怪物【短編小説】

 もう夜11時を過ぎていた。ローリーとアシュリーは広い小屋にいた。広いが、狭かった。というのも、観葉植物で小屋のぐるりは埋め尽くされていたからだ。パキラやオドラ、ゴムノキは白や褐色の鉢にそれぞれ生え、不気味に立っていた。またあるものは蔦が床にまで伸びてだらしなく寝そべっていた。しかしその不気味さは心地の良いものだった。サーモンピンクの床はリノリウムで、天井のささやかなランプをそのつやつやした表面に映していた。天井にはランプの他に、小さな電球が星のように並べられ吊るされていた。小屋は木の柱を組んで作られており、天井はそのまま梁が見えるようになっている。そしてそこに透明の板が乗せてあるだけなので、空がもろに見える。よって夜などは見上げた先の藍色の絹のカーペットを背景に手前の電球が少々主張の激しい星々のように燦然ときらめいているように見えるのだ。ちなみにローリーはチェックの淡色の布のかかった大きな籐椅子に悠々と腰掛けて、その空を見ている。小屋の隅に置いてある籐椅子は本来回るものなのだが観葉植物の鉢が邪魔して動かない。動かそうとすると軋む。もっと力を入れると周りの鉢が倒されることになる。だからそこに座る人は、動かしたいはやる気持ちを抑えていなければならない。もっとも、ローリーは反対につんとすましたような顔をしていたが。そばでは薪ストーブの火が静かに揺れている。小屋では虫の声と薪の爆ぜる音しか聞こえない。トイレに行って軽い苦痛と闘っていたという理由でローリーに先を越され唯一の安定する場所を奪われたアシュリーは、小さな木の樽に腰掛け、ストーブに手をかざした。
 アシュリーは尋ねる。
 「こないだ教えた本、読んだ?」
 「ああ、マイケルの?読んだよ、いつか忘れたけど」
 ローリーは答えた。
 「面白かったでしょ?」
 「別に。面白かったけど。それだけだね、うん。あたし感想を書くのは好きだけど言うのは苦手だからさ。ていうか、ああいうタイプの小説って、どう感じればいいっての?敢えていうなら、人の恐怖を煽ろうとしてるけど失敗してる、みたいな。少なくともあたしは動かされなかったね。とにかく、二回読もうとは思わない」
 アシュリーはローリーは自分とはある意味違うのだと再確認するはめになった。優劣の問題ではない。種類が異なるだけ。それに万一優劣があったとて自分たちの間にはなんの問題もしがらみもない。
 ローリーは生暖かい気温にも関わらず手袋をした手で、籐椅子の前の散らかった丸テーブルのポットから紅茶をコップに注ぎ、少しすすった。
 「ここは町の中でも被害を受けなかった建物のうちの一つだね」
 アシュリーが感慨深そうに言う。
 「ああ」
 ローリーは無頓着な様子である。アシュリーは続ける。
 「もう警察は動き出してる。犯人が見つかるまでもうすぐじゃない。それにしてもあんた、これに関してはほんと興味なさそうだね」
 「だって」
 ローリーはまたコップを口に運ぶ。そして唇をぺろりと舐めると言う。
 「犯人、あたしだもん」
 アシュリーは身体を横にいるローリーに向ける。
 「あんたマジ言ってんの?」
 「マジだけど」
 「そういうこと」
 アシュリーは得心したようだ、いくつかの事柄についてだけは。つまり、1.ローリーが手を見せようとしない、2.やたら無関心である-それを装っていたのかもしれないが-、そして3.昨夜変な音が聞こえてきた時にローリーに電話しても出なかったわけがこれで合点がいった。ローリーは訥々と話し始めた。
 「あたしは昨日の夜0時にこっそり部屋を抜け出した。まずリビングの猫に会いにいった。猫はソファで眠ってた。あたしは猫の頭に鼻を埋めた。しばらく会えなくなるかもしれないから。いいにおいがしたよ。あたしの大好きなにおい。猫はぐっすり眠ってたけど、薄目を開けた。ちなみに結局会えたけどね。さっきまであたしの膝の上にいたし。もしかしたらやってる途中に見つかって、即拘置所送りってなるかもだったからさ。それから両親の寝室を覗いた。あの、って私は言った。父ちゃんがうなった。私はドアを閉めた。そして今度はおばあちゃんの部屋にそっと入った。おばあちゃんはすやすや寝てた。いびきをかかないように、わざと受け口にするテープを貼ってるんだろうと推測した。おばあちゃんの頭の上には十字架があって、あたしが開けたドアの隙間からの光はちょうどそこに伸びてた。あたしはなんとなくその前で手を組んだ。おばあちゃんの部屋を後にして、ようやく外に出た。まったく寒くはなかったよ。それにもし寒くてもどうせ運動して温かくなるだろうと思ったし。だからコートやなんか着てなかった。パジャマではなかったけどさ。こういうことをする時には正装じゃなきゃね。ということであたしは、鎖骨丸出しのノースリーブシャツにパーカー、ダメージジーンズ、それにレザーベルト、龍のイヤーカフという格好だったのさ。人?人は全然いなかったよ。なにしろこのクソ田舎町だからね。観客はわんわん鳴くマツムシくらいだった。やかましいのがありがたいと思った時、あたしは一旦中に戻った、そして冷蔵庫から缶ビールを取り出して開けた。ぐいっとやって、また外に出た。すでに顔が熱くなって、動悸が始まってたね。あたしは弱い方なんだよ、アルコールに関してはね。コーヒーも弱かったんだけど、毎日飲んでたら慣れたわ。でも酒はだめだね、うん。とにかくあたしは、千鳥足で歩きながら、興奮してきたわけ。で、一瞬、バットやなんか持ってこようと思ったんだけどさ、素手でやったほうが面白いじゃん?だからなんもなし。あたしは着の身着のまま、夜の田舎町に走り出したってわけ。うちの前の砂利道を出て右斜め前に、駐車場がある。あたしはそこに駆け込んで、車という車を蹴りまくった。そんでタイヤに噛みついて、ゴムを噛みちぎって飲み込んだ。血の味がしたよ。それから近くの家の窓を手で強く打った。ひびが入って、手がじいんとした。でももっと強く打った。今度はよく割れた。細かい細かい欠片がたくさん手に刺さったのがわかった。気持ち悪くて、走り出して、また別の家の窓をぶった。気持ち悪さを振り切るように、走ってはそこら中の物を叩いて叩いて叩きまくった。あとは蹴ったり噛みついたりね。でもこの小屋だけはやらなかった。気分が乗らなかったからね。町を一周して戻ってきた頃、あたしはアスファルトの地面に倒れた。身体中の血が駆け巡るような気がした。血は下から押し寄せてきて、喉まできて、あたしは叫んだ。そしたら酒が口からいっぱい出た。吐いたんだよ。うちから10メートルくらいんとこでさ」
 ローリーは紅茶を飲み一息ついた。これで事件の顛末は話し終えたということだ。
 「手を見せてよ、ローリー」
 ローリーは手袋を外した。アシュリーは顔をしかめた。血は洗われていたがやはり遠くから見ると全体的に赤くひどい有様だった。
 「うわ、そんなの初めて見たよ。ガラスだって深いとこに刺さったままなんでしょ?病院行かないとまずいよ」
 「でもね…」
 「お願い、行って」
 アシュリーはじっとローリーの目を見つめた。ローリーはしばし戸惑っていたが、ふと目を閉じた。そして再びおもむろに目を開けた。
 「あたし、自首するよ」
 アシュリーはほっと息をついた。
 「よかった。ところで、あの後はどうしたの?」
 「家に帰る気はしなかったから、この小屋に来た。そんで手を洗った。で、電気をつけて、しばらくここに座ってた。東の方が明るくなってきた頃に家に帰ったけどね。一日中飯も食わず部屋にいた……あんたに呼び出されるまで」
 「そうなんだ。一つ聞いていい?」
 「うん」
 「暴れてる時、どんな気分だった?」
 「あたしは……あたしは、あの時、怪物になったんだ。いつもは隠してる鋭い爪をあらわにした美しい怪物にね」
 
 ローリーは自首し少年院に入れられた。親は驚愕し、うろたえた。アシュリーはローリーの親に説明を求められたが、ローリーの言ったことのうち些末なことしか教えなかった。美しい怪物であるローリーが少しでも軽蔑されるのは耐え難かったから。それでこそアシュリーはローリーの親友であった。

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