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あのころ、TOKYOで。 2

2.バンドマンの「恋はマラカス」

東京という街は人があふれている。東京=人。言い換えもできるんじゃないかと思うほどに。

働き出してからしばらく。友達もたくさんでき、友達と出かけることも多くなった。そうすると友達の友達に出会ったり、とにかく人とのつながりが増える。そこであらわれたのが「S君」だ。

「ねえ、この前会ったS君のこと覚えてる?」と唐突にカナコに言われ驚く。

「覚えてるけど、なんで?」

聞き返した私にカナコがほほ笑んだ。

「あのね、連絡取りたいって。マホのこと気に入ったみたいよ。メアド教えてあげていい?」

正直S君のことはそこまで覚えていなかったが、カナコの友達でたしかバンドをやってるという男の子。私よりは少し年上だった気がする。好意を持ってくれてることはありがたかったので、メアドの件はOKした。

しばらくしてS君から連絡が来た。気になったからメールしたい。できれば会いたい、とのこと。メールでやりとりをしているうちに、いろいろなことがわかってきた。

まだLineなんてなかった時代。メールは少し長めの文章を打つ。情報量は多め。会ってデートするまでにメールでも人となりがある程度わかったりする。S君は真面目そうで、バイトをしながらバンド活動をしていた。連絡が取れない時間はバンドの練習があるからと言っていた。

最初のデートは映画にした。映画なら、もしも相手がつまらない男だったとしても2時間くらいはだまって時間が過ぎる。私の最初のデートのテッパンだった。S君は私との初デートは車で迎えに来るという。

東京で車を持つということは結構大変だ。田舎と違って、駐車場はどこも有料。もちろん道路も複雑だし車も多い。運転技術もいる。東京で知人の車に乗ったことは何度かあるがたいていが高級車で、やっぱり東京で車を持てる人はお金持ちなんだな、と思っていた。S君が「車で来る」というのはちょっと自信があるのかもしれない。車にも、自分にも。

当日、駅前で待っていた私の前に、S君は予想外の車でやってきた。

それは、クリーム色のライトバンだった。

「お待たせ!さあ乗って!」

初めて乗るライトバンの助手席は、ちょっと高さがあり、シートは固めだった。

「この車ね、楽器を運ぶのに便利なんだよ!」

彼はドラマーだという。嬉しそうにそう言った。「ドラムを運ぶなら大きな車がいるわね」と答えると、「でもね、ドラムは乗らないんだ」と返ってきた。じゃあ何の楽器を運ぶのか。

「今日はね、俺たちの音楽を聴いてほしくて、車で来たんだ」

彼が車で来たのは、車を見てほしいわけでも、車を持っている自分を自慢したいわけでもなかった。バンドマンは音楽を聴いてほしくて、音楽をかけるために車で来るのだ。たとえそれが乗り心地にちょっと難ありなライトバンでも。そういえばバンドをやっているとは聞いていたが、アマチュアだし、彼らの音楽を聴いたことはなかった。彼は上機嫌で音楽を流し始める。どこかのライブハウスでの演奏だというその音楽は、よくわからないけど、多分プロにはなれないだろうというレベルのもので、正直何も印象に残らなかった。「素敵ね」などと適当に言いながら車に揺られていると、突然彼が言った。

「ここ、ここからよく聞いて!」

「え?何?」

驚いて耳をすます。でもあんまり音楽が聞こえない。どうやらMCに入ったようで、ボーカルが喋っている。S君が音量を上げた。

「みんな!聞いてくれ!今ここに、恋している人がいます!!」ドンスタスタスタッジャーン!!!

ご丁寧にドラムのフィルインみたいなのまでついている。

「それは、ドラマーのS君だっ!!」ドンドンスタッツジャジャジャーン!!!

自分の話に盛大なドラムフィル。

その時隣でS君が言った。

「これ、君のことだよ」

さーっと音がして、私の中で何かがひいていった。まだ会ったこともない相手のことをこんな風に言えるのか。

カーステレオからは、「みんな、応援してくれ!」というようなボーカルの声がして、またよくわからない音楽が流れ始めた。

私は照れた風にうつむきながら、少しだけ、どうしようか、と思い始めていた。

車は銀座につき、映画館近くの駐車場にとまった。映画はS君が見たいと言った「サルサ!」。白人男性がサルサ音楽を好きになる話。音楽もノリがよく面白かった。何より、ちょっとつかめないS君と2時間会話なしでいられるのが良かった。映画を見ながら私は、この人とは、ないかもしれないな、と思っていた。

映画が終わると、銀座の街をぶらぶらと歩きながらS君は上機嫌で映画について語りだした。

「あのシーンが良かったよね。」という一般的な話までは良かったが、そこからはドラマーらしくリズムについての講釈がはじまった。「あれはね、ウラウチっていうんだ。ウラを打つっていうのはね、普通リズムっていうのはさ・・・」彼は手をたたきながら様々なリズムについて語ってくれたが私にはよくわからない。「そうなんだ、難しいわね。」と言いながら、交差点にさしかかる。ふと目が合うと、S君は言った。

「本当に、かわいい。君のことが好きだよ」

まだあんまり会話もしていない。音楽聞かされて恋をしている!宣言をされ、映画をみてリズムについて講義を受けた。私のどこを見て、好きだと思ってくれたのだろう。

ただ、これだけで私のことをこんなにも好きと言ってくれることを嬉しくも思った。こんなに好きだと思われるって、とても幸せだ。

ただ、そこには一つ問題があった。

私がまだ彼を好きになれていないこと。

これで、私が彼を好きだったら、いいのに。

たくさんの人がいる交差点で、私は今、彼と自分の関係についてだけを考えている。たくさんの人は、居るけれども居ない。結局どこにいても、まわりのたくさんの人は問題じゃないんだ。大切なのは、相手と自分。信号が変わるまで、そんなことを考えた。

ふと山野楽器前に来た時。S君が立ち寄りたいと言った。さすがバンドマンだ。音楽の映画も見たもんだから、楽器が見たくなったという。

見ているだけでも面白いので山野楽器は好きだった。一緒にいろんな楽器を見た。彼はやはりドラマーなだけあって、リズム楽器に興味を持っていた。

そして突然、「これを買う!」と言って小さなマラカスを手に取った。緑色の飾り気のないプラスチックのようなものでできたマラカスは、二つで3000円ほどだった。よくあるお土産みたいなカラフルな模様の柄のついたマラカスしか見たことのない私には、卵のような形のそれが同じマラカスなのだとは思えないほどだった。プロが使うのはこんなマラカスなのかもしれない。マラカスの値段など全く知らないので、それが高いものなのか安いものなのかもわからない。彼はそれを購入し、嬉しそうにしていた。

山野楽器を後にし、夕食の相談をしたところ、彼が言った。

「上野に俺の好きな店があるんだ!そこに連れて行きたいんだ!」

上野。銀座にいるのに今から上野。

ちょっとだけ残念な気もしたが、彼がそんなに好きな店で、私を連れて行きたいという店だ。仮にも好きな人を連れて行きたい店なら、きっと素敵なところに違いない。私は同意して彼のライトバンで上野に向かった。

上野のお店は、何とも中途半端な店だった。メニューにはとんかつや親子丼がならんでおり和食の定食やさんかと思ったが、なぜかオムライスやパスタもある。お値段はリーズナブル。老舗かと思ったが数年前にできたようだ。広くも狭くもない。土曜日の夜だが、お客さんはまばらだった。彼は大きなとんかつが付いた定食を。私は親子丼を食べた。

食事中、なぜか静かにしていたS君が、そっと言った。

「あの、さっきマラカス買ったでしょ。ちょっと想定外だったんだよね。あれで、食事代がなくなったっていうか」

頭が真っ白になった。だからわざわざ銀座から上野に来たのか。連れていきたい店というのはお金の問題だったのだ。

「いいえ、大丈夫。私が払うわ。車も出してもらったし。どうもありがとう」

私は会計伝票を手に取るとレジに向かった。

「ありがと!助かるよ!」

S君はあっさり私におごられた。

なんとなく嫌な予感はしていた。最初にライトバンを見たときから。S君にとって一番大切なのはバンドだ。恋人を乗せる素敵な車より楽器を運べるライトバン。雰囲気の良い音楽より自分のバンドの音楽。そして告白つき。オシャレで美味しいレストランよりシンプルなマラカス。S君と恋愛する人は肝に銘じなくてはならない。どんなに恋をしようが好きな人がいようが、バンドには勝てないのだ。S君の一番はバンド。私は、好きな人の一番になれないのは嫌だ。我慢ができない。だから初めから、彼のことを好きになれなかったのだ。

こうしてマラカスに負けた私は、友達から呼び出しがあったと嘘をつき、ライトバンでの送りを丁重にお断りして電車で一人家に帰った。

その後も彼は会いたいとメールをくれたが、「ごめんなさい、あなたを好きにはなれない気がします。バンド頑張ってね」と返し、それで終わった。

恋愛と一番大切なものは両立できる?どちらか選ばなくてはならなくなったとき、どちらを選択するの?そしてその結果に、相手は耐えられる?

自分にとって一番大切なものがすでにある人は恋愛には向かないのかもしれない。恋人が一番大切なものにできる人じゃないと、きっと恋愛はできない。何よりも、自分よりも大切なもの、それが相手になることが恋愛だと思うから。

サルサ音楽を聴くと思い出す。フィル入りの告白と、マラカスに負けたあの日を。

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