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墜ち羽の奥

「よーっし、いっけーッ!」
 友だちのカンタローとふたり、ああだこうだと頭を悩ませながら、指がひりひりするほど折りこんだ紙飛行機。これは、と思う新聞チラシを集めて、そのなかから一等賞のを選んできちんと正しく折ったはず、なのに──『卵ひとパック88円』の文字を傾け、オレたちの紙飛行機は畑の畝へと落ちていく。
「なんだようー! コータぁ……」
「おっかしぃなあ、今回はあっちのカボチャ畑まで飛んでくと思ったのに」
 もう収穫は終わってるけど、あちこちに落ちてる蔓や葉のミイラたち、そのうえに落ちてるオレたちの紙飛行機も「もっと飛べるはずなのに」となんだか不服そうに見えた。
「うーん、あんちゃんの高校の屋上からなら、もっとぐいぐい飛ぶかなあ──ってダメだ!」
 カンタローがうんざりしたような顔で、紙飛行機を拾い上げた。
「秋に入ってから、あんちゃん毎日試験、試験でめっちゃ機嫌悪いんだ」
「そっかあ……」
 溜息をついて、オレたちはもとの通学路に戻る。
 やたらとだだっ広い空のもと、山に囲まれた町を一直線につらぬく道は、両脇に畑がたくさん、思い出したように街灯、の繰り返し。通学路と言ったらここ、しかないこの一本道をただ家までだらだら歩くのも飽きてしまうので、オレとカンタローは紙飛行機を追っては飛ばし、飛距離を競ってきた。けれど──最近はどうも思ったように飛んでかなくて、地団駄を踏みたくなるような、むずがゆいくやしさばかりが浮かんでくる。
「どうやったら、もっと飛んでくかなあ……」
 オレは小石をこつん、と蹴飛ばして、なんとなくその行く先を目で追っていたけれど──そいつはなんと、別の紙飛行機に触れて止まった。
「オレたち以外にも、紙飛行機やってるヤツがいるんだ!」
 ぺちゃんこのランドセルをガシャガシャと揺らして駆け寄ったオレは、ノートを破ったっぽい、線が引かれた紙飛行機を見下ろす。山から降ってきた紅葉にまみれたこいつは、さてどの型だろ、と手を伸ばそうとした、そのとき──
「馬鹿、やめろ!」
カンタローがいつになくするどく、オレを制した。
「なんでだよ、どんなの折ってるか気になるじゃん!」
「お前は転校生だから知らねーんだろうけど、このあたりじゃ、落ちてる紙飛行機は開いちゃいけねえ、って言われてんだよ、昔っから!」
「えっ、そうなのか?」
 父さんの仕事の都合であっちこっちの学校に転校してるけど、そんなのを聞いたのは初めてだ──
「なんで?」
「なんででも……っつか、おれもよく知らねえんだけどよ。一度折った紙飛行機をバラそうとすると、それ見た大人たちがすっげえ怒るんだよ。あんちゃんがそれでオヤジにゲンコツくらってたとこだって。おれ、この目でたしかに見たし」
 カンタローが怯えたように、首を横に振るけれど──足元の紙飛行機は、もう何日もそこにあったのか、翼もぼろぼろで、肝心の折り目もずいぶんとゆるくなっている。
(そういえば朝の天気予報で、明日から雨、って言ってたし……そしたらこいつ、溶けてなくなっちまうだろうな)
 そう思ったオレは、隣で目を背けているカンタローに声をかけた。
「なあカンタロー、この紙飛行機なんだけどさ、どうせあちこち汚れてるし、折り目だってゆるくなってるじゃん」
「……でも、まだ飛行機のかたち、してる」
 唇をとがらせ、そっぽを向いたカンタローの思いがけない強情さに、
「まっ、いいさ。オレは気にしないかんな」
 そうとだけ答えて、オレは拾った紙飛行機の翼を広げようとしたが──
「うわあっ!」
 次の瞬間、文字通り道に叩き付けるようにして、そいつを投げ出していた。

 土埃にまみれた紙飛行機は、もう翼もよれてて、とても目指す場所まで飛んで行けそうもない。でも、そんな紙飛行機のなかで、ざわざわ動いていたのは──ちいさい虫が折れた脚でもがいて、でもどうにもできずにやつあたりしているような、たくさんのちいさな、ちいさな文字たちだった。
 そいつらはオレが開けてしまったところから、一歩外へと踏み出そうともがいている。
 はやくここを出て、だいじなことを伝えなくちゃ、と言うかのように。
 でも数秒後には力尽きて、紙飛行機のなかへと落ちていき──黒い文字たちは二度と、姿を現さない。
 オレたちにも読めるような「ことば」になることもなく、落ちていく文字たち。それは──なんだか遠くまで行けそうな気にさせてくれる、十一月のさわやかな青空のもとで見るにはあんまりむごい、と、ガキのオレたちにも痛いほど分かってしまい──……

 年甲斐もなくオレとカンタローはふたりして、喉をひきつらせるように、しゃくりあげていた。

「どうしたの?」
 そこに、鍵屋のイツおねえさんが通りかかって、やさしい声をかけてくれたときにも──小学四年生にもなって情けない、とはちらりと思ったけれど、身体の奥からわあわあ溢れ出す声と、泣きじゃくる涙を、どうにも止められなかった。
 そんなオレたちのとぎれとぎれの話を聞いてくれたイツおねえさんは、オレたちの、涙と鼻水でべしょべしょの頬を、そっと撫でてくれた。
イツおねえさんの手って、なんてやわらかいんだろう、とオレと──となりでカンタローも泣くのをやめてうっとりした、そのときだった。
「わたしが鍵掛けて、しまっちゃうからね」
 いつもよりキリっとした顔で、はっきりした口調で、イツおねえさんはそう口にしていた。
 ぽかんとしているオレたちの目の前で、イツおねえさんはその手に、きっちりと手袋をはめる。そのままイツおねえさんはオレたちが息を呑むより素早く、路に落ちている紙飛行機をつまみあげると、鞄から取り出した小箱に入れ、蓋をするなりきっちり鍵を掛けていた。
「……だから、もう忘れちゃいなさい」
 手袋をはずした手で、イツおねえさんはこんどは頭を撫でてから、いつものおっとりとした歩きかたで、オレたちのもとから離れていった。
 ふっくらとあたたかい手からは、黙ってても伝わってくるやさしさ。それにホッとしていたオレの頬がニヤニヤにやけてくずれていくなか、ぽつり、カンタローが呟いた。
「イツねえちゃんって、ほんとに触りたくないもの触るときには、かならず手袋するんだぜ」
「──……え?」
 オレはさっきまで、紙飛行機が転がっていた場所を、じっと見る。
(あれはいったい、なんだったんだろう。
忘れなさい、とは言われたけれど、イツおねえさんが素手で触りたくないほどのものって……)

──……それからしばらく、オレとカンタローは紙飛行機を折ろうとするたび、背筋がぞわぞわしてしまう日々を過ごすこととなった。



                  #novelber  Day4  紙飛行機

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