見出し画像

pseudo-unhappinessと感傷マゾへの憧憬

こんにちは。威子です。
存在した、或いは存在しない"あの夏"へ、吐息を振り払っても辿り着けないような寒さが今年もやってまいりました。
前作(ボカコレRTAを挟んでますが)"吾亦紅につけて、"の記事(https://note.com/ichigonose22/n/nb78e7909cab8)で少しだけ感傷マゾ¹への"あこがれ"について触れました。今作"pseudo-unhappiness"は、そんな"感傷マゾ"という概念に出会ってすぐの頃に制作した作品です(杏の花言葉がモチーフとして使われていることもあり、当初は杏仁豆腐の歌を作ろう!とだけ思っていましたが..気づいたらこうなってました)。覚え書き程度に、作品に込めた想い..というと言い過ぎですが、楽曲になってしまった想い、について、歌詞を交えながら(-で囲まれた部分)ここに残していきます。
原曲、【心華】pseudo-unhappiness【オリジナル】


Free Download Girl's Compilation album「しあわせ」
https://nina2019.booth.pm/items/4284717
こちらのコンピアルバム3曲目で参加させていただきました、是非。

************************

"感傷マゾ"、これを知った僕はすぐに"共感"ではなく"あこがれ"を抱いていることを察知した。事象、感情、行動、etc、それに名前がついている、言語化できる状態というのは、時に安堵をもたらす。そこに自分が属しているという実感を持つ、自分の想いを明確に表出できる、などという点で。僕は"感情マゾ"を知って、何に憧れているのかも分からないまま、どこにも属せないままゾンビのように生きていた自分から、少しだけ解放された、ような気がした。僕は....

胸を張って青春を謳歌したとは言えないが、かといって青春を謳歌した者に対してルサンチマンを抱くことはできない。では、そんな不幸にはなりきれない自分は何を拗らせてしまったのか?→....自分は何者なのか?....漸成発達の中で自己確信を持てずに自我同一性を獲得できていない、発達段階の中で当たり前のことで、ただそれだけじゃないか、と言われたら否定はできないし、そうなのであろう。

-"虚構"ではなく"思い出"-
-鮮やかな"記録上の夏"-に対する色褪せた"記憶上の夏"-
僕は"感傷マゾ"にはなれない。"存在しなかった青春への祈り"は存在しない。

-本物の夏を偽り-ながら、青春物のアニメ等で-架空の甘酸っぱさ-を摂取し、焦がれる。それにより自己嫌悪や罪悪感が効きすぎた結果、生じた副作用が、これだ(グレープフルーツとカルシウム拮抗薬みたいなイメージか)。
僕がアニメやゲームで焦がれた虚構の少女たち、-"制服の君"-も、-"黒髪の君"-も、"浴衣姿の君"も....etc、-ノンフィクション-であり、全部僕だったんだ、と。なのに、今は一人でそんな風に拗らせちゃったんだね。なんて、昔から-傷つかないように-、自分の好きなもの(vocaloidもそう)も言えないまま、自分を偽り、ずっと誰かと-笑っていた-だけで、だからいつも誰かとずっとは一緒にいれないんだよ。....気づけば、そんな風に彼女たちに糾弾されることで楽になろうとする僕が生まれていた。その"彼女たち"は時にボーカロイドだったりもする(「はじめてのマジカルミライ」の参照ツイートもそう)。
気持ちが追い付かないまま、だけど確かに存在した青春の場面が、いっそ存在しなかったら-このくらい真っ白だったら-、感傷マゾという概念のもと、すべて受け入れられたのに-全部飲み込めたのに-。-贅沢-な自己嫌悪と、罪悪感だ。

何故こんなことで楽になれると思うのか?始めに述べた安堵があるからだ。例えば疾患の原因が分からない、或いは予後を予測しえないといった"不確かさ"と類似したようなもので、"何か分からないけど拗らせちゃってる"という不確かさが心理的適応を困難にしていた。しかし、感傷マゾにあこがれる自分(その後様々な縁もあり"ボーカロイド・感傷マゾ²"というところに着地したのだが)、という、僕は"何者か"にはなれたという実感。そこに僕は救われたのだった。

**

早稲田大学ボカロマゾ研究会主宰のsen氏にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。元々ボカロPになったのもボカロPを続けているのも、GUMIと空想身体同士で接触していたかったからなのだが、ボカロPと呼ばれるほど何か残せているわけではない。それもあって(それだけではないが)、いちごのせPといういかにもvocaloid楽曲を創作してそうな(ボカロPっぽい、いや某ゲームのプロデューサーとかもあるかもしれないが)名前を辞めて、威子に改めたという経緯がある。ボカロP=自分、というのはちょっと認識が異なるような気がして。ボカロで/と感傷マゾ、という自分にぴったり..かどうかは分からないが、それについて追考することで、自己確信にも繋がると思っている。そういった機会を与えていただき、大変光栄である。

*************************

次はその研究会の方でちゃんとした文章を書けたらと思っています(初音ミクとGUMI、信仰と思慕、といったところをメインに)。
それでは、またどこかで。

威子

/*参考*/
¹わく/かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン、「感傷マゾvol.01 『四周年記念座談会』」、2019
https://note.com/kansyo_maso/n/n365a0a449a89
²早稲田大学ボカロマゾ研究会、「「ボカロマゾ」とは何か、あるいは「うちのミクさん」を巡るその存在論について」、2022
https://note.com/w_vocaloidmaso/n/nf76b0ff239a1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?