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スナックの中に生まれる、ゆるっとしたもの


今日の夜は働いている宿の一角のバーで
町のお姉さんがスナック営業をやる日だった。

先週末もやっていたが、私はちょっと疲れていて先に家にかえってしまったので参加していない。

今日は美味しいご飯の匂いに誘われて、
お客さんとして来店してきた。

ふだんは自分がごはん作る側の時が多いので、
たまに誰かがつくった美味しい料理を食べるとなんだか無性にうれしい。
自分が作る料理もおいしいけど、作っている過程でだいたい味がもうわかってしまうから、食べた時の感動は少ない。


歩いてこれる近所の人、宿に泊まっているお客さん、町の人、隣町からきた人、いろんな人が集まってきて、どこの誰だかなんとなくしかわからないまま、何というわけでもない話や大事そうな話をしたりしている。

もくもくと食べててもいいし、隣の人と話してもいいし、後ろの人の会話に混ざってもいいし、スマホ見ててもいい。

食卓で向かい合って座ると、食べるか話すかどちらか。お互い大体どこの誰だがバッチリわかった上でだし、
わからない場合は明らかにしてから話題を進めることが多い。話題もワンテーブルでだいたいひとつ。

わたし(とその周りの人たちも)は大概真面目なので、
話す内容も真面目なことに収束しがちな気がする。

何も話さなくてもいいし、内容なくてもいいし、ふんわりしたことでもいい、みたいなゆるっとした距離感のゆるっとした会話を久しぶりに感じた気がした。

そういうところからおもしろい話がうまれたり、つぎやってみたいことが出てきたり、気になってたことを思い出すきっかけをもらったりするのかもしれない。
それをやるかどうかは別として、うわぁ!おもしろそう!みたいな一瞬のワクワクが大事だったりする。


なんか最近頭がガチガチになっていたのかなぁと思う。

体を緩ませて頭を休ませて、
ふんわりぬるりとしてたほうがいいときもある。

怠惰とは違う、なんかゆるゆるとした感じ。

ゆるゆるしてるけど、大事なネジは締まってるし、
芯は一本通ってる感じ。

すなっくという、微妙に距離があるけど
なんか一体感があるみたいな空間は、
実は意外と一番心地よかったりして。

自分の思考の外にぽーんとふいに出されること、
余白を作っておいてそこで大きく遊ぶこと、
芯は溶かさず、周りは緩めておくこと、

そんなことを思った。

スナックの中に生まれる、
ゆるっとしたもののおかげ。

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