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Cookey

「今日は霜月、お朔日」
 霜月はじめの日に、イツおばあちゃんが決まって出すクッキーは、なんだかヘンテコなかたちをしていた。フィンガークッキーっぽい細い棒の端っこでは、ときどき生地が四角くはみ出している。最初は失敗作? とも思ったけれど──はみ出し方もそろってないクッキーは、イツおばあちゃん曰く「そのように作っているのよ」だ、そうだ。
 とはいえ、秋まっただなかの午後三時ともなれば、日が傾いていく気配を漂わせ、鼻をつん、とさせる涼しさが忍び寄る季節。蜂蜜をたっぷり溶かしたホットミルクが添えられるクッキーに、ていねいに溶かされたチョコレートをまぶして食べるのは、いつか読んだ童話に出てくる鳥の脚をぽきっ、と食べてるみたいな気分になれて、それもまた楽しかった。
 けれど。
「どうして毎年十一月一日のおやつに、このクッキーが出てくるの?」
 積み重なった疑問がざっと十二年分溜まったところで、私はイツおばあちゃんに尋ねてみた。すると、イツおばあちゃんは小柄ながらふくふくした頬に──いつものゆったりした笑みとは違う、いろんな感情が交ざったそれを浮かべた。
「十一月一日はね……わたしにとっては、鍵を手放す日なんよ」
「鍵を手放す日?」
 またずいぶんと謎めかせた言葉が、と思いつつ、私はぱきり、とクッキーをかじった。古いオーブンで堅焼きにされたクッキーは、チョコレートやジャムをつけずに食べると、ほとんど甘さが感じられなくてそっけない味だな、などと思いながら。
「机や抽斗に、あるいは自分の心や記憶にひとは鍵を掛けて、いろいろなことを秘めるでしょう? でも、そうやってかけた鍵をいつまでも持っていたら、誰かに見つかって開けられてしまうかもしれないし──もしかしたら、当の自分がかさぶたを剥がすように、鍵を手に取ってしまうかもしれない。
 だったら、その鍵を目につくところに置かずに手放して──でも、そこいらに捨てるなんてことはできないんだったら、預けてしまえばいい──そんな思いつきの受け皿になっていたのが、わたしの家なの。
 でも、ずっと前からそういう鍵を預かるのを商いにしていた、とは言ってもね……秘めごとの匂いが漂う鍵って、なんだかこう、もやっとしているくせに重たいものがまつわりついてるみたいで、とても素手では触りたくなかったわ。
だからわたし、鍵を受け取るときはずっと手袋をしていたんだけど、親きょうだいには、『ひとさまの情を封じとどめている鍵に対して、なんと情のないことを』って叱られたの。
 だけど、鍵にまつわる、わたしのくらいきもちは確かにあるぶんだけ……店番しながら、今日は鍵を持ってくるひとが来なければいい、っていつも願っていたわ。
 そしたら、月に一回、隣の、そのまた隣の村から小間物の商いにやってくる、陸郎さん、って若い衆さんがね──霜月はじめの商い日に会ったわたしったら、よっぽど思い詰めた顔してたのかしら、陸郎さんのほうから『どうした?』って声をかけてきたの。
 なんでもない、ってわたしは何気ないように答えたんだけど、陸郎さんには『いや、なんでもない、って顔じゃない』って二の句で言い切られてしまったわ。
 ……それからわたしは、陸郎さんのぽつりぽつりとした問いかけに、最初は言葉をゆっくり選んで答えてはいたのだけれど──とうとう、鍵へのくらいきもちを口にしていたの。
 そしたらね、陸郎さんたら──『そんな鍵なんざ、食っちまえ』なんて言い出したの」
「鍵を……食べる?」
 ぽかんとした私の物言いに、イツおばあちゃんはくつくつと笑った。
「わたしも今のサヨちゃんとおんなじように、ぽかんとしたわねえ。けれど陸郎さんは大真面目に、わたしが預かった鍵を台所のテーブルに並べて欲しい、って言い出して……それがあんまり真剣だったから、わたしは言われるがままに、いろんなかたちの鍵を取り出しては並べてるあいだに、陸郎さんは商いもののバターや卵、砂糖をどんどんボウルに放り込んでいくの。
『ほんとに鍵のかたちにしちまうと、あんたは食べづらくなっちまうだろうから、脚のとこだけな』
 そう言って、陸郎さんは太い指でぐいぐいと生地をこねて、鍵の脚だけをかたどったクッキーを焼いてくれたんだけど……きつね色に焼き上がったそれを、わたしはつくづく見てしまうばかりで、手に取るのをためらっていたわ。
 何も言われずに出されたら、アルファベットクッキー……の欠けたもの、と思ったかもしれない。でもわたしはこの目で、このクッキーができあがるまでをずうっと見ていたからね。
 そんなわたしに、陸郎さんはクッキーを差し出して、こう続けたの。
『……こいつを、一年に一回だけ食う。食いながら、あんたは『わたしは鍵を食えるほどつよいんだ』って自分に言い聞かせるんだ。そして食い終わったら、こいつを食べたことも、鍵にまつわるあれやこれやも、水や茶と一緒にすっぱり流しちまいな。
 あんたはただ、昔からの商いで鍵を預かってる。でも、ただ「商い」だけなんだから……鍵を預けてったヤツのいろんな感情にあんたが囚われて、あれこれ思い詰めちまうこたぁねえ』
 鍵、の脚をかたち取ったクッキーを食べて忘れる、なんてずいぶんと突飛な思いつきなのかもしれないけれど……でも、陸郎さんの焼いてくれたクッキーを一口かじった途端、わたしはすこーんと気が楽になってたの。
 傾けかけた午後の光が照らす、十一月の落葉の匂いと混ざり合ったバターの香り、たくさん砂糖を使ったように見えたのに、ほんのりとだけあまいクッキーをひとくち、またひとくちとかじっていくうちに──わたしはあの、だいっきらいで憎ったらしい鍵を食べてしまえるほどつよいんだ、そして、食べて忘れてしまえるくらいすこやかなんだ──って、こころの奥からむくむくと元気が湧いてきたの。
 それが十一月一日のできごとだったから……それからずっと、この日だけはおやつはこの鍵の脚クッキー、って決めてね。
 陸郎さんに作りかたを教わって、ふたりで──やがて三人から四人、四人が五人になって……またしばらくしたら、五人から四人に、四人が三人に、三人からふたり、ってなっても──五十年以上もずうっと、こうしてきたのよ」
 イツおばあちゃんの、とても遠くを見ているような、なんともやさしげで、おなじくらい哀しげなまなざし。それが後々までずっと、深くあざやかな印象として残っているのは──そのおやつのひとときが、イツおばあちゃんのしゃんとしているところを見た最後だったからかもしれない。


                             #novelber   Day1 鍵

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