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Words From いしい①

どうも、ICHIGO STUDIOのフォトグラファーいしいでございます。

ブログを書くなんて大学生ぶりぐらいなもんですが、手を動かしている次第でございます。


●そもそもオマエは何なの?バカなの?

軽く自己紹介をば・・・

いしいは2020年現在で満35歳で早生まれで違う可能性もありますがアヴリル・ラヴィーン田中圭あたりと同期ですがあっちは俺の事を知らないし、そもそもそれは同期って言わねえよって話ですよ奥さん。

実は根っからのフォトグラファーではなく新卒で総合病院の医療事務を7年間くらいやっておりました。
180度職種変えてるので経歴を話すと高確率で驚かれますが、実は自分自身が写真でおまんま食えてる事に一番驚いてるんです。


●何があって転職しようとした?

退職理由 a.k.a 転職のキッカケ「病院で働いているのに病気になりそうだった」からです。
そこは「写真やカメラが好きだから」とかじゃねーんかよとお叱りに近いツッコミが入りそうなところですし、逃げじゃんと言われればごもっともだし
この時点では「フォトグラファーに俺はなる!(ドンッ)」と思っていなかったので早速のテーマ詐欺です。

ただ就職したての時は病院自体の経営は上手くいってたし、給与面も良くて何か色々とめちゃくちゃ緩かったんですよ。

どう緩かったというと上司は社会人らしからぬメッシュ入れてたし、当のいしいも「上司がそうなら」と子供じみた考えでグリングリンのパーマかけてても何も言われないどころか、オバちゃん看護師連中に「可愛い頭だわ~」とかドクターには「モジャ男くん」とかあだ名で呼ばれてました。

あと病院ならではの福利厚生の一部として診察してもらった後の支払い負担も1.5割だったし(通常なら3割負担)

オマケに働いてる看護師さんが職場で出産したら出産費の支払いなかったし・・・。と諸々。
そんな事をしていたせいか年々右肩下がりに経営不振に陥っていって、ついには他の会社に身売りをしてから激務に。

細かい事は省きますが2日くらい泊まり込みで関係のないプログラミングの仕事してたし、日付が変わってから帰ってその数時間にまた仕事に行くみたいな事がざらでブラックどころか漆黒っぷりに精神の擦り切れっぷりがマッハだったので冒頭の考えがよぎりました。

もうね。本末転倒とはこの事です。

もうこの時点で仕事に対するモチベーションはミリ通り越してナノやピコレベルで無かったので仕事の振り分け会議の時にふと「あぁもうどうにでもなれ」と衝動的に思い、同時に積りに積もった不満が爆発して

「じゃあ石井君は窓口g「すみません来月末で辞めますのでお受けできないんですよね」と突発的にその場で辞職宣言をしました。マジのガチでノープランのまま・・・

辞職してからフォトグラファーになるまでのいしいの物語はもう少しばかし続くんじゃ。

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