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なぜ時計を付けるか(前編)

時間なんてスマホかアレクサが教えてくれる。
かつてモノに絡んでいた「ステータス」的な意味は消失したも同然、クダラナイ。
マナーなんてものは時代と共に移りゆくもの。
もはや時計がマナーだと思っているのが古い。
投資対象なら買うだけで、付けない方が良い。

じゃあなぜ今、時計をつけるべきか。
ということへの自分なりの今の解。

機械式時計、僕は正直買いたいとは思っていなかった。
だって、機械式時計の魅力を語る人の言い分で、

「かけがえのない相棒になる」

的なこと言われちゃうと、

「え、なら他のものでも良くないですか?」

と思ってしまう自分がいたから。
革靴だって良いし、革靴より寿命の長い「家具」だって良いしさ。

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なぜ人は時計を付けたいのか
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僕の見立てではね、
結局、他の人がつけているから欲しいだけなんですよ。

他の人、というのは、

・アパレルのあの人、みたいな話だけじゃなくて、
・映画に出てきたあの人、とか
・昔の貴族が、とかも含みます。

確かに、他の人が何を身につけていたか、という視点は確かに重要ではある。

クラシックファッションはよく、ファッションにおける楷書体と言われます。
正しいシルエット、正しい着方、などなど。
だから、その移ろいを辿ることで「今」の正しさを考えるきっかけになる。
その意味で、他の人が何をお召しになっていたか勉強する視点は非常に重要。
ただ、それは決して理由にはならないということですね。
本当の意味では、今の正しさは今のなかで決まってくるもの。

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今における「正しさ」
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だって、お賽銭だって、
今までは正座してお祈りしていたのをカジュアルにして、
今のように靴履いたまま立ってお祈りできるようにしたわけですもんね。
今は、それが正しい感じになっちゃってる。
それでも今は、「ドライブスルーお賽銭」「paypayお賽銭」的なものは、まだみんなのアグリーが取りきれてない感じがある。

要は、クラシックファッションは、昔の装いを守ること、ではないのです。
だから、
なぜそれが「正しい」と言えるのか、とか
なぜその装いが敬意になるのか、失礼になるのか、ということについて
今の時代で説明できねばなりません。

そのためには、過去を知ることだけでなく、考えることが重要です。

その点で、例えば、そもそもワイシャツは下着だった、だから下にインナーを着る必要がない。
みたいな話はあまりにも非論理的です。説明になっていません。
じゃあ貴方は「そもそもそうだから」という理由で、「いろはにほへと」的な文字を使うんですか、みたいな話になってくる。

そんなこんなで僕は時計をつけることに賛成しにくい立場でいた。
投機対象ならつける必要はないし、マナー的なものならそれでもつける必要はない。
機能面でつける必要は無論ない、スマホだってあるし、アレクサだってあるし。

じゃあなぜ僕が付けたいと思うようになったのか。
長くなったので続きは明日。

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はじめまして、Ichiです。ロンドンを拠点に活動するフリーランスのライターです。日常の小さな発見や、文化の狭間で感じる思いを言葉にすること…

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