フェイクニュース対策としてのメディア・リテラシーの危険性 データ&ソサイエティ研究所創始者&代表のdanah boyd氏のスピーチ「You Think You Want Media Literacy… Do You?」の紹介

メディア・リテラシーはファクトチェックのみならず、現代に生きる人々にとって重要な課題となっている。しかし、「メディア・リテラシー」という言葉は多義的で人によって定義も異なる。Renee Hobbs氏(アメリカのメディア・リテラシー研究者、教育者)によれば、メディア・リテラシーとは「私たちが受け取り、作成するメッセージに関する調査と批判的思考(critical thinking)」であり、基本的には批判的思考のひとつと言える。
*本稿は2019年にファクトチェック・イニシアチブに寄稿し、掲載拒否された原稿である。事前に、この講演の紹介をしたいのでよろしいでしょうか? と確認を取っていたが、講演内容に問題があるということで寄稿後掲載不可となった。最初に確認を取った時にOKを出した理由についてはご説明いただけなかった。なお、今回紹介するスピーチは、シチズンラボ編纂の『Disinformation Annotated Bibliography』でも紹介されているので、それほど偏っていたり、事実に反することが描かれているわけでもないと思うのだが。

データ&ソサイエティ研究所が公開したレポートでは、メディア・リテラシーには課題が多く、特にフェイクニュース対策としての役割を求める時にその顕著であるとしている。

THE PROMISES, CHALLENGES, AND FUTURES OF MEDIA LITERACY
https://datasociety.net/output/the-promises-challenges-and-futures-of-media-literacy/

ここでは、昨年のSXSWの教育セッションで、シンクタンク、データ&ソサイエティ研究所創始者&代表のdanah boyd氏(以下、ボイド氏)が行ったキイノート・スピーチ「You Think You Want Media Literacy… Do You?」を紹介し、ネット世論操作が蔓延する今の世界で必要なメディア・リテラシーについて考える参考としたい。

スピーチ原文 You Think You Want Media Literacy… Do You?https://points.datasociety.net/you-think-you-want-media-literacy-do-you-7cad6af18ec2

このスピーチでも注目すべき点は下記の3つだと感じた。

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・ネット世論操作への対抗策としてメディア・リテラシーを安易に位置づけることはリスクを伴う。「メディアを疑え」という批判的思考(critical thinking)はネット世論操作に逆利用されることもある。情報源の信頼度を確認しようと内容や運営を精査すると、どのようなニュースメディアにも問題が見つかる。ネット世論操作では、こうした事実を提示してニュースメディアを無効化し、それらが報じない「真実」を暴露しているかのように見せかけるのが常套手段である。メディア・リテラシー教育では自ら考え、発信することを推奨しており、ネット世論操作のために作られた「真実」が、さらに拡散されることになる。

・異なる文化、世界観によって物事のとらえ方は異なり、「真実」も異なってくる。「科学的事実」でさえ、時代や社会状況によって変化する。

・批判的思考=事実を峻別する方法論や情報源の信頼度を確認する方法論よりも、自分の世界感および異なる世界観を理解し偏りや問題点を把握する能力が重要である。

プロパガンダやフェイクニュースサイトをファクトチェックし、資金源などの裏事情をリベラルな視点から断罪しようとする時の切り札にメディア・リテラシーが使われることにボイド氏は懸念を感じている。

このスピーチでボイド氏は現在のメディア・エコシステムにおけるメディア・リテラシーのあり方を整理した。

まず、事実、真実、証拠、原因などは時代や文化によって異なることを例示し、「メディア・リテラシー」および「批判的思考」という言葉を使う際に充分注意しないと、特定の立場を有利にするために利用されてしまうと注意を喚起している。

・教育の問題
多くの学校ではひとつの世界観に基づいた物事のとらえ方と方法論を教える。しかし我々の社会には異なる世界観や方法論があり、それらの内容と自分の世界感との違いを理解することは今の教育の中では難しい。
そして時代と社会が変われば世界観も変わり、科学的事実と言われたものも変化してゆく。たとえば人種による差、性による差、地球温暖化、さまざまなものに関する科学的事実は時代、社会あるいは政治的理由で変化してきた。我々が教わるのはある時点でのひとつの世界観でしかない。

・利用される批判的思考
「より多く知ればより正しく判断できる」、「疑問を持って真実を探す」といったことは批判的思考の一部であるが、同時にネット世論操作でよく用いられる決まり文句でもある。ネット世論操作を仕掛ける側は「メディアを疑え」、「公表されていることに疑問を持て」と煽る。ネットを徘徊すればもうひとつの真実の記事はいくらでも見つかる。批判的思考は、ネット世論操作にうまく利用される危険性を持っている。

・ネットのサイトを見て世界観が変わる
歴史、地球温暖化などの真実を知るためにネットで調べていると、さまざまなサイトを訪れることになる。そこで提示されている考え方や「証拠」によって世界観が変わり、一般的には偏った過激な考え方を支持するようになることもある。スピーチでは2012年にジョージ・ジマーマンがトレイボン・マーティンという黒人少年を射殺した事件で、ジマーマンがネット上の人種差別のサイトに感化されていったことを事例として紹介している。感化されてしまう人々を愚かだとか正常でないと言うべきではない。彼らは彼らなりに「真実」を知ろうとして行動していたのである、とボイド氏は語る。違いは、世界観と理解力にある。付け加えると「感想」に書いたように、『ファクトフルネス』を読んで信奉する人も同種の誤りを犯しているのだ。他人事ではない。

・なにを信じるべきなのか?
多くのアメリカ人はニュースメディアを信用していない。批判的思考で既存のニュースメディアをチェックしてみれば、必ずどこかに瑕疵が見つかる。そこからニュースメディアを信用できないものと考え、「真実」を求め、見つけて自らメディアを作り出す(それを勧める教育者は多い)。

ネット世論操作によって人々を操ることは簡単である。ニュースメディアの信用を失わせて無効化すると、人々はメディアを信用せずに自分で「真実」を探し出した人を信じるようになる。かつて自閉症とワクチン接種の関係について、科学的な根拠がないことを多くのメディアが報じるほど、人々は「裏になにかある」と疑うようになった。これを「ブーメラン効果」と呼ぶ。ピザゲートも同様である。

また、自殺の報道のように自粛されるものもある。自殺の報道を行うとさらに自殺を誘発するリスクがあるためだ。

・ではどうすればよいのか?
騙されないための抗体を作ることが重要とボイド氏は考えている。まず、感情と距離を置いて、なにを言わんとしているかを理解する。その主張がどこから来ているのか(資金源や裏の事情)を知るよりも、世界観を理解し、それに従って解釈してみて問題点を見つける。非常に難しいことだが、大事なことである。

情報がまとまっていない時のギャップを埋める時の方法も重要である。自分がどのような情報を受け入れ、どのような情報を拒絶しているのかを知ることはコミュニケーションの偏りを明らかにしてくれる。

つまりボイド氏が勧めているアプローチは、既存のメディアの偏りや問題を認識することよりも、自分自身の偏りや問題を認識することに重きをおいている。自分の見ている社会がどのような世界観で構築されているかを認識することもまた重要なメディア・リテラシーなのである。

我々の世界は複雑さの度合いを増しており、教育は人々を導く重要な役割を負っている。情報が兵器化されている今の世界では、情報に疑問やギャップを感じた時に、その回答をもたらす世界観がいくつもあり、ネット世論操作のツールとなっている。安易に批判的思考や情報源の信頼性の確認を優先すると、ネット世論操作の罠にはまることになる。

重要なのは批判的思考=事実を峻別する方法や情報源を評価する方法よりも、自分自身の世界観を理解すること、そしてネットで流布する世界観と、それがどのように構築されたかを理解することである。

・感想
私は以前からデータ&ソサイエティ研究所のレポートに注目してきた。同じテーマを扱っても他とは違う視点、それも根本に立ち返って問題を見直す試みがなされている点がとても参考になった。今回のスピーチもメディア・リテラシーが直面している課題を、かなり根本的なところから解き明かしてくれたと考えている。

批判的思考や情報源の信頼度の確認は重要ではあるが、諸刃の刃でネット世論操作に利用される危険もあると感じていたが、うまく頭の中で整理できていなかった。そのもやもやをうまく整理されていてよい勉強になった。

ファクトチェックを取り巻く課題についてはシリーズでまとめています。こちらのマガジンをご覧ください。

以下は蛇足です。特に興味のある方だけお読みください。

このスピーチを拝読して、しばらく前に話題になった『ファクトフルネス』という本を思い出した。本題とは少し離れるが、よい例なので紹介したいと思う。

『ファクトフルネス』という本は我々の認識がいかに間違っていて、その原因を10の本能から解き明かしている。まずプロローグで13問のクイズを出し、多くの人がそのクイズに正解できないことを示し、その理由を解説し、思い込みを排して事実=ファクトに基づいて考えることが大事だとしている。続く本章では10の本能に基づいて人が犯しやすい誤りとそれを防ぐ方法を解説している。これだけ聞くと至極まっとうで重要な示唆に富んでいるかも知れないと思わせる。

しかしこの本にはトリックがある。本の著者自身が認めているように10の本能は著者の仮説にすぎない(注1)。したがってこの本のほとんどは作者の創作と言うと過言かもしれないが、少なくとも本書の趣旨である事実に即した考え方とは異なり、仮説に基づいて構築された世界観の話である。その仮説は誰も検証していない。人々の誤りを防ぐ対策も書かれているが、仮説ありきのものなのでその実効性を担保するものはない。本書の中では信頼できる情報源からの多数の事実が提示されるが、10の本能と人々が謝った認識を持つことの関係を立証するものはひとつもない。しかし提示されている事実が豊富で説得力あることから人々はあたかも10の本能が証明されているかのようにミスリードされてしまうようだ。さらにこの本にはネット世論操作のように既存のメディアを疑えと書かれている。

この本はベストセラーになっており、多くの著名人の方が推薦している。批判的思考や情報源の信用度の確認が時として事実ではないこと(この場合は未検証の仮説とそれに基づく対策)を信じ込ませる道具に使われることのよい例になると思う。批判的思考を行い、情報源の信頼度を確認するようなメディア・リテラシーを持っていそうな人々(これは皮肉である。誤解なきよう)が検証されていない仮説を検証済みかのように受け入れてしまう典型的な例と言える。

蛇足であるが、私は『ファクトフルネス』をよい本だと思っている。自己啓発書に上記のようなことを言うのはお門違いのような気もしている。そのへんは自己啓発書になにを求めるかによっても違うと思うが。

日々、莫大な量の情報が流れ、我々はそれに翻弄されている。しかし、必要に応じて立ち止まって自分自身を見直することもまた重要なのである。このスピーチは、それを思い出せてくれた。

注1
『ファクトフルネス』の著者が運営するギャップマインダー財団のページに本書のくわしい脚注が掲載されており、”Page 13. The Ten Instincts in Cognitive Science”に”they only describe our hypothesis on how the common ways of wrong thinking may work.”という記述がある。『ファクトフルネス』の中核をなす10の本能は仮説に過ぎない、とウェブの脚注にあっさり書いてあるだけというのは大変不親切に思える。書籍の脚注には、その説明すらなく過去の研究を参考にしたとだけ書かれている。
Detailed Notes https://www.gapminder.org/factfulness-book/notes/


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