口紅やマニキュアを塗ったり、ワンピースを買った報告を男のわたしがする意味
「勝手にやっててくれ」
気づいてはいた。
薄めていた色水に、絵の具を直接流し込まれているような感覚。
先週、とあるニュースサイトにわたしのツイートとnoteを紹介していただける機会に恵まれた。そこでのコメント欄で見かけた言葉。水の中で割れる硝子のような儚さはなく、叩きつけた花瓶の叫び。これと一生闘わねばならないと思うわたしは、向き合うべき人を時々見失う。神経が靴擦れを起こす。鼻先に乗った小鳥が飛んでしまわないよう息を止め、溺れている。
議論ではない、争いがまたそこで起きていた。
「そういう言葉を使う人もまた、別の場所では愛されているはずだから。誰に対しても棘のある言葉は使うべきではない」と、一度考える。脳裏をそれが過る度、わたしは自分自身に「恵まれて生きてきたんだな」と思い、手の平と見つめ合う。これは似た想いを持つ人への皮肉などではない。零れる水滴が頬を伝い、その味を確かめる過程にすぎないのだ。
「書きたいことだけど」
ずっと前から、言っていた。
何者でもないわたしでも、「いちとせしをりは、こんな人だよ」という"像"が浮かんできた空気を最近は感じる。くすぐられる背中と薄化粧。それに特に合わせる気はないが、体はとても素直にそれに沿って傾く。
あまりに哀しい言葉があったとして、それに「慣れた」と言って笑うあなたには、影ができる。染みのついた毛布をお腹に被せる。言葉に温度があるとして、触れることはできないのに、何をもって感じとっているのだろう。恋人の足跡から、仄かな情緒。そのほとんどは、淑やかな幻聴だった。
「空」を見ていただけで人生が終わりそう。
やることがなさすぎて今日は部屋の掃除ばかりしていた。クローゼットを開けば、九割着ない服。それでも捨てたり売ったりが面倒でそのままにしている。それかもしくは、太陽のように直視できない、あまりに眩しく光る"これ"を隠すためか。
「お似合いです」とお世辞でも洋服屋さんで言われない。花籠のような試着室、淡いカーテンから恋人だけが覗き込む。
「似合ってますよ、あまりにも」
姿見に映るふたり。写真家の恋人はカメラを持っていなかったのに、わたしが収めた。瞼に雫が溜まる。レジへ向かい、「これください」と言葉を渡す、少し強引な恋人にどんなときも支えられてきた。今日のような青すぎる天気に、この白いワンピースは似合ったはずだ。
いつか羽ばたけるだろうか。
わたしは今日も、それを眺めて眠る予定である。
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「SNSを休みます」
そう言って最近、わたしの知り合いが姿を消して一週間。
「寂しい」と思わないのは強がりで、「絶対に戻ってきてほしい」の台詞にも違和感が潜む。その方のツイートが伸びに伸び、それに対するあたたかい言葉も沢山読んだが、それ以上に批判や誹謗中傷を目にする。わざわざ開かなければ見れない場所まで、力強く踏み込む。「勇気」と辞書で引けば、当然違う意味——。
先月わたしのツイートが32万いいねまで伸びた。
もう一生、これ以上はないだろうと思っていた。
最近わたしの、また別のツイートのいいねが33万まで伸びた。
画面の向こうに、冷淡が見える。もうこの話はしたくないのに、息継ぎをどこかでしないと泳ぎ方すら忘れてしまいそうだ。わたしは、これからも言葉を届けるために書く。だからこれは、望んでいた結果。
棘のある言葉、それをより鋭く感じる理由はわかりやすい。自分自身に向けられているから。そして、他人の"やられている"姿を見て心臓を静める。どこまでわたしは、わたしは——
壁にかかったワンピースが濡れている。
昔はフォローしてくれる人の中に、いちとせしをりを「女性」だと思っていた人も多かった。それに少し、心地よさも感じていたと思う。現在のわたしは、自分の望む姿。体感でしかないが、今わたしのSNSを見てくれている方は「男性」としての事実を捉えてくれているだろう。至極、本望である。そうでなければ、意味が変わるから。一丁前に、自分ができることを考えている。
夢の中で、"体験"に追いかけられるときがある。
魘されていた。
「早く口紅買えよ」
「早くマニキュア見せてよ」
「早くワンピース着た姿、書いてよ」
現実と重なる。終わりだけわかれば、十分なのだろうか。それともすでに、玩具として扱われているのか。しゃぶりつくすような遊び方ではなく、片手間に小石を蹴られているような仕草。それに憂える、体液が滴る。
わたしには書くことくらいしか人生に残されていないが、書くこと以外の全てにも気力を注ぐ。零れるのは目に見えているから。「わかってほしい」という台詞はいつだって弱々しく、どこか怠慢すら想像してしまう心が至る所で出来上がる。
「泣き虫」という言葉。
それを時々、わたしは自分自身に使う。ただ、すぐに泣いてしまう人なんて、わたしはいないと思っている。
夕方、恋人と食べるごはんを作っていたとき、涙が垂れた。わたしのその姿を見て、恋人は「"突然"どうしたんですか?」とは言ってこない。撫でられた瞬間、力が抜ける。そんな些細であり、海のような愛に何度掬われてきただろう。
「意味のないことはない」
それもそうだ。堂々巡りの快楽。
今日はこれらを踏まえて、"もうすでに持っている"口紅の話と、その姿をここから先、よかったら見てほしい。
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