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じょうずに他人事




人を沼にはめるのが上手い人って、いる。

漫画でも小説でもドラマでも音楽でも、自分の好きなものを布教するのが上手な人はほんと病的に上手なもので、個々の地雷が埋まった大地を鼻歌でも歌うみたいに最奥までたどり着いてしまう。そこまでこられたらもう降参するしかない、素直にハマるほかに道はないのだ。

そうやってわたしは米津玄師にハマったし、車にもちょっと詳しくなったし、今はどうぶつのもりにハマっている。

わたしがちょろいのもあるだろうけど、どうしてみんなそんなに人にものを勧めるのが上手なんだろう? 誰も「俺はこれがスキで~」とか「絶対にやるべき」みたいなゴリ押しをしてくるわけでもないのに、絶妙に気になるように鼻先に餌をぶら下げて誘ってくるの。わたしも、そんなふうになりたい。

というのも、最近は「人」について書くことがちょっとだけ増えた。一時期は自分についてばかり書いてたけど(それもどうなのって感じね)、一周回って自分の興味が内側じゃなくて外側に向いてきた感じ。

でも「人」のことを書くって難しいの、ほんと。

特にもだもだしながら書いたのが先日公開したエッセイ。

実はこれ、一回下書きしてたものが消えてしまった真夜中にがががーっと書き直したものなんだけど、思いの外たくさんの人に読んでもらえて嬉しかった。

のは良かったんだけど、今でもこのエッセイの書き方が”正解”だったのかが気になっている。

「自分の逃げ道を、自分の発言によって狭めてはあとから苦しくなるよ」的なことを書いたんだけど、そのときに例として書いたエピソードに登場する会社の同僚・Uさん。このひとの書き方が「本当にあれでよかったかなあ」と思い続けている。


Uさんを落とそうと思って書いたわけでは、断じてない。断じてないんだけど、言い訳を書けば書くほどなんだか悪く書いているような気がして、それが読む人にも伝わってしまうような気がした。

だからもう割り切って「違うよ、Uさんを悪く言いたいんじゃないよ」と付け加えたわけですが、うーん、これも違う気がしてならない。


自分のイメージする通りに書いたつもりでも、読み返してみると違う意味に見えてしまう。ミスリードな部分があるのが自分でもわかる。

だって人の悪口散々言ったあとで「違うよ〜良い意味でだよ〜」とか言われても、わたしはその人を嫌いになる、たぶん。

それが人のことを書く、ということであり、こそをどれだけ違和感なくズレなく書けるかが肝な気がしている。

あ、これって「好き」って言葉を使わずに気持ちを表現する的な感じに似てるね。でもわたしがやりたいのって、イメージしてるのってそういうことかも。


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