ゲームプランナーは「なぜ面白いのか」だけでなく「なぜ流行ったのか」を考える必要がある話

先日この記事を購入した。

なぜ面白い作品が流行らず、そこまで面白くない作品が流行るのかについて言語化している。

ゲームクリエイターであれば一度は読んでおいたほうが良い記事だと思います。買ってください。


よくゲームプランナーは「なぜこのゲームが面白いのか」を言語化する能力が問われたりする。

これは言語化すること自体に価値があるわけではない。

言語化し抽象に落とし込むことで「面白さの源泉」なるものを見つけ出し、自身のゲームに流用する。このプロセスが求められる。


しかしこの記事を読んでこの考えが少し変わった。

「面白い」だけでは「流行らない」のだ。

これを順番に言語化していく。


「面白い」だけではプレイされない

なぜ面白いだけでは流行らないのか。

面白さが導入部分で伝わらない場合、プレイすらされないからである。

前述したブログでは、記事内で「動画広告とインゲームで内容が全く異なる」事例を紹介している。

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面白さが担保されていないor初見で「面白そう」と思えないようなゲーム性だった場合、このような手法をとることは「流行らせる」という観点では正となる。


つまりは、「面白い」の前に「面白そう」と思わせることが必要であるということだ。

これはゲーム性にも内包されているし、広告などのマーケティングにも該当する(例えば女の子のおっぱいが揺れているだけで全くゲーム性に触れない動画広告とかね)


「面白そう」だけでは継続しない

ただ、「面白そう」だけではゲームは成立しない。

先ほど説明した「面白そう」と思わせるためには直感的に面白さがわかるくらいにルールが単純明快で楽しそうなものである必要がある。

ここで人間の欲求だとか本能的に何を求めているだとか、心理学的なお話が出てくるのだが、個々を掘り下げるととんでもない分量になるため割愛する


とどのつまり「カジュアルゲーム」のほうがクリティカルにユーザーに楽しさを伝えやすい、ということになる。

しかし、問題点がある。「カジュアルゲーム」は相当レベルデザインに気を使ったりゲーム自体の拡張性が無いと「飽きられてしまう」のだ。

飽きが早いゲームは記憶に残らず、次の日に別ゲーをやると忘れてしまい、「あのゲーム面白かったな」という状態に遷移しない。


ここでいう「面白かったな」がとても重要で、面白かったと記憶に残っているゲームは人に勧めやすい、つまり拡散されやすいのだ。


「面白かった」と思わせなければ流行らない

面白かったという成功体験がシェア欲を生み出し、実際にSNSで拡散される。

面白そう→面白い→面白かったのプロセスを踏むことで初めて「流行るゲーム」へと変貌するのであった。


ゲームプランナーに求められる素養

ゲームプランナーは「なぜ面白いか」を考えるだけでなく、

「なぜ流行ったのか」もう少し分解して言えば「面白さが担保されたうえで、どんな要素が起因したことで流行ったのか」を考えられるようになる。

「プロモーション」なのか、「シェアしやすいコンテンツ」なのか、「直感的に面白そうと感じられつつ奥深いゲーム性」なのか。なぜそれが流行ったのかを言語化し、かつ自分が担当するプロジェクトに落とし込めるまで抽象化できる人間が重宝されるのではないかと考える。


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