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北大西洋本鮪(クロマグロ)定置網事業その10

<まとめ>

その1から9までに北大西洋本鮪定置網事業を通して体験したある種の冒険記やそれを通して起きた意識の変化、そして我々を取り巻く時代の変化や問題点などを記してきた。書き始めた時点ではまさかその10にまで至ると思ってはいなかったが、ここでもう一度伝えたかった事をまとめておきたい。

◎生命を奪う事で実感した生命の大切さ

その4にも書いた通り私は数千匹ものマグロの血抜きを行いそれらの生命を奪ったことになる。私は実感した。生命の尊さ、そしてまた生命を扱う生産者の仕事の尊さを。当たり前の話だが、我々人間が生命を持続するためには他の生命を奪わなくてはならない。それは野菜や果物も同じ事である。しかし、感覚的には植物よりも人間の形に近い動物の生命を奪うことの方がよりその実感が強いのではないかと想像する。これが哺乳類であればなおの事なのかも知れない。だが我々が常に心に留めておかなからばならないのは草花の生命も魚の生命も人間の生命も同じ1つの生命であると言う事。当たり前の事なのだが、意識としては忘れがちな事でもある。私に言われるまでもないのは重々承知だが、上記の経験をした私だからあえて言わせて下さい。

生命を大切にしましょう。

昨今SDGsが提唱され資源に対する意識が高まっています。このまま行くと世界的な人口増加によりタンパク源が完全に不足すると予想されています。科学の力で水産物の増殖が開発され、また昆虫食なども進められている。でもちょっと待ってください。その前に出来ることありませんか?

日本で年間廃棄される(まだ食べられるのに捨てられる)食品の数量は600万トンとも言われる。これはタイセイヨウクロマグロ3千万匹に値する。想像ができない量である。

そんな中、消費者の意識はかなり変わってきていると思う。だが問題は小売店などでの原価計算に廃棄率が最初から含まれており、それよりも品揃えの良さなどが優先されて、廃棄を減らすべきと理解はしていても、品揃えの悪さから顧客を逃すリスクを回避するために不必要な大量仕入れをやめようとしないのである。

もっと緻密な仕入れ&販売はできないものだろうか?

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◎極限状態を経験することで得た仕事への執着

全ての娯楽から隔離された修行僧さながらの船上生活や水を止められたアパートでの生活。一日の行動が全て自然に委ねられる生活。そして死と隣り合わせの生活。これらにより私は自分がいかに矮小な存在で取るに足りないものかを知った。私は新卒で入社するまで、結果や勝負事に執着する人間ではなかった。しかし、現地での地べたを這いつくばるような体験や商売を通して会社に与えた損失を経験したことで、それらが無になるような結果に対してある種の悲しみを覚えるようになっていった。そしてその反動で仕事に対しては異常に貪欲に、時に獰猛にさえなった。そのことが築地市場でのシェア独占という結果に繋がったのではないかと思う。


◎世界一のマグロ大国の買い負けを目の当たりに

原因はいくつか考えられる。

○まず所得の問題はある

この30年、日本は経済成長していない。景気自体が堅調な時も利益を内部留保に回し給与を上げない。それに加えて脆弱な社会保障制度による生活不安が日本人の可処分所得を下げている。ただしこれらのことは私たちの力ではどうすることもできない。

○食への意識の違い

所得の問題とも関係するが、海外で高い所得を得るようになるとそれに比例して食に懸ける費用も高くなっていく。しかし今の日本ではそれを感じない。一部のバブリーな人達を除いて、お金持ちでもいかにお金を懸けずに美味しい物を食べるかに異常に執着しているように見える。確かにそれも大事なことではあるのだが、それだけでは文化は育たないのである。

○刺身至上主義の日本が置き去りに

日本では水産物は何でも刺身で食べるのが最良の食べ方であり、刺身で食べられるものを加熱するのはもったいないという価値観がかなり浸透している。この考えが質の悪い刺身を世に送り出し、加熱商材の質をさらに悪い物にしているのである。その結果まずい魚介料理が氾濫し魚離れを加速させ、水産物への価値観を下げるようになった。それに対して海外では最近まで刺身は存在せず、高鮮度のものまで加熱調理されてきた。塩焼きやフリットにするととてつもなく美味しいのである。その中で刺身を覚えた彼らは水産物への価値観をさらに高め、また水産物の生産技術も高めてきている。

○日本のマーケットの衰退と食文化の崩壊の危機

私がマグロの卸売をしていて思うこと。誰も品質を求めていない。いや、誰もというのはおかしい。消費者は求めているはずである。昔の日本は問屋が力を持っていたため、彼らが彼らのプライドにかけ質の良いものを顧客に提供していた。このため品質が保たれていたのであるが、現在はスーパーマーケットや回転寿司が圧倒的な力を持っている。そして彼らは品質ではなく価格重視である。これでは消費も伸びなければ価値は上がらないのである。一方、一部の超高級鮨店で夜な夜なバブリー層がブランド鮪に酔いしれている。そこでは美味しい物でなく美味しそうな物、人に自慢できる物が重宝される。そこに本質はない。彼らは進化と呼んでいるようだが本質を求めない食文化を本当に進化といえるのだろうか。実はこのことは文化を保持する上で非常に危険な状態だと危惧している。

○日本食文化をどんどん吸収していく世界マーケット

これに対して世界のマーケットでは今知識の吸収が止まらない。私の予想では日本の良い職人さんがどんどん海外に流出していくのではないかと考えている。日本食文化は一気に海外に抜き去られてしまうかもしれない。ヨーロッパで見た食文化の多様性を見ているとそう思わざるを得ないのである。

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◎買い負けに対して思うこと

実に悲しいことではあるが、もうこの流れは誰にも止められないと思っている。ただ仕事を通じて得ることの出来た水産物の素晴らしさ鮪の魅力などをを伝えていくことが私の今後の使命である。日本の方々にそれを伝えていくのももちろんのことであるが、それらを海外の人たちにも発信していくべきなのではないかと最近思うようになっている。せっかく日本食文化を吸収しているのに間違えた方向には進んで欲しくない。文化を伝えるのに国の内も外も関係ないというのが真にグローバルな物の考え方ではないだろうか。


。。。終わり
















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