16才とまの話8。精神神経科

九日目

 「生きている意味はある」
 お祖母さんは帰り際、そう言いきった。確信に満ちた目つきで、子供の僕を優しく見下ろしながら。
僕は、まだお祖母さんの境地へ至らぬまま命を終わらせようとしていたことに、一種の戦慄を感じた。一日の疲れはそれを上回っていた。だけど、闇夜の町の家々のひとつに明かりの灯っているのを発見した時のように、荒涼とした胸の中に小さな火が居座っているのがわかったんだ。火はいつ胸いっぱいに広がるだろう。明日か、一年後か、十年後か……あるいは広がらぬままか。火が消えてしまったらどうなるのかな。僕はかねてから、火がちりちりとした痛みでもってその存在を知らせようとするのを感じていた。きみにも、あるんだろう?僕らを唯一結び付けているのがそれなんだから。で、消えかかっていた、というより消そうとしていた僕のその火を、お祖母さんが改めて点じたんだ。火を消せば僕を迷わせるものは消え、無碍になると信じていた。だけど、お祖母さんの顔、確信から来る穏やかな顔は、火を消すことは決してできまいと証明しているようだった。

  十日目

 僕はあくまで精神科医というものを嫌ってる。僕に必要なのは事務的な慰めでも薬でもない。
 だが、この前作業療法室で面長先生と陶芸をした時のことをふと思い出した。面長先生は、医者という足かせの明証である白衣を脱いだんだ。彼はその時、普通の人間になった。

   十一日目
 せっかく話しかけた患者さんが今日退院だと知って些か残念だよ。精神患者には彼らにしかわからない苦しみがあって、それ前提で付き合うから、普通よりも深い友情が生まれやすいものだけど、どうやらここでは連絡先の交換は禁止されているらしい。皮肉なもんだ。
 ところで僕はまだ勉強のやる気が起こらない。だが、英単語の一つや二つくらい、覚えてみようかな。後になって万一勉強しようと決断した時、今日のこの瞬間を物々しい感慨をもって思い出すだろうから。

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