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不足と過剰と尾崎放哉、そしてお風呂の設定温度は40℃



『栓の閉め忘れに注意してください』

はいはい、ちゃんと閉めたよ、と思ったものの、いざこたつでぬくぬくし始めると「あれ、ちゃんと閉めたっけ」となる。

お風呂が沸くのがとても待ち遠しい。

しずかちゃんみたくお風呂好きだからじゃない。今、わたしの心に訪れた「お風呂、入ってやってもいいかな……」というタイミングを逃したくないからだ。

これを逃すと、せっかく沸かしたお風呂が冷水になるのを黙認する羽目になる。たったひとりわたしが入るためだけにお湯を張ったというのに、それは由々しきことだ。

だから今日はお風呂が沸くまでの間、noteを書くことにしてみる。もしもこの文章の終わりがぶつ切りになっていたなら、それは無事お風呂に入れたということなので何卒大目に見てもらえると嬉しい

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学生時代振りに、ふせんを買った。

今のふせんってすごいのね。角っこがね、まあるいの。なんでも「角がなければ引っかかって折れたりしない!」とのこと。これが完成形だと思って使っているものでも、案外進化しているのね。

なんて話は余談で、本題はどうしてふせんを買ったのかって話。

実は久方ぶりに、付箋を貼りながら本を読みたくなったからだ。

人によっては読書の折、お気に入りの箇所や大事な部分に目印を付けながら読むという人もいるだろう。

だけどわたしは基本的に本にふせんを貼ったり、折り目をつけたりといったことはしない。別に本の内容に興味がないとか、そういうことではなく、単に切り取るのが下手だからだ。

大学時代、担当教諭から卒論添削の際に何度も言われた。

「引用が長いですね。もっと短く。ここも、こっちも、あとあっちも、」

教授の添削例を聴きながら、頭を抱えてしまった。

言いたいことはわかる。わかるんだけど、自分の性格上ついつい長くなってしまう。というのも、おそらくわたしが不足よりは過剰を好む性質があるからだろう。

足りないよりは、多い方がいい。必要なものも、無駄なものも、ないよりはマシ。長い分にはあとで削ればいい、その方が負担が少ない。

だから大事なところやお気に入りの部分にふせんをつけよう、と思っても、どうしても長くるし、枚数も増える。いっそはじめから読んだ方が早いなんで不毛なことになりそう。

そういえば前職でプレゼンをしたときにも言われた。「説明は丁寧だけど長すぎ」。そんなんわかっとるわ、と悪態をつきかけたものだった。

そんなわたしだが、このたびふせんを買ったのは岩波文庫の『尾崎放哉句集』を読むためだった。

自由律俳句に目覚めて日が浅いので、自由律のなんたるかはまるでわからない。だけど素敵なものがぽつねんとそこにあることはわかる。

そして句集というのは、その「素敵なもの」が次々と流れていくのだ。ゆらゆらと流れ、そして過ぎ去っていく。

駄目だ、駄目だ、これは心に留めておきたいのだ、と思ったところで、脈々と流れる美しさを受け止め切る記憶力がない。

簡潔な短い言葉の並びは、余計な説明も情緒的な解説も必要としない(あったらあったで味わいが変わるのだろうけど)。

ただそこに小さな世界があって、断続的で、あまりに多様で、なんとなく読んでいたら、きっとなんとなく読み終わって、なんとなく棚の肥やしになってしまう。

そんな気がして、ふらりと入ったセリアで角のまあるいふせんを買った。

説明や引用の必要ない世界も、それはそれで大変なものだなぁ。でもこれらの小さな世界は、わたしに迷うことをさせない。好きなようにふせんでもなんでも貼れば良い、そう言わんとする白と緑のカバーが鞄の中に眠っていた。

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『てれれんてれれんれんーーん』

3分くらい前にお風呂の沸いた音がした。

この辺で終わりにしておかないと結局お湯が冷めることになってしまうので、そろそろお開きにしようと思う。

最後に、わたしが一番はじめにふせんを貼った句を引用する。


柘榴が口あけたたはけた恋だ


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