにはAの言いたいことが正しく受け取れていない気がするんだ」


そこからはY先輩とA先輩の問答がはじまった。作品の内容に関することなので詳しく書くことはできないが、その話を耳で追いながら、もう一度作品に目を通す。もうA先輩の言葉を目が上滑りすることはなかった。

Y先輩が投げかけた問いが、作品を通して「A先輩」というひとりの書き手と向き合えることを示してくれたから。


***


伝わりやすく書く、ということは大切だ。何かを書こうとするとき、つい格好をつけて難しいことや過激なことを言いたくなるが、それでは肝心なところが伝わりにくくなってしまう。

だがY先輩の言葉を思い出して、はっとする。当たり前のことだけど、読み手は、作品の中に書いてあることしか読むことができない。

作者がどんな思いで、どれほどの熱意で、何を伝えようと思ったかなんて、書いていなければ伝わらない。伝えたいことは、書かなければ知ってもらえないのだ。

しかし、どうやらそうじゃないこともあるらしい。

文章の、”その先”を読もうと努力してくれる読み手がいる。うまく伝えられないもどかしさを汲み取ってくれる読み手がいる。文字の奥にいる「人」を見てくれる読み手がいる。それはどれだけ奇跡的で、書き手を救う一本の糸になるだろうと、Y先輩とA先輩のやり取りを聞いていて思った。

”その先”を読んでくれる読み手に出会ったことで、自分に問い直すことができる。「これが本当に伝えたいことか」と、自分の手が生んだ作品に投げかけることができる。


書き続ける限り思い出すだろうその問いに18歳で出会えたことは、おそらくわたしにとって幸福なことだった。

A先輩ともY先輩とも、残念ながら今は交流が途切れてしまっている。今頃ふたりは何をしているだろう。なにを読み、なにを書き、なにを感じているだろう。

「もしかしたらまたどこかで」と心の片隅が無意識に思うのは、世界中のどこにいたって、言葉の”その先”には血の通った誰かがいると知ったからかもしれない。




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