新型コロナと大相撲と

罹患してから4日目。
高熱の時も今も何故かテレビでは大相撲が流れてる。昨日あたりからは意識的に。
祖父母と同居していた幼い頃、2人はよくお相撲を観てた。習い事や友だちとの約束もない夕方、夕飯までの間、なんとなく2人の隣でぼんやりと眺めていた。
お相撲にあんまり興味はなくて、どちらかと言うと普段寡黙な祖父が良い場面などでアッ!とかオォッ!みたいな大きな感嘆の声を出すのにびっくりしてしまうので苦手な方だったような気もする。

でも、今でも祖父母との時間を思い出すと、あの和室のお部屋とテレビでやってたお相撲を思い出す。そしてそれはなんだか幸せな時間だった。

もうひとり、お相撲を観ると思い出すのは大叔母で。彼女は昭和初期の生まれで生涯未婚で己の力で稼ぎ、美味しいものと友人と旅行が大好きで、自力でマンションの一部屋を買い、病で倒れるまでそこに暮らした。
私は大人になってやっと大叔母のすごさがわかるくらいの世間知らずだった。

ごく幼い頃は祖父母のもつアパートで敷地内同居をしていてとてもよく可愛がってもらった。
といっても、甘やかして猫っ可愛がりをするタイプではなく、けれどそばに居ても疎ましがらず美味しいものを食べさせてくれて話を聞いたり、好きな本を買ってくれたりした。
大叔母のような大人が近くにいるのが当たり前だったのは幸せなことだったと思う。
そんな大叔母もお相撲が好きで、1人暮らしたお家は二子山部屋のすぐ近くで若貴優勝の頃は一緒にパレードを観たのも良く覚えてる。
血圧が高く、怒らせないで!ってよく言ってたけど、お相撲見るとワーって興奮しちゃうから大丈夫なのかな?ってたまに心配になったりもした。

くも膜下で倒れたものの、たくさんいた兄弟姉妹の中で一番長生きした大叔母。
最後の何年かは新しいことを覚えるのがとてもとても苦手になってしまっていたのだけれど、当時恋人だった夫が積極的にお見舞いに行こうと誘ってくれ、2人でよく会いに行った。
目の見えない夫と、耳が遠くなり認知症の進んだ大叔母は、夫がノートいっぱいに大きな文字で力士の名前を書いて、それを大叔母が読む。そんなことからコミュニケーションを深めていった。
2人の共通の言語にお相撲があった。

大叔母があの状態で、彼が私のパートナーで、目が見えないということを理解したのは本当にすごいと思う。なにより、時間があるごとに夫がお見舞いに行こうと言ってくれたのが本当によかった。そのおかげで私はもっと会っていれば、と言った類の後悔はしていない。会えなくなった寂しさはもちろんあるけれど。
それに、3人で撮った写真もたくさんある。
病院や施設をいくつか移動したので、その場所その場所でのデートのような思い出もある。
寂しさもあるけれど、幸せな思い出だ。
やはり、彼のこの掛け値のない優しさは素晴らしいと改めて。素晴らしい人だな。

そういえば、生前の大叔母が、男の子の子供が2人と言っていたのだけれど、私たち三姉妹の誰の子供かは謎で、亡くなった半年後に甥っ子が生まれ、昨年にはもう1人の妹が姪っ子を産んだので(おばちゃーん、男女1人ずつの子供だよ!)と心ひそかに思ったのだけれど、我が子が男の子だとわかったので、もしかしたらこっちが見えていたのかも知れないな。


さて、今日の千秋楽、誰が優勝するのかな?
大叔母が生きてたら、祖父母が隣にいたら、きっとみんなで伯桜鵬を応援しちゃうと思う。

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