心がけるようになった事

近頃、と言っても去年くらいから心がけている事がある。

『母親を褒める』という事である。
私は母親に正しく褒められた試しはなく、90点を取ればそんなものは0点と変わらないと言われたし、容姿に関しても太っている、醜い、しか言われた事がない。
典型的な毒親であった。

では、なぜ母を褒めるのか。
褒めると母はとても嬉しそうにするからだ。
母親自身が、恐らく全く今まで褒められてこなかったのだろう。だから、誰かを貶めて、自分の存在を肯定するしかなかったのだろう。母は、祖母から褒められて来なかったのだろう。父(母から見ると夫)からも褒められなかったのだろう。幼い母の事を思うと、胸が張り裂けそうになる瞬間が、ある。今はそれが分かる。

私はそれを母から貰う事はなかったけれど、
私は惜しみ無くそれを母にあげようと思う。

少し意地悪だが、これを続ける事でいつか母が満たされて、私に行った仕打ちを少しだけ後悔してくれればいいと思っている。(期待はしていないが)
これを続けても、私の中で私と母との記憶が変わる事も母との関係が満たされる事もない。でも、それでも構わない。母が私がこうする事で、満たされる瞬間があればそれでいい。

一番の復讐は幸せになる事。
母を褒める事は、1つの復讐なのかもしれない。
私は、幸せを手にするために今後も生きていくだろう。しかし、敵の事も、やっぱり放ってはおけないのだ。敵もかつては被害者だったのだと思うと、私は、彼女を放っては置けない。
私も母も、幸せになるのだ。絶対に。

恐らくこの家に何世代にも続いてきたであろうこの呪いを、
私は絶対残さない。
自分がそれを与えられなかったからと言って、誰かにそれをあげない事は理由にはならない。
母も被害者だった。会ったことはないが、恐らく祖母だって被害者だった。
そう思えると、諦めがついた。
母から精神的な何かを貰える事がないとしても、私はそれを与え続ける。私は他の場所で不足を補う。
だから大丈夫。お母さん、もう大丈夫だよ。

これからも、苦しむ事はたくさんあると思う。
世の中には毒親と決別するという決断をされた人もたくさんいるだろうし、私もそうした人たちの考えを尊敬している。それも一つの方法だと思う。
でも、母も被害者なのだと分かる今、私は母に慈しみをあげたい。これも、一つの方法だと思う。

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